一年の終わりである。おおみそかだ。「みそか」は「ひそか」という意味で「月の出ないこと」をいう。十五夜からだんだん月が欠けていって、その最後がみそかになる。つまり、「つきごもり」です。「つきぐもり」がなまって「つもごり」となり、そこに大がついて「おおつもごり」となったそうだ。
とにかくめでたくもめでたくなくてもおおみそかだ。ではまた新年に。
一年の終わりである。おおみそかだ。「みそか」は「ひそか」という意味で「月の出ないこと」をいう。十五夜からだんだん月が欠けていって、その最後がみそかになる。つまり、「つきごもり」です。「つきぐもり」がなまって「つもごり」となり、そこに大がついて「おおつもごり」となったそうだ。
とにかくめでたくもめでたくなくてもおおみそかだ。ではまた新年に。
正式にはしらないが「へっこき虫」を登場させ「毒ガス」という場面を設定した。
この虫は身の危険を感じると臭いガスを出し相手を混乱させる。こういうガスを出し武器にする動物、昆虫がいる。この虫も人間風に考えるとお尻の穴からプーとやるのかと思えば、身体の脇から出るらしい。何でも人間風に考えてしまう。秋の鳴く虫も口からでなく羽根のすりあわせだったりする。
話はかなりとんで年末のテレビ再放送をみてると漫画家「水木しげる」さんが出ていた。現役バリバリ88歳だそうだ。88というと「米寿」だ。昔は70歳も生きると古来稀なことだと「古稀」の祝いをした。信長の時代は人生50年とか言ってたから。ところが最近そうとも言っておれない。古稀の上が77で喜寿、88で米寿・・・・・90で九と十あわせ卆寿、99は百から一引いて白寿・・・・・・俳人金子兜太さんは91だそうだ。最近二人で対談をしたそうだ。
ちょい俳句会の関係で松尾芭蕉を探る。
奥の細道の旅に出たのは49歳。現代だと現役バリバリですが・・・・・。あの頃は「人生50年」と言ってる時代ですし、車のない旅ですから旅の行程もかなり考慮したようです。ここで当地の気候などの情報を入れてくれたのは各地の弟子たちです。つまり芭蕉は選挙で全国区で立候補すれば、すぐ当確がでるような存在であった。この当時の西鶴や近松門左衛門は地方区の有名人で全国にはそれほど広まっていない。当時の状勢を考えると芭蕉の「俳句」がいかに広まっていたかということだ。旅の途中、馬子に色紙をねだられている話からも感じられる。
そして各地の弟子たちと「手紙」を通して情報のネットワークができていたということだ。写真は安曇野満願時。芭蕉の句碑がある。「父母のしきりに恋しきしの聲」とある。きしは雉のことである。
誠に寒い風が昨日から吹いている。今日に新聞に夏目漱石の時代の東京は結構寒かったとか書いてあった。想像するにも・・・そうだろうなと思う。
寒いから冬であって、冬だから寒いのだ。水も冷たい。その「冷たい」という語源は「ツメガイタイ」だそうだ。昔は爪と言うのは指全体を言ったそうす。現在の爪は先の部分ですけど。ま、「手が痛い」ということです。
少し強い紙で「カメレオン」を作ってみた。長い舌を出すつもりだったが「皮膚の刻み」に気がいき忘れてしまった。
クリスマス・イブだかなんだかうるさい。・・・・・と言ってもテレビの話で家のまわりは曇天で静かなもんだ。前の日からさわぐのに正月もある。正月も前の晩の紅白歌合戦とか言って夜更けまで起きてワイワイガヤガヤとやっている。前日やると言うと七夕も7月7日の夜にやらず、6日の夜にやってしまうところもあるそうだ。こういうことは古い時代のなごりではないかという人がいる。つまり昔の人は日が沈んだ時から一日が始まると考えていた名残だそうだ。つまり七夕の話は6日の夜というのは、もう7日なのだ。7日の夜はもう8日なのだ。紅白歌合戦も昔風に言えば正月元旦の行事なのだ。クリスマスは25日がイエスの降誕祭。日本の昔流に言えば前夜祭でなく、当日なのだ。
この十二月雪深い信州・白馬で農民騒動があった。文政8年、西暦1825年のことである。この年はひどい凶作で、松本の城主は年貢を半分にした。白馬から小谷は麻の産地で、この現金収入で食いつないでいた。ところが大町・松本の麻商人が足元をみすかし値引きする。米を貯蔵してるのものは庶民には売らず、酒屋に売るなどに農民の不満が爆発したのだ。藩の力も弱くなっていたので一気に抑えられなかった。。白馬から蜂起した農民は大町・池田をあらし穂高まで入ったが、ここらあたりで力を失った。白馬の蜂起にあわせ小谷の蜂起組は合体する手はずだったが、この版画の源長寺というお寺の和尚に説得され、合流をあきらめたが・・・・・不満は抑え切れず村内の金持ち、庄屋などの家を襲った。この時、北のはずれで庄屋をしていた私の祖先も被害にあっている。
そんな歴史の版画はかなり前につくったものです。