武田光弘画楽多製作日記

暇をもてあそび造形してます。作品として形としてまとめたものなどを見ていただきたい
と思っています。

江戸のエコ

2008年12月31日 | Weblog
江戸の長屋にはゴミ箱があり、そこから舟で集約場に運ぶシステムになっていた。と言うからすごいと思う。今と同じではないか。着物は古くなれば仕立てなおしを繰り返し、もうだめなら雑巾などになり、それがだめなら釜戸の火付けにした・・・つまり、何も残らないのだ。器物も割れればすてるのではなく、イラストのように修繕する(焼きなおして)使えるようにする商売人もいたと言う。ごく、無駄の出ない暮らしが江戸のあったようだ。大晦日、こんなことに「なるほど」と思って・・・ネズミ年を送る。

碌山館

2008年12月30日 | Weblog
まわりの樹木の葉が落ち建物もはっきり見える。これは安曇野穂高の碌山館である。郷土の彫刻家「荻原碌山」の彫刻が収められている。昭和32年建てられた。安曇野を訪れる方は一度は来られるだろう。碌山の精神的な支えとなったキリスト教の表示。明治時代の作品を収納するにふさわしい明治風建築。信州の厳しい気象に耐える構造を骨子として建てられた。地域の人たちのたいへんな苦労で建てられたと聞く。当時、穂高から離れて住む子どもだった私たちは「碌山ってなに?」と、全然理解できなかったが、先生の言うことだからと確かひとりひとり1円の募金に参加した思い出がある。年賀状出しに行ってパチリ。

守貞漫稿

2008年12月29日 | Weblog
なんとなくラジオを聞いていると、江戸時代の庶民の生活の話をしていた。江戸後期になると百万都市として、リサイクルの発達した都市であったと・・・・ゴミも集約するシステムがあり機能していたと。生活の中にも、たとえば紙くずはそれを拾う職人がいて、古紙問屋に持ち込み換金していたらしい。傘とか提灯修理などのちょい困ることにも対応できる職人が町中を巡回して商売していた。そんな話を聞いた後、ある新聞に江戸のリサイクルの特集が組まれていた。なるほど江戸時代は身分もきつく、窮屈なと思っていたが、リサイクルを結構エンジョイしてる庶民がいた。詳細に江戸の人たちを図で残してある「守貞漫稿」という本のあることも知った。そこの図を参考に紙拾う職人を描いてみました。

うし年

2008年12月28日 | Weblog
ワラの注連飾りだけだと味気ないので自作を玄関にかざった。来年は丑である。「もういくつ寝るとお正月・・・」という滝廉太郎作曲の歌があるが、そういう心境の年でもない。朝からテレビは解雇、解雇のニュ-スばかりで暗い師走だ。このところ火事で亡くなったという悲惨なニュースもある。火事のことを話題にするのも不謹慎だが、日本語には火事にまつわる言葉が多いそうだ。「火事場」「ぼや」「もらい火」・・・他の国に比べ家の作りの材料によって火事が多いせいで言葉も多くなったのかもしれない。しかし最近作りも変わってきた。減っているのか不明だが、こんどは煙が大敵だ。

芭蕉は隠密だった?

2008年12月27日 | Weblog
芭蕉クラスになると句会に出れば現在の金で3万の謝礼だそうだ。一句みてもらえれば3000円の謝礼が出たそうだ。芭蕉は幕府の隠密だったというのは、「奥の細道」の費用は100万はかかると計算できるが、個人では無理がある。だからその資金は幕府から地方情報収集代が出たのではないかという根拠らしい。しかし芭蕉が来るとなれば、句会も多く結構収入があったそうだ。もうひとつ芭蕉は伊賀出身で、もともと忍者だったのが根拠らしい。源義経ジンギスカンになったという話もあるくらいだから、そういう話もいいのかもしれない。

しめなわ・・・続々編

2008年12月26日 | Weblog
わら仕事の続編です。これは私の祖父の時代に取材し皆でガリ版刷りした地域の民族をまとめた「北安曇郷土誌稿」の原稿の一部です。民俗文化へ目が向いたころ、昭和初期、私の生まれた信州の片隅でもこういう動きがあったのです。わたしの祖父も取材に協力していたのだと思います。それが残っていました。この書籍の顧問に民俗学で高名な柳田国男先生がなっている。

きせる

2008年12月25日 | Weblog
きざみのタバコを吸う機具を「きせる」という。なかなか今は見られない。時代劇だと見れるかも。これは両端が金属で、間が木か竹でできている。
電車などの無賃乗車にキセル乗車というのがある。要するに金を払うのが、乗り降りするところで、途中は払わない不正乗車の用語です。
最近あんまり聞かないな。
パイプの話だと、テレビで水タバコなるものをパイプで吸うところをみる。また最近大麻を吸うパイプを押収したとかのニュースも聞く。
まあ、禁煙が一番。

もず

2008年12月24日 | Weblog

いまごろのモズは甲高い声で鳴く。百舌鳥と漢字では書く。あたたくなるとオスメスの恋の季節。いろいろな鳥の鳴き声をまねるので、こう書くようになったそうです。

カエルやイナゴなど取った獲物を木の枝のとがったところに刺すという習性もおもしろいのです。家の庭の今は切ってないのですが、小梅の木によく刺していました。

もずが枯れ木で鳴いていた・・・・・・あんさは満州へ行っただよ(?)

そんな唄がくちもとから、出てきます。・・・・・・・・・・・・・・・


しかけカレンダー

2008年12月23日 | Weblog

今年のカレンダーを仕上げた。限定板である。

去年に引き続いて「しかけ」を仕組んだ。写真の糸車は表紙で回るようになっています。開いた場面は「がっこう」です。入り口が立体になっています。よく啄木鳥がきたので、それが出るように工夫しました。ちょい見にくいと思いますが・・・・


柏原俳句会

2008年12月22日 | Weblog

公民館で立ち上げた安曇野柏原俳句会の11回目があった。柏原だけだと小林一茶の故郷が柏原であるので安曇野が冠としてついている。退会者も少し出たがなんとか続いている  しわくちゃの我手に重き冬りんご

これが、今回高得点にはいった我句である。短歌は票が入らず惨敗。 写真は俳句会のひとこま。正面に頭をかかえてるのが師匠。横が事務局。手前の空席が私の指定席・・・・になってしまいました。