武田光弘画楽多製作日記

暇をもてあそび造形してます。作品として形としてまとめたものなどを見ていただきたい
と思っています。

やめてください・・・・

2011年05月31日 | Weblog
小学校の横の石材店の石置き場にあった新しい道祖神です。教育的に良くないと思ったのか、これだけは壁を向いて置いてありました。「やめてください・・・・と言いながら」という像ですかね。
政治の世界では、この震災後がままならないのに「管さんやめてください」運動でウジウジしているようだ。こんなことしてていいのだろうか。これこそ止めてほしい。


昨日までいじりまわしていた作品にゴッホの顔をつけて終了した。ま、良いだろう。

雨がシトシト日曜日・・

2011年05月30日 | Weblog

台風の影響か雨がかなり降った。句会を終え、広重の「雨の大橋」を仕上げてみた。雨は色糸を張ってみた。この浮世絵をゴッホが模写してる。模写といってもゴッホは独自に光を意識し明暗のハイライトをつけている。立体にしてわかることは、見せるために構図のとり方に広重は工夫している。誇張して表現してることだ。ここらも印象派の画家たちも目をとめたのでしょう。

音楽室の神様

2011年05月29日 | Weblog

この写真はマネの「笛吹く少年」です。私の小中学校の音楽室の正面に掲げてありました。あの頃は写真だとばっかり思っていました。リズム感のとれない音楽苦手な私にとって音楽室は苦手の場所でした。
ただ良かったのは分校でしたので音楽の先生がおらず、その時間が少なかったことです。ときたま本校から音楽の先生が来てオルガンを弾いてくれました。おぼえているのは当時流行った三橋美智也の「りんご村」でした。・・・・中3になって高校へ行く事になり入試に音楽があることを知り「これ読んどけ」と先生からもらった参考書で音符の名前などおぼえましたね。・・・・・そんなことはどうでもいいですけど・・・
この絵は日本の浮世絵から影響を受けている絵の一枚です。しかし、この絵は平板すぎると落選しています。一方では賞賛されますけど・・・・モネ、ゴッホ、ドガなど当時の多くの画家が、浮世絵からヒントを受けていますね。


次の作品は途中ですがゴッホが模写した広重の「大はしあたけの夕立」を立体に・・・・・です。

サは田の神様

2011年05月28日 | Weblog

近所の方が亡くなった。ごく数日前も元気だったので・・・・気が沈む。なおかつ雨模様で気持ちもダウン。そうなると創作意欲もダウン。
五月も終わりだけど古名は「サツキ」で「皐月」と書く。「早苗月・サナエツキ」の略称という説もあるが、「サ」という言葉はサオリとかサノボリとかいう田の神様に使われるから、サツキは「田の神の月」というのが正しいらしい。安曇野は田植えも終わりアルプスが映り、雨がなければ良い景色が見られるのに。そういえば少し昔には田の水入れの場所に祭った札など刺してあった。田の神様に五穀豊穣を願ったのだろうか。今はトラクターや田植え機でガンガンやるので、そういう人様の営みは消えてしまった。

マイセンマイッタ

2011年05月27日 | Weblog

 

松本美術館でマイセン磁器の展覧会を見る。あの技術に圧倒される。細かな技術の裏側にひそむ卓越したセンス、修練が見える。展示された数もほど良く・・・あれ以上見せられたら・・うんざりする。よく「鑑定団の番組」にこのニセモノが出たりする。古いものはそうとう値がつくだろうな。

骨董趣味はないが、以前田舎の家の蔵で祖先の残した骨董がないか探した。その結果、十本ほどの「書け軸」が天井からぶら下がっていた。これはいけるかも。開いてみたら明治天皇やその母君、大正天皇や天照大命の描かれたものだった。祖父母の時代には皇室に対する思いは、現代人と違う。大事に掲げていたのだろう・・・・・・・・他にはめぼしいものはなかった。松本美術館を出ると横に東京電力があった。今までき気づきもしなかった。別に建物が悪いのでもなし、そこに勤めている人が悪いでもなし。


バラバラ事件・・・・その2

2011年05月26日 | Weblog

 

東北にカードを送ろうという話があり参加した。果たしてこれを見てどうなのだろうか。・・・・とも思ったりしたが・・・・新聞に紹介されたようだ。鮮明でないが発案者の右下に私の作品が見える。・・・・・送られた作品は「被害地に手作りカードを贈ろう」で検索すると見られます。

ああだこうだと紙を切ったりして動かしていると、おもしろい動きを見つけた。右のようなものを糸でひっぱると左のようにパラパラと動くように仕上げてみた。


バラバラ事件

2011年05月25日 | Weblog

庭のバラが咲いた。このバラは去年おつきあいで買ったもので、そういうわけもあって名前も忘れた。人の話による日本人は、昔から花の名前を人の名前につけることがあった。確かに古くはウメとかキクという名前があった。サクラもあったな。

 

ところがバラは人名には出てこない。

それは日本人は濁音を嫌うからだという。なるほど。ボケとかバカとか濁音のはいった言葉は・・・・・・・・・・・あまりいい意味をもった言葉ではないな。


小国民として

2011年05月24日 | Weblog

 

朝ドラを見る。昭和18年5月・・・・幼なじみに召集令状が来た場面をやっていた。この年、この月・・・わたしは生まれたのだ。親父もあのように「おめでとう」と戦地に送られたのだろうか。わたしの友達だったK君の父は、出征途中終戦になりそのまま帰ってきた。村の中には帰ってきたら自分の墓ができていたり・・奥さんが弟と結婚していたり・・泣けない話もあった。

この写真いずこの戦地で撮りたるや豆粒大の父見つけたり


雨降る日曜日

2011年05月23日 | Weblog

 

雨がしとしと日曜日。市の公民館大会に出る。表彰式がありいただいた。私の功績と言っても、たくさんの役員さんの活躍で私があるので、、そういうことも入れて挨拶した。・・・・はやめ抜け出して帰ってきた。・・・・たら雨があがった・・・・表彰の文面を見ると記念品を贈るとあったので、若干期待したが・・・・・入れる額をいただいた・・・これが記念品かーーーーー。


骨まで愛して・・・

2011年05月22日 | Weblog

 

と言う歌が昔流行っていた。・・・・・・犬の散歩先で鳩の死骸に出くわした。この骨組を作れば面白いかなと・・・・・・・資料を求め図書館に行った。この図書館は別名「みらい」と言う。構造的には豊科近代美術館の横にできた図書館の方が面白い。ここは「きぼう」と呼ばれている。こちらを折り紙建築的にしてみた。・・・・・・骨の方は写真は平面的なので、細かいところがよくわからないのだ・・・・