武田光弘画楽多製作日記

暇をもてあそび造形してます。作品として形としてまとめたものなどを見ていただきたい
と思っています。

豆本・きつねばなし

2018年06月30日 | Weblog


表紙をつけ、おわり。
表紙は村のお堂のイメージ。

左の絵は木版。彩色。
文字はリノ板(ゴム)。陰刻にした。消しゴム版画で陽刻に挑戦したがダウン。
もう細かいのは、限界があるのであきらめた。
見開き15ページ。

話は村のきつね話。とくに毒のない話。


できは中くらい。

迷俳句を考える

2018年06月24日 | Weblog


冬の森は黒い。そう見えるのだ。
そう感じない人もいるから、ズレがはじまる。

しかし開発という波は、つぎつぎと切り倒していく。この勢いをまっすぐと表した。
そこがわからないとズレが出る。

ま、大方の鑑賞者と作者のズレはしょうがないことです。

迷俳句も名俳句になることもある。・・・・ないか。

亡くなって名を残す・・・

2018年06月18日 | Weblog
青梅市はオオメシと呼ぶ。ここあるお寺では
秋になって葉が落ちても青い実を残しているという。この梅の木に平将門が念願成就をねがったとか……地名の由来も奥深い。

私の名前も奥ゆかしい。この間の展覧会の来られた人で、わたしと同じ「光弘」という名で、作品よりも本人に会いたいという・・・・丁度私が受付にいたので話を承った。
「光」と「弘」の字は、戒名に使える・・・・私は戒名にこの二文字をいれる予定だとか。へーーーへーーー
わたしは戒名などいらないと思っている。俗名なら、それでいいが・・・・ナントカ院とか居士とか・・・そういうものはあきらかに人間に差をつけている


信長はなぜ死んだのか。

2018年06月17日 | Weblog


信長が本能寺で明智光秀に攻められ死んだ。
なぜ光秀は反乱をおこしたのか。いろいろな説があり、今頃これが正しいなどとは言えない。
なぞでいいのだ。
ただ当時、裏切るとかは結構あって明日の敵は今日の見方という時代だ。そして武将でチャンスがあれば天下に号令をかけて思うのは無理がない。

ただ朝廷を目の敵にしていたのは信長で、光秀の方は朝廷と親密だ。テレビのドラマなどみると光秀が信長に罵倒され足蹴にさせる場面が出てくる・・・
これだと個人的うらみと思ってしまう。

世の中には予想のつかない出来事がおきる。優勝予想筆頭のブラジルが負けるなんてこともおきる。日本が勝つなどということもおきる。




azumiの民話

2018年06月16日 | Weblog


サッカーだの高校野球100年だの交流戦だとか新聞は大々的にかきまくっている。
日本人はスポーツの勝敗にこだわり、楽しむという感覚に乏しいと昔から言われている。最近「楽しむ」とコメントする選手も多いが・・・・。
と思っても、ワールドカップで負け、帰国したら殺された事件もあったり、あの応援ぶりをみると・・・・・・どこもかなり殺気だってる気がする。
カジノ法案も通りそうだから、きっとこっちも殺気だって身をくずす人もでるだろうな。

ま、そういう世界より民話の世界でのんびりしたいものだ。

いなごやばった

2018年06月15日 | Weblog


たしかイナゴは食べた。昔はたんぼに行けば群れとなしていた。

バッタは草原にいた。バカでかいのが居た。そういえば蛾だってばかでかいのがいた。

農薬とか虫にとっても住ずらい地球だ。

イナゴとバッタをまちがえるのが夏目漱石の「坊ちゃん」にあった。あんまり興味がないと同じみたいなもんだ。坊ちゃんは都会の出だから知らんかもしれない。

イナゴは漢字で蝗、バッタは漢字で飛蝗・・・・・・にたようなもんだ。

トンビ

2018年06月12日 | Weblog


そうかトンビも産卵期なのだ。
そういえばあるスーパーではトンビ除けのビニールをくれた。買い物客のかごをねらって下りてくるらしい。
あちらもねらいやすい人間にターゲットをしぼっているらしい。


句会トンビをいれた俳句を出す人が、最初いた。のんびり空を飛ぶトンビをみて・・・それでは一句と発想したのだろうが、季節が違うと指摘されていた。

わたしも勉強してトンビは冬の季語としった。しかし季語集を見ると「二重まわし」と出てくる。これは明治時代流行ったマントのことらしく、広げると鳥の翼のようになるらしい。それをトンビという呼び名があるらしい。
「とんび」とでてくるのは、「二重廻し」の傍題として季語集におさまっている。
こういうこと興味のない人にわからない。つまらない話だ。


あずみの民話集

2018年06月11日 | Weblog


あずみの民話版画をつくり始める。
安曇といえば言葉の響きもいいので・・・定着してる。穂高豊科あたりは昔は「あずみでいら」と呼んだ。
「安曇平」ということだ。さすが安曇野には負ける。

白馬あたりは「四ヶ庄」と言った。とっくに消えてしまった。白馬って言葉には負ける。

観光用に「北の安曇野」とかいう人もいたが、広まらなかった。

ところでこの版画は大町の民話である。木崎湖の現在キャンプ場になっている北に森城といったお城があった。お城といえば松本城のようなものを連想するが、全部がそうでもない。片方が湖だから攻めにくい城だったろう。

そこから出た話だ。現在もお城の近くの集落は「森」と言っている。

グループ展始まる・・・・・10日まで

2018年06月08日 | Weblog


グループ展はじまった。休日でもないので入りは少ない。
遠く伊那から新聞をみたという方が来られた。退職後の何かを探しているようだった。
それも結構。そういう時の方が楽しいかもなーーーーーーー

久しぶりの方に行き会った。展覧会に来てくれたわけでもないが、図書館に大町から来たようだ。
それも結構。

火種・・・・・・・・小谷の民話

2018年06月06日 | Weblog


この話は大正年期に取材され残っている。末尾に私の祖父に名前があった。
取材されしゃべったのだろう。

よくできた嫁が、大晦日の火種で元日の火をたくという、この家のならわしをまかされる。
ところが、寝ずにばんをしていたが、つい寝入って火を消しまうというお話だ。

そこへ白装束の棺おけをせおった男が現われ、火をもらうことができた。男は「すぐもどるから」といって
棺おけを置いて行った。夜明けが近くなり家の衆が起きてくる。棺桶を見られたらどうしょう。
姑が起きて棺桶を、見つけ大声で叫んだ。「なんだ、これはーーーー」
その時、棺桶は大きな音をだし割れた。
そこにはたくさんの黄金があふれていた。

よくできた嫁の御褒美というお話か。