武田光弘画楽多製作日記

暇をもてあそび造形してます。作品として形としてまとめたものなどを見ていただきたい
と思っています。

きつね

2008年02月29日 | Weblog
きつねの出てくる昔話は、ずる賢く人を化かしたりするきつねが登場する。

それはきつねに乗った女仏が村々をまわってだまし歩いたというインドの話がもとらしい。また神様として祭られたのは、もともと日本に「みけつ」という女神様がおり、きつねの古い呼び名「ケツ」とむすびついた神様になったそうだ。

K-TAI

2008年02月27日 | Weblog
携帯電話がこんなに世にはびこるとは想像してなかった。
小さい頃は村に一台の電話しかなかった。ま、そんなに使用することの必要性も少なかったけど。よほどの緊急は電報できた。
テレビも電話で見れるようだし、これからどうなるの?という感じだ。
手塚治虫の漫画に腕時計の電話が出てくるのがあるが、時代はそうなったのだ・・・・・

杭州風景

2008年02月26日 | Weblog
水路のある街も風情があっていい。
4年ほど前に行った中国の杭州をイメージしている。かなりバスに乗って「紹興」へ行った。酒工場?を訪問した。ここでも酒はやはり「水」だと言っていた。
ここで飲んだ紹興酒はおいしかった。沖縄で焼酎飲んだ時も感じたが・・・・帰って飲んでもちょい違う感じがした。そこの空気やなにやらが醸し出すものが大事なのだと思った。
日本に入ってくる紹興酒は台湾産が多いと言われて、ラベルをこっそり見たりするが、どっちにしろ生まれたところでいただくのが一番でしょう。

紙漉き・・3

2008年02月25日 | Weblog
この前漉いた和紙が送られてきた。何に使おうか考えているが貴重品だと思う簡単に使えない。そう思って前もどこかにやってしまった経験もあるし・・・・・
写真は「こうぞ」を外でさらしているところです。

小さい頃、冬に村のはずれ川の側で釜をたいて大きな桶をつかって作業していた風景を思い出す。「こうぞ」を煮てる・・・と思ってが、紙漉きの工場もなかったので、麻かな・・・・・。
当時はまわりで火遊びして遊びまくっていた。
麻の話・・・・苧を績み、麻で布を織る・・・それは昔の女性の一人前の技術であった。

鐘の鳴る丘・・ようやく立体

2008年02月24日 | Weblog
十数回失敗を繰り返し、一応完成。ライトで浮かびあげると雰囲気的にはどこかの高級ホテルみたいになってしまいました。

昨日の午後は句会に参加し、出した短歌に一応二首は票がはいったのですが、残り一首は誰も選んでくれず残念。
夜は人権学習に顔を出してきました。いいのかなこんな講師でという感じです。

星めぐりの歌

2008年02月22日 | Weblog

マーケットの魚コーナーに「サンマ」があった。
サンマと大根おろしをいっしょに食べるとおいしい。
DNAレベルでは、六億年前はほとんど同じで、ひとつは「僕は海で生きよう」といって魚になり、サンマに成長した。もうひとつは「僕は陸の上で生きよう」と大根になった。食卓で六億年ぶりに「こんにちは、ひさしぶりーーー」とあったのだから、おいしいはずだ。と宇宙のことを書いた本にあった。

紙漉き・・2

2008年02月21日 | Weblog
厚さのちがう内山和紙をカッターで筋をいれ、それを重ねてランプシェードにしてあります。二枚をずらすことで膨らみも加減できますが・・・
昔のことを考えると、行灯などはこんなやさしい光だったかもしれません。
これを基礎に、斜めにカッターをいれて全体の形がおもしろくなる段階にはいります。

紙すき認定

2008年02月19日 | Weblog
雪の降りしきる飯山で二日間紙漉きを実習してきました。役に立つのかわかりませんが2級の認定書をもらいました。
飯山は内山和紙が有名ですが、だんだん時代とともに紙漉きの軒数も減り、後継者の悩みも多いとのことでした。ちょっとくらいしかやりませんでしたが寒いなか作業は大変だということを実感しました。
「こうぞ」から、白い紙を作り出す・・・この工程を見させてもらって、これを発見する・・・・大昔の人たちのすごさにもあらためて感じました。