武田光弘画楽多製作日記

暇をもてあそび造形してます。作品として形としてまとめたものなどを見ていただきたい
と思っています。

聖徳太子の残したもの

2011年10月31日 | Weblog
聖徳太子は有名人である。むかし八坂村という山間の学校に赴任した時、太子を祀る社があって・・・・太子信仰の広さをあらためて知りました。
そういえば私の生まれたところにも聖徳太子の石碑があった。
この写真は大工さんの使う「さしがね」というものさしだ。「曲尺」ともいう。そういえば大工さんもそんなに使っているところ見ないな。写真は私が工作に使ってるものだが、片方が短く、目盛りも裏表同じで本来の曲尺とは言えない。

これは幾種類のものさしが日本に伝わって来た時、聖徳太子が「これがいい」と言って広まったとか。嘘か本当かしらないが・・・さしがねをもった聖徳太子の像までもあるとか・・・・

これは便利なものさしだ。たとえば円の円周を計る時、これを当てて直径を計る・・・裏返しにして直径の長さのところを見れば円周がわかる。・・・・・円周率など知らなくとも・・・・すぐれものだ。

ある間隔を七等分するのもたやすくできる。これが偶数だとわりとかんたんだが・・・七とか九とかは難しいのだけど。

家相の占いもこれでやったようです。そういえば結構いまでも方角はうるさいですね。

まったく昔の人の知恵にはかないませんね。

しなのの国

2011年10月30日 | Weblog

このみあげる大きな木は「しなのき」である。版画ではこれをベニヤにしたものでお世話になっている。

もう少し前だと紅葉できれいだった。長野県の県木は「しらかば」であるが・・・・・「しなのき」を押す植物研究家などもいたが・・・・公募で負けた。
しらかば以上に長野県にはゆかりがあるのですが・・・・・

「信濃」と言うのはどこから出たか?
なぜかと言うと「シナの木が多く、それを衣服など作った・・・」そこからと言う説がある。
長野県には「シナ」と言う名のつく地名がある。「サラシナ」とか「ニシナ」「ホシナ」とか。この「シナ」・・・・・「サラシナ」は衣服にするためにシナの皮をさらしたところとか・・・・・・
「シナ」と言うのは「段丘」と言う意味とだと聞いたこともあるが・・・
次の木は「かつら」である。木彫などに使われる。
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版画講座

2011年10月29日 | Weblog
埼玉のNHK文化センターの講師の方から、本の紹介をいただいた。
その中に講座の展覧会の様子など入っていた。
あちらはかなり盛況の様子である。
さて、こちら松本NHKは昨日3名の方来られ、今回は6名である・・・ひとり欠席。



あんまり多いと手がまわらないが、少ないとこれまた物足りない。
急に背伸びしてもはじまらない。

H小学校から、版画の実技指導の依頼がきた。・・・・ま、その準備でもしようかというところ。

零余子

2011年10月28日 | Weblog
ムカゴをもらった。漢字でかくとチョイむずかしい。
実は現物は知っていたのですが、ムカゴと言う名前は始めて知りました。
ご飯に入れて炊くとおいしいとか・・・・・小さい頃は、芋の子とか言ってたかも知れない。・・・・ま、この歳になっても知らないことは結構あるのだ。

俳句の季語集にも秋のところに載っている。

来年のカレンダーを作り始めた。立体であるうえ数が多いのでボツボツやらないと、ニ三度あきがくるので・・・・・・

江戸のデザイン

2011年10月27日 | Weblog
江戸つ子はきっぷがいい。宵越しの金は持たねえ。・・・・とか言う。
なんか・・・こういう気持ちがアチコチに見られ・・・現代にない生き方のセンスがありそうだ。
この模様は「青海波」(seigaiha)・・・このパターンは江戸時代好まれ、これは波ですが菊とか花とかパターンもあります。
これは「網目」と言うパターンで、魚をとる網からきてます。
これは「よろけじま」と言ってヨロヨロと線が走っています。当時、水野忠邦の「ぜいたく禁止令」が出ると渋いもの、格子のガラが流行りました。そのひとつですが、縞をヨロヨロとするあたりが江戸の心意気かな。
これは「かごめ」です。たしか竹で編んだかごの模様でした。こういうのでニワトリ飼ってました。・・・・昔ですが・・・・

こういう模様はもちろん着物のガラですが、繰り返しやシンプルなのが好まれたようです。そして全体的には渋い好み・・・・紅色な派手なものは着物の裏地に使っていたようで・・・・と言うと昔、私を悩ましたオニイチャンたちの学ランも裏地にこっていたな。

秋の七草余話

2011年10月26日 | Weblog



秋の野に咲きたる花を指折りてかき数ふれば七草の花
山上憶良の「秋の野の歌」だ。春の七草は食用が多いが、秋は鑑賞が主ということかな。
このうち「萩」は県下の10種類もあり、萩の宝庫だそうだ。そういえば色のちがうのがあるな・・・・という程度だから、そう萩の話をする資格もないのだ。

漢字の本家中国では「萩」はヨモギ類の漢字であったが、秋に花咲くので日本ではハギにこれをあてたらしい。・・・・この方がわかりやすな。
春には椿、夏には榎、冬には柊と・・・・・

のぼーる・・・野球

2011年10月25日 | Weblog


秋はスポーツの秋とも言う。
東京六大学野球は明治大が優勝したようだ。このリーグはなんていっても早慶戦だ。・・・・慶早戦という慶応出身者はいう。
・・・・とにかく他校が優勝しても、最後は早慶戦を組んでいる。

最近はいろいろなところでリーグ戦ができ、実力的には東京六大学はそう高くはないようだ。優秀な選手が分散したのだろう。よくわからないが東京大学も加盟して、いつも最下位だ。ときたま勝つと負けた方は最大な屈辱であるようだ。

信州でもこの秋に好成績の地球環境高校が春の選抜に出そうだ。最近力をつけて古豪をぶちやぶっている。通信制の高校だ。

時代は叙叙に変わっていくということかな。

あの野球好きな俳人・正岡子規の本名は「ノボル」というそうだ。

正月のかたち

2011年10月24日 | Weblog
正月にはどえらく早いのですが、文化祭のワークショップ用に準備しました。
鏡餅です。

なんで鏡と言うかと言えば、ご神体とされる青銅鏡が丸いから。鏡と言うのもそれ。
大小ふたつ重ねるのは「福」と「徳」を重ねている。三つ重ねや四つ重ねもある。
四つは仏界の「地水火風」から来ているとか。

ま、地方によって形はまちまちで江戸時代の武家では「かぶと」や「よろい」を飾り、その前に鏡餅を飾り・・・・・それを「具足餅」と呼んだとか。

滅びた独裁

2011年10月23日 | Weblog
まったくたまったものではない。
しかし、滅びはじめると止められない。あの巨大なローマ帝国であっても壊滅は速かったと言う。速い速いと言っても苦しんで人達にとっては、それまでの時間は気が遠くなるほど長い。
独裁者は周囲を信頼せず、特異の猜疑心が強い傾向にあるようだ。自分の言に従う者を集め、かっての同志を反逆者として処刑したりして自分の地位を固める。

かの中国の洪武帝もその代表で・・・・・・1380年同志を反逆罪の罪で処刑。連座して殺された人1万5千。それが10年後にむしかえされ1万数千人が処刑。それから3年後、違う同志が粛清にあった。この時は2万の人が処刑されたと。

世界の歴史には現在と同様なことがあるのだ。

こういうむごい話とは異次元な写真です。

農事・・・ことわざ

2011年10月22日 | Weblog
写真はわが畑の白菜とキャベツだ。
予想を反して出来がいい。もちろん無農薬。
もっと苗を増やすべきだった。・・・・残念

野菜の種まきの時期をはずしてしまうことが多かった。他所の畑の野菜を見てまいてるので、ひといき遅い。・・・・長年の経験にはかなわない。
畑が道路ぞいなので散歩で通る知り合いの人が多くアドバイスをもらったり、来年の種までいただいた。

そこで農事のことわざ

唐辛子の赤くなる場所はなにを作ってもよくできる。
田を作るより畦作れ
菜まきは白露
サクラ切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿


昔の農事余話

十日夜(toukanya)は旧10月10日である。お百姓さんはこの日までに秋の取り入れを一切片付けることを目安にしていた。
そこには「案山子上げ」とか「道具上げ」という言葉があった。
そして御祭りがくるのだ。・・・・・・・今は違いますけど