武田光弘画楽多製作日記

暇をもてあそび造形してます。作品として形としてまとめたものなどを見ていただきたい
と思っています。

道祖神いわく

2011年11月30日 | Weblog
写真は今朝作ったモロである。保存用の野菜をつめた。こういうものを生涯作るとは思わなかった。・・・・ま、いいだろう。

下の写真は穂高久保田地籍の「道祖神」である。たんぼに囲まれ、祠も作られていて大事にされている雰囲気だ。
ここら安曇野は道祖神の宝庫らしい。たしかによく見るし、形もいろいろある。珍しいものはセップンしてものや、抱き合っているのもある。・・・・・いいではないか。
田園の楽園・・・だ。
道祖の「祖」は、しめす偏をとれば・・・これは男根を表すそうだ。道は・・・・・・
だんだん話がそれそうなので、これで止めだ。
下のスケッチは旧八坂村の相川というところにあった道祖神である。ここらは山間地なので平地とちがった道祖神がある。集落が絶え・・・・そこにあるものを下におろしかためて建ててあるところもある。

この世の中には金もうけのため、こういうものや仏像を失敬する人もいる。世に盗人の絶えることなし。

この世の星☆

2011年11月29日 | Weblog


日が短くなった・・・・夕方の空にオリオンが輝いている。
空の星星には、それぞれ名前がついている。・・・・・しかし、あんまり関心がなかったせいか・・・・・・よく知らない。
北斗七星くらいだ・・・・・な。
おうし座の中で肉眼でみえる星団をスバルと言うそうだ。
外国から来た言葉と思っていたが・・・・・・日本古来の言葉だそうだ。スバル・・・・すべた状態になる。・・・このスと言うのは漢字で「総べた」と書くから、数個のあつまり・・・・と言う意味かな。

聞いたことないが、信州に「スバルまんどき粉八合」ということわざがあるそうだ。
スバルが南中央にかかる頃、そばをまくと・・・・一升から八合のそばがとれると言うらしい。

昔、スバルと言う歌を十八番としてやたらに歌う先輩がいた。・・・・・またかと思いながら聞いていたもんだ。

お蚕さま・・と呼ばれて

2011年11月28日 | Weblog
あの白い虫が桑の葉をムシャムシャ食べ、口から糸を吐き出し繭をつくる。それを人間がほどいて糸にする・・・・・よく考えるとすごいことだ。
このすごいことは昔昔「古事記」や「日本書記」にも出てくると言う。「こなり」と言うらしい。こなり(蚕生り)と。
わたしの小さい頃、戦後日本の農村では養蚕が盛んだった。わたしの家でもそうだった。時期がくると家の中に棚が作られ蚕が中心の生活になる。エサは桑の葉だ。桑畑のたくさんあった。雨が降ると・・・・桑がぬれ、たいへんだった。ぬれた桑は食べさせられない。
ガサガサと音をたて、桑を食べ大きくなっていった。これをねらってネズミが出る。そこれ猫が登場する。この頃の猫は生き生きしていた。最近の猫はエサは与えられるものと思っていて情けない。闘争心がない。人間に近くなったのだ。

こんな具合だが、貴重な現金収入のもなったので「お蚕さま」と、「お」をつけて詠んでいた。
化学繊維が登場してにつれすたれていき、桑畑では桑がぬかれラベンダー畑になったりしてる。

最近遺伝子組み換えで、暗闇にあやしく光る糸をつくる研究が進んで養蚕に又目がいくようになったとか。

東北地方に「おしらさま」と言うのがある。この「おしら」というのは蚕のことであり、蚕の神さまとして、ご神体に桑の木で馬頭や姫や男女を作ったしてまつる。

版画は繭のたくさんできるようにと・・・・「まゆだま」ダンゴを作ってまつる行事の図である。

だるま大師

2011年11月27日 | Weblog
年賀状の刷りをはじめた。・・・・昨年よりチョイ減らして220枚。
一枚4色刷り・・・・ま、ちょい時間がかかりますね。
題材は正月のダルマ売りにした。
ダルマさんは実在し、インドバラモン国の王子だったのだ。「面壁9年」と言われ・・・・・壁とにらめっこし悟りを獲得したのだ。
つまり禅宗の祖だ。
それを形にし色を赤くしているのは日本独自だそうだ。
どちらにしてもめでたいもの・・・・
パチンコ店の前をとおると、写真のような看板が出ていた。
車に子どもをほってパチンコに興ずる親に警告する看板だ。これだけ見ればアレと思うが・・・・隣の看板にいけないと書いてある。

大根のゆくえ

2011年11月26日 | Weblog

秋もすっかり深まった。
畑の白菜を獲った。形もでかさも良いと思っていたが、獲ってみると軽くて中味がカサカサしたのとか色々だった。これを出荷となれば・・・・・かなりはねられるだろう。
こちらは自家製だから食べられたらいいのだ。
今日は大根を抜こうと思いながら・・・・・なかなかコタツから抜けない。

大根は古代エジプトから食していたとか・・・・日本ではここのところ他の野菜に押されて耕作面積は減っているそうだ。
今は年中売っているが、大根と言えば「冬」・・・・・「冬」の季節代表なのだった。

あの白さは「きよきもの」として日本では「神事」にそえられる。
小さい頃、お月様に大きな大根をそなえた覚えがある。
神社の祭りなどにも大根はそなえられた。最近はバナナとかパイナップルなど色々だけだ。
あの白さが大事なのだ。

神社と言えばお寺。京都の了徳寺は・・・・・別名「大根たき寺」と言う。ここではこの時期3000本の大根をたき、参拝者に食べていただくそうだ。この歴史は750年前から続いている。・・・・・・・
親鸞上人がこの寺に寄ったところ、住民が塩煮の大根をさしあげたところ・・・・・親鸞上人が大層喜ばれた・・・・・・そこからはじまったそうだ。

酒のしこみ

2011年11月25日 | Weblog
見上げる常念岳に雪が見える。たしか2000数mの安曇野の山だ。
山が白くなると鳥たちが降りてくる。
昨日はヒヨドリが庭に来ていた。
新米も獲れ・・・酒造りも始まった頃だ。



昔、中国に慈童と言う人が菊の葉からしたたる露で霊薬を飲んだところ、700年たっても少年のままだったと言う。・・・・お酒に「菊水」と言う名がある。そこから来たらしい。

木曽の「七笑」と言うお酒がある。これを「セブンアッハハ」と言って悦にはいっていた先輩がいた。・・・・一応、面白いとしておいた。

言葉も時代に乗るのだ

2011年11月24日 | Weblog

落語家の立川談志さんが亡くなったそうだ。
落語家にもいろいろな人がいるが異色の人だったらしい。
談志さんの弟子の高座を聞いたことがある・・・・・・前に公民館でよんだ地方の落語家の話を聞いた後だったので・・・・・・全然ちがうのに気がついた。笑いをとろうと苦労するあせりの姿の方がおもしろかった。
間のとり具合とか・・・・・・話術の巧みと言おうか。
その弟子の師匠だから、これは際立っているのだろう。

古典落語の舞台は江戸の長屋の皆さんだ。「亭主」とか「女房」などの言葉が飛び交う。
「女房」ってのは、もともと宮中の女官を指している。高校の時、苦手な古文の授業で知って「へーーーー」と思ったものだ。それがそこらの長屋にいる「家のかみさん」となったのだ。
「亭主」は、もともと茶道の言葉でお茶をたてる人のことであった。それが家でゴロゴロしてる親父になったのだ。こちらもえらく変ったものだ。

そんなこと書いてある本を読めば・・・・・・「喫茶」と言う言葉は、鎌倉の禅僧が、茶をたしなむに使った言葉だそうだ。これはマアそういうことだ。


勤労を感謝する日

2011年11月23日 | Weblog
祝日である。
日本には古くから農作物に対する感謝をあらわす秋の祭りがあった。そこから生まれた「にいのめ祭」と言うものがあった。もともとは宮中の行事だったが・・・・戦後、その日が国民の祭日となった。
昨晩、地区公民館でやっていた年賀版画教室を4回やって終わりとした。その時の作品の一部である。やらないよりやる方いいだろうという心境だ。

明けて今日はマレットに出かけた。
ホールインワンが一回出た。全体的には「雨降り、曇り時々晴れ」と言う成績だった。帰りにブータン国王夫妻の話をした。
今、読みかけの「万葉集の謎」という古い、祖父の買ったらしい本を読んでいる。
この本の出版は昭和30年・・・・・ネパールとブータンの谷に「レプチャ人」が住んでいて、日本の万葉時代にしゃべった「万葉言葉」を遣う民族がいる・・・・・日本語の起源はここではないかと言う本である。



チベット語では「万葉集」の「マン」は「歌」と言う意味で「ヨウ」はレチャップ語で「優れた」意味で。「シュウ」はレチャップ語で「集めたもの」と言う意味だそうだ。

暮れ市

2011年11月22日 | Weblog

そろそろ自分の年賀状と思い・・・・・試作した。
正月の風物・・・・神社境内でのダルマ売りの場面を・・・

昔、昔、商店が街道筋にない時代・・・・・まだチョンマゲが消えるか消えないかの時代・・・・・・街道で年の暮れに二十日市、二十五日市がたった。これを「暮市」といった。自給自足だった農家も正月用品で手にはいらないものは、この市で手に入れた。
俗にいう塩の道・・・新潟・糸魚川・・・松本の間もそうであった。
この市の人の出はすごく、商品の流通も大量だったと言う・・・・やがて
村に店ができ、道が良くなり行き来がひんぱんにできるようになると・・・消えていった。

当時のお医者さんの治療代金薬代は「お盆」と「暮れ」にはらっていた。お医者さんもこの人の出を利用して集金していたという。

姫の里から・・・

2011年11月20日 | Weblog
葬儀があって新潟・糸魚川まで出かけた。
故人には悪いが・・・最近長距離を乗ってないので長かった。途中県境で小便タイム。
その時撮った写真です。ここの河原は50年前・・・プールのないわれら子どもの遊び場だった。昨日の雨で増水してるのは姫川と言って、普段はおとなしいが時に大暴れする場所だ。流れは以前とずいぶん変わっていた。当時は直線に山にぶつかって、そこが深くなり結構もぐれた。
上流のダムが時々放流する。気がつくと逃げるがボケーとしてると流され、この淀みにまきこまれる。
ある日、S君が逃げ遅れここにまきこまれた。つまり渦になっているのだ。なかなか浮かんでこない。みんなが最悪の事態を考えはじめた・・・・・とヒョイと浮かんできた。
「河童にひきずりこまれたみたいだった」・・・とか。
(やっぱり、当時は河童はいたのだ。)
会場は糸魚川市だ。ここには古く「奴奈川の里」と言われ、お姫様伝説もある。「古事記」「出雲風土記」にも出てくる。歴史のあるところだ。つまり古代のロマンが売りだ。・・・・・そうそうヒスイなども売りだ。