武田光弘画楽多製作日記

暇をもてあそび造形してます。作品として形としてまとめたものなどを見ていただきたい
と思っています。

白い馬・・客待ち

2007年11月30日 | Weblog
ハンガリーの一場面です。
客待ちする馬車です。馬をひきたてようと、後景を1色でまとめてみました。

馬の白がまたロマンチックで客を呼ぶのでしょう。しかし、そんなに客はきません。赤ら顔で白ひげの軍服のような服をきたおじさんが「写真撮ってもいいよ」と言っている。
そんな観光地の一コマです。

今日の夜は年賀状版画講座2日目、熱心さに押され2時間30分ほどやりました。

わたしと小鳥とすずと

2007年11月29日 | Weblog
わたしが両手をひろげても
お空はちっともとべないが
とべる小鳥はわたしのように
地べたをはやく走れない

わたしがからだをゆすっても
きれいな音はでないけど
あの鳴るすずはわたしのように
たくさんうたはしらないよ

すずと、小鳥と、それからわたし
みんなちがって、みんないい         金子みすず詩集より

木曽五木

2007年11月28日 | Weblog
木曽五木といえば、ヒノキ・アスナロ・サワラ・ネズコ・コウヤマキですが・・
赴任先の木曽を出る時、保護者の方から記念にと苗木をもらいました。庭に植えたのですが
月日が経つにつれ大きくなり、一本、一本と切りました。
最近まで、二本残っていたのですが、庭に別の木を入れることで、邪魔になると全部切り倒してしまうことになりました。

せっかくの木ですので、小細工してみました。昨日の雪んこもそうです。

雪ん子

2007年11月27日 | Weblog
いよいよ、冬将軍の到来の季節になった。
私の小さい頃に比べ、雪が降る時期も量も、だいぶ変化してきた。

雪の季節は、今みたいに長靴が簡単に買えない時代であった。当然わらぐつで、私のところでは、「スッペンジョ」と言っていた。はじめて買ってもらった長靴は、本当に待望のもので、たしか「三つ馬」とかのメーカーで、馬の顔が三頭のマークであった。

三人の雪んこは、右端は私が小学校6年ころ、作ったもので。後2体は2年前に作ったもので約50年の差がありま・・・・・・す。

越後ごぜ

2007年11月26日 | Weblog
「ごぜ」とは、目の不自由な女旅芸人のことである。時代は江戸時代・・・越後では高田、今の上越市に取り締まる役所があったという。越後から街道づたいに信州に入ってきたのだろうか。
多くは目の見える女性に導かれ3,4人で村々をまわり、門付けをして三味線を弾きはやり唄など唄いながら生活をしていたという。(大正時代に入ると、姿が見えなくなった)唄の中には、時代を映した「新発田様へは上納できぬ。田地売ろかや、子ども売ろうか・・・」など当時の年貢や不作続きでの生活の困窮を唄ったものがある。そうものの本に書かれている。
想像して彫ってみました。コンパネを使い暗く画面を押さえてみました。

山嵐欣平 その3

2007年11月25日 | Weblog
この時代、ペンは何を使っていたのだろうか。Gペンかな。黒は墨汁だったのだろうか。
青いインクらしきものもあり、祖父の使っていたものをかすめたのかな?
紙がなくなると村唯一の農協の売店でわら半紙1枚50銭で買った覚えがある。
製本に、しっかり糸で綴ってあるのが何ともいえない。

この頃、雑誌に投稿した覚えもある。当時、結構、夢中になっていたのだ。しかし漫画家になりたいとかは全然思っていなかったのだ・・・・。

しかけのあるカレンダー

2007年11月24日 | Weblog
前からボチボチやってきたカレンダーを終わりにした。
仕掛けを版画を使って織り込んでみた。紙の重なりがあるので、ここらへんが工夫どころかなと思いつつ・・・・・
ここ20年くらい、毎年版画のカレンダーをつくっているが、だんだんチマチマとしてはきてるな・・・・と思いつつ。

山嵐欣平 その2

2007年11月23日 | Weblog
続きです。
たぶん、この頃は力道山がプロレスで登場し、プロレス漫画が出てきた時期でしょうか。その影響でしょう。後にテレビが出現し、プロレスの出血を見た人が心臓麻痺おこしたとかは(高校の同級生のおやじさんがそうでした。)たぶんこれを描いた2,3年後でしょう。
力道山は北朝鮮籍であったというのも、後で知りました。が、とにかくヒーローでした。
相撲も、朝潮とか琴ヶ浜、大内山とか個性的な力士がいました。テレビ時代前は新聞は取り組みの様子を分解写真で載せていました。4コマくらいで。それを見ながら流れを想像してましたね・・・・

小松崎 茂

2007年11月22日 | Weblog
ハンガリーに一緒に行ったイラストレターの方と「さしえ画家」の話をした時「小松崎 茂」(呼び捨てします)の話がでました。
その方は私と一まわりくらい若いので、その後話した「山川惣治」「伊藤彦造」はピンとこないらしい。私の生まれる前から活躍していた「さし絵画家」ですから、絵の好きな私の少年期は憧れで、盛んにまねしたものです。現在、パソコンで見たりできますが、デッサン力、ペンの冴えなど「すごいなあ」と今もあらためておもいます。
この作品は小松崎茂、65才の作です。1980年に描かれています。
「移動海上エアポート」です。
この他の作品の描かれた分野は驚くほど広いです。
なつかしいですね。そのひとこと。

山嵐欣平

2007年11月21日 | Weblog
これは私が中学一年の時に描いた漫画です。「よくとってあるな」とお思いかもしれませんがあるのです。
中一と表紙の書いてありました。
たぶん、まだテレビが家庭に入っていない時代ですから、こんなの描いて楽しんでいたのかもしれません。この頃福井庄一「イガグリくん」といった柔道漫画や、講道館の柔道をあつかった絵物語があったので、その影響かもしれません。
手塚治虫の漫画に出てくるキャラクターも出てくるので、手塚治虫の漫画もみていたのでしょうか・・・・・・・ノートのはしをねずみがかじった痕がありました。

今の子どもの方が、はるかにうまいですよね。