武田光弘画楽多製作日記

暇をもてあそび造形してます。作品として形としてまとめたものなどを見ていただきたい
と思っています。

にがうり

2009年08月31日 | Weblog

「苦瓜が 伸びて二階で こんにちは」去年の種がこぼれて苦瓜がぐんぐん伸びて実をつけた。食べ残しがオレンジ色になって赤い種がボトボト落ちる。こういう色になるのだと初めて知った。青くごつごつした「いぼ」のままと思っていが・・・
温暖化のせいか・・・沖縄の植生だというのに。

ウリの話。大昔は果物が少なくて、瓜は果物のランク最上だったらしい。うり畑をながめる「ウリ見」があったとか。
京都の桂は「うり」の産地で、ここを「ウリ見」の場所にしょうと建てたのが「桂離宮」だと。ようするに貴族のわがままなのだ。

たまむしのずしのものがたり

2009年08月29日 | Weblog

それは昔のことでございます。奈良の法隆寺に「玉虫の厨子」がございます。厨子と言うのは仏さまを納める両扉の箱でございます。現在は長い年月が経って黒ずんでいます。この厨子を作ったのは若麿という若者でした。若麿はおとめと将来むすばれるために、いい厨子を作ろうと一生懸命でした。そして玉虫の羽を使うことを思い立ち・・・苦闘の結果、すばらしい厨子ができました。最初はおとめとむすばれるため世に認められることでしたが、その作る工程で神を越え、仏を越えた「美」の境地の達し・・・・・・何処となく姿を消したということです。後に厨子は法隆寺に納められたということです。
玉虫は最近みませんね。小さな頃カブト虫と樹液を吸ってましたけど・・・

女先生・・・

2009年08月28日 | Weblog

「こんなステキな先生いたんですか?」と聞かれた。「理想です」と答えた。
でも当時のこども心にはステキに思えた部分はあったのでしょうか。小1、2の担任は女性の先生だった。後はズーーーと生涯男性の先生だった。
当時は山奥の学校は夫婦で赴任してこられ、ふたりで教壇にたたれていた。当然先生のこどもも生徒の中にいた。
なんだか知らないが、いろりのある大きな教室でダンスを先生に教わった場面をうら憶えにある。・・けど夏目雅子や高峰秀子とは違うような気がする。

むかし話

2009年08月27日 | Weblog

耳なし芳一(未完)やになって放ってしまった。むかし話のついで・・・・
わたしの生まれた村の奥に横川という川がある。まさに人のこない清流だった。ただし、現在は砂防提ができたりして、面影はうすれた。ここの水遊びは冷水にはいるごとくだった。当然水底には魚がくっきり見えた。数件人家はあったが地すべりで皆土地を離れた。この川で魚を獲っていた男に、旅の僧が「たくさん獲れたかや」問う。男は「一匹も獲れねえよ」とみすぼらしい姿をした僧に、さげすむようにうそを言った。僧はその態度に一枚の札を川に流した。それからは魚が一匹もとれなくなったと。この僧は弘法大師であったと人はうわさしたという。むかしも今も人も来ぬ山奥まで弘法大師信仰の話が残っている。

朝顔の話

2009年08月26日 | Weblog

めっきり朝方肌寒く・・・秋って感じだ。安曇野では早いところでは稲の収穫がはじまった。昔、保育園だったところに朝顔がこっそり咲いていた。毎年種がこぼれ続いているらしい。朝顔は奈良時代に中国から入ってきたらしい。その頃は今の桔梗を朝顔と呼んでいたらしい。その後、むくげが朝顔と呼ばれ、その後今の朝顔が朝顔と呼ばれたらしい。らしいの連続だ。だから万葉集の朝顔と江戸時代の俳句にでてくる朝顔は違うのである。長い長い年月の話である。

へっころ

2009年08月25日 | Weblog

わたしの生まれたところであるので、依頼があるとドンドンやらなきゃあ・・・と言う気持ちで法被2作目。小豆色・・・小豆と言えば「あんこ」を連想する。それは昔は貴重品である。
今は信州のどこでも「おやき」の店がある。縄文とかなんとか名前をつけて売り出している。
私の小さき頃食べたおやきの「あん」は「オカラ」と「菜」である。昔は「大豆のあん」など天皇様でもなけりゃ食べられないと言われていた。米のできない土地なので「おやき」は日常食だったのだ。お客が来れば大根葉を油でいためていれた。おやきに似たのに、へっころがあった。粉をねっていろりの灰の中にいれておく。するとふっくら焼きあがる。まわりについた灰を吹きながらたべるのだ。

滝廉太郎

2009年08月24日 | Weblog
作曲家滝廉太郎が生まれたのが8月24日である。昔、音楽室の壁に白髪のパーマをかけたバッパなどと一緒に写真(絵)があった。「荒城の月」など歌って、これが滝廉太郎の作ったものだと教えられた。
廉太郎は大分県の竹田で荒城と化した岡城址で少年ころハーモニカをふいていたという。自分の未来への夢を見ていたのだろう。
父は役員で「政治家になるか、軍人になるか、役人になるか。下人、河原こじきのやる芸事なので一生を過ごすなどともってのほかだ。」(表現上問題ある言葉だと思いますが、そのまま使いました)と父は音楽への道を反対したという。
写真のお城は版画家関野準一郎の作品です。風景版画がすごく、よく参考にさせていただきました。このお城は弘前城です。滝廉太郎とは関係ありません。

はっぴい1

2009年08月22日 | Weblog

出来上がってみると、白地に青は「大漁旗」のイメージかな。
花畑にとんぼがいた。秋だ。
ドイツ語ではマツムシ、スズムシ、コオロギはすべてグレルと言うらしい。これはおおざっぱだ・・・と思うが、国民性のなせることだ。日本人は四季豊かな自然にかこまれいるので自然への愛が深いのだろうか。くれぐれも言っていくが、ドイツ語がすべてこうではない。昆虫にかぎればということです。ドイツの人に「こんなこと言うのはどこのドイツだ。」と怒られてしまう。