はなこのアンテナ@無知の知

たびたび映画、ときどき美術館、たまに旅行の私的記録

トランスアメリカ

2006年08月12日 | 映画(2005-06年公開)


スカートの下に何があるかより、もっとだいじなこと。
意味深なキャッチコピーだけど、
今回は素直に、この言葉を手がかりに作品を見てみた。

場面はLAの、とある場所にある安アパートの一室。
ブリーは「性同一性障害」という障害を抱え、
自らの内面と肉体の性の不一致を解消すべく、
一週間後に性転換手術を控えている中年”女性”だ。
その彼女に思いがけずNYの警察から電話がかかって来る。
スタンリー氏はご在宅かと。「彼はもうここにはいません」
と答える彼女。そう…スタンリーとは彼女が男性だった時の名前。

スタンリーの息子だと名乗るトビーという17歳の青年の
出現に戸惑うブリー。確かに大学時代、身に覚えはある。
トビーは男娼として働いていたところを検挙されたらしい。
母親は既に死亡した聞いて、彼女はやむなくNYへと向かう。



ブリーが保釈金を支払い、無事留置場から出られたトビーは、
これまでの生活を改めて、LAで俳優を目指すと言う。
ひょんなことから、二人はNYからLAへのアメリカ大陸横断
(TRANSAMERICA)の旅に出ることになった。その足となるのは、
トビーの友人から半ば強引に譲られた少々くたびれた車。

LAに行けばまだ見ぬ父に出会えると相好を崩すトビーに
女になった自分が父親だと名乗り出る勇気がないブリー…



何とも切ない父子の初対面だ。
そうとは知らないトビーは、
ブリーを教会派遣の支援者と信じて疑わない。
もちろん容姿も仕草もまったくの女性であるブリーの肉体が
まだ男性であることも。

個人のアイデンティティとは何だろう。
何を以て自分は自分だと言えるのか?
ブリーは自らの内面と肉体の不一致に長年苦しんで来た。
女性ホルモンを服用し、体つきも女性的にはなったが、
まだ男性器は残ったままだ。カウンセリングを重ね、
念願叶って決まった性転換手術。
その直前になって突然出現した息子。

自分は現在ブリーという女性でありながら、
トビーの父親スタンリーでもあるのは紛れもない事実だ。

まるで17年間の空白を埋める為に用意されていたかのように、
二人の旅にはさまざまな出来事が起る。
そのひとつひとつが二人の心の距離を縮めて行く。
共に旅を続けるうちに次第に情が湧いたのか、
親としてトビーの行く末を按じるようになったブリー。
見ている私も、ブリーがトビーの親である限り、
彼女の複雑でビミョーな立場は気にならなくなって行った。



不思議だね。その人をその人だと意味づけるものは、
その人たらしめるのは、
結局その人が何を考え、どう振る舞うかなのだと
改めて思い知らされた気がする。

*本作の演技で、ブリー役を演じたフェリシティ・ハフマンは
本年度のゴールデン・グローブ賞ドラマ部門主演女優賞を獲得。
アカデミー賞の主演女優賞にもノミネートされた。
そこに食指が動いて見に行ったのだけど、
銀座まで出向いただけの価値はあった。R-15指定です。

『トランスアメリカ』公式サイト
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