国芳と言う絵師は猫の絵をたくさん残している。猫が大層好きだったそうだ。表情もしぐさもこまやかだ。私は特に猫好きではないが、猫の絵を描くことがある。ヒマにまかせて我が家の猫を化け猫にしてみた。
迷惑な話だ。ニャんとも言えない。
迷惑な話だ。ニャんとも言えない。
最近、浮世絵っていったら「国芳」が一位だ。写楽がブーームになった時期もあった。
確かにその画力はすごく、幅も広い。
これは国芳の「寄せ絵」と言う浮世絵の分野だ。ま、あそび絵とも言える。これは幾体かの人体で顔を構成している。全体はあごをしゃくって額にはった紙をフッと吹いている図だ。
顔全体はポパイに似てる。眉毛はふんどし、目はお椀、まげはかなづち、ひげはいれずみ・・・・など。
書いてある文字は「人の心はさまざまのものだ。いろいろくふうしてよふよふ人一人前になった」とある。
こういう文字は読みにくいが慣れることだ。
他にも国芳の「寄せ絵」ある。ま、版元と打ち合わせて人を驚かせる。そういうところもあったにちがいない。
これがヨーロッパにもある。有名なのは15世紀のイタリア人画家アンチボルトだ。果物や花で顔を作ったりしている。当時キチンとした芸術にあきた貴族の世界でもてたらしい。だから芸術というより「遊びのための遊び」なのだ。
芸術は高度の域に達すると、こういう変貌を追求する人たちが現われるのかもしれない。
これはインドの古い時代の細密画の一部を模写した。この馬も小動物で構成されている。それぞれ影響を受けているのか不明なれど、こういうことは自然に発生するのかも知れない。
(深く研究もしてないので、質問されてもお答えできません)
確かにその画力はすごく、幅も広い。
これは国芳の「寄せ絵」と言う浮世絵の分野だ。ま、あそび絵とも言える。これは幾体かの人体で顔を構成している。全体はあごをしゃくって額にはった紙をフッと吹いている図だ。
顔全体はポパイに似てる。眉毛はふんどし、目はお椀、まげはかなづち、ひげはいれずみ・・・・など。
書いてある文字は「人の心はさまざまのものだ。いろいろくふうしてよふよふ人一人前になった」とある。
こういう文字は読みにくいが慣れることだ。
他にも国芳の「寄せ絵」ある。ま、版元と打ち合わせて人を驚かせる。そういうところもあったにちがいない。
これがヨーロッパにもある。有名なのは15世紀のイタリア人画家アンチボルトだ。果物や花で顔を作ったりしている。当時キチンとした芸術にあきた貴族の世界でもてたらしい。だから芸術というより「遊びのための遊び」なのだ。
芸術は高度の域に達すると、こういう変貌を追求する人たちが現われるのかもしれない。
これはインドの古い時代の細密画の一部を模写した。この馬も小動物で構成されている。それぞれ影響を受けているのか不明なれど、こういうことは自然に発生するのかも知れない。
(深く研究もしてないので、質問されてもお答えできません)
この図は酒造りの杜氏さんの図だ。
桶で作るなど昔の話で、今は化学工場みたいなタンクで作っている。杜氏さんの歴史を調べればもっと酒が好きになりそうだ。
地搗唄である。建物を建てるに地盤を固めなければならない。
ま、簡単に言うとヨイトマケを連想してもらえべば結構。
次は「ものつくり」だ。ここまで描くのもあるし、文字だけのもの造りもある。正月十四日の夜に書いてはる。もうすっかり消えた行事だ。くるみの木などで実際小型のくわなど作るところもあったようだ。ま、豊年満作を祈ったのだ。
最後は「木遣り唄」だ。諏訪でやるのは死者も出るくらいの荒々しい、豪快で有名。他のはもう見れないが、木遣りだけはまだ見れる。
それではごきげんよう。
桶で作るなど昔の話で、今は化学工場みたいなタンクで作っている。杜氏さんの歴史を調べればもっと酒が好きになりそうだ。
地搗唄である。建物を建てるに地盤を固めなければならない。
ま、簡単に言うとヨイトマケを連想してもらえべば結構。
次は「ものつくり」だ。ここまで描くのもあるし、文字だけのもの造りもある。正月十四日の夜に書いてはる。もうすっかり消えた行事だ。くるみの木などで実際小型のくわなど作るところもあったようだ。ま、豊年満作を祈ったのだ。
最後は「木遣り唄」だ。諏訪でやるのは死者も出るくらいの荒々しい、豪快で有名。他のはもう見れないが、木遣りだけはまだ見れる。
それではごきげんよう。
多分、黒枠は葬儀を連想され縁起が悪いと言われるかもしれない。明治末期から戦後までの小川未明の童話のさし絵を描いた「茂田井 武」さんが亀甲型のフレームを使い、その中に童話の世界を描いている。
これはやってみる必要がありそうだ。・・・・・ということで版画でやってみたがうまくいかない。ペン画で3点作ってみた。題材は「民謡」だ。民謡と言っても、田植え歌とかの仕事うただ。
今後の展望ありや?
そう考えながら千社札2枚つけたした。
これはやってみる必要がありそうだ。・・・・・ということで版画でやってみたがうまくいかない。ペン画で3点作ってみた。題材は「民謡」だ。民謡と言っても、田植え歌とかの仕事うただ。
今後の展望ありや?
そう考えながら千社札2枚つけたした。
その昔、お盆から秋の例祭にかけお堂にやぐらが作られ、夜になると盆踊りがおこなわれた。
お盆で帰ってきた人も参加し、にぎやかに踊っていた。
若い男女の社交場であったかも知れない。
歌の中身はいろいろだ。
♪「お月さまさへ夜歩きなさる あるじの夜遊びむりはない」
・・・・というようなものが記録として残っている。たくさん残っているが、それはみんなに受けたものだろう。
わたくしの記憶にまだ鮮明に残っているのは
♪「せんせがだしたか よう出した・・・」と言う文句だ。
なぜ、今まで頭に残っているのか?
それは先生をからかった内容だからだろう。内容からからすると、そんなに悪意はないだろうが「ご祝儀を先生早く出せ」とからかっている。当時山奥の村へ家族で赴任してくる先生は高い高い尊敬の的であったのだ。
ちょい衝撃的だったのだ。
これは、調べても載っていない。誰かが歌いだして続いていく盆踊りだけど・・・・・受けないのはその時だけとなるのだろう。
夜は奥様おでかけで作ってくれたカレーライスを食べる。カレーライスと呼ぶのはカレーとライスが別々になっているを呼ぶのであって、ライスカレーと言うのは店では300円位のごはんの上にカレーが乗っているのだそうだ。我が家のはライスカレーと呼ぼう。
お盆で帰ってきた人も参加し、にぎやかに踊っていた。
若い男女の社交場であったかも知れない。
歌の中身はいろいろだ。
♪「お月さまさへ夜歩きなさる あるじの夜遊びむりはない」
・・・・というようなものが記録として残っている。たくさん残っているが、それはみんなに受けたものだろう。
わたくしの記憶にまだ鮮明に残っているのは
♪「せんせがだしたか よう出した・・・」と言う文句だ。
なぜ、今まで頭に残っているのか?
それは先生をからかった内容だからだろう。内容からからすると、そんなに悪意はないだろうが「ご祝儀を先生早く出せ」とからかっている。当時山奥の村へ家族で赴任してくる先生は高い高い尊敬の的であったのだ。
ちょい衝撃的だったのだ。
これは、調べても載っていない。誰かが歌いだして続いていく盆踊りだけど・・・・・受けないのはその時だけとなるのだろう。
夜は奥様おでかけで作ってくれたカレーライスを食べる。カレーライスと呼ぶのはカレーとライスが別々になっているを呼ぶのであって、ライスカレーと言うのは店では300円位のごはんの上にカレーが乗っているのだそうだ。我が家のはライスカレーと呼ぼう。
「わらべ歌」と言う言葉の響きのイイ歌の分野はいずれ消えるのだろうか。
こどもの遊びから発生してるとなるとしょうないことですが・・・・・
この「たばこたばこ・・・・」は一般的な遊び「かごめかごめ」と同じ遊びの時歌ったわらべ歌です。
信州の北で歌われた。しかし、「かごめかごめ」に圧倒されたのだろう。消える運命にあった。やはり中央の勢力はこういうところでも均一化してしまうのだ。良いものが残ると言えばそれまでだ。
そういうことでかごめを分析すると♪「かごめかごめ籠のなかの鳥はいついつでやる。夜明けの・・・」のかごめとは何かというと「かもめ」であるらしい。
なぜかもめが籠の中にいるのかとか・・・言ってもはじまらない。歌なのだ。歌。歌。つじつまなどどうでもいいのだ。
こういう農家の庭で夕日をあび子どもたちが輪を作って遊ぶ・・・・・・そんな風景はかなり前にふっとんだ。
蛍も最近見ないし、たき火も禁止だし、マイマイガも発生するし、畑には草がはびこびる。
それでは、ごきげんよう。左様なら。
畑に通うのをなまけていたら夕顔がふたつ大きくなっていた。食べ切れないし「かんぴよう」でも作るかと・・・・
この暑さですっかり乾いてしまった。なぜか茶色になって買ったような白さはない。
ま、いいか。後一本ある。
夕方、庭の木で蝉がないていた。もしや地中からおいでになったのかと、朝殻を探してみたが見当たらない。よそから飛んできたらしい。そういえば家の庭も年月を重ね、固くなっている。落ち葉などでやわらかい土ができる環境でないので、虫たちの産卵も大変だろう。
柔らかなといえば野菜を作っているところだ。昨日おこして「にんじん」の種をまいた。
さっそく猫がおとずれてウンチをしていただいた。猫も柔らかなところの方が快便できるのだ。
つけたし。かんぴょうとバッタの版画はゴム板で彫ってあります。セミがらは板です。
あいかわらず北アルプスの遭難のニュースが届く。亡くなった人には気の毒だけど、もっと計画を練って安全に行けないものかと思う。
今みたいに観光的な山以前だと、山に入る人は限られ猟師くらいだったのだろう。恐れ多いという意味合いが強かった。
そこで獲物を捕ると言うことも恐れ多かったはずだ。今や珍しくもない「雷鳥」は、その昔は「たけどり」と呼ばれ、飛べない鳥だった。ま、天敵もいないので飛ぶ必要もなかったのだ。結構食べらていたのではないか。
>昔、爺ヶ岳に登った時、雷鳥の子どもにいきあった。思わず手を伸ばし捕まえようとした時、私の顔めがけてぶつかってきたものがあった。
雷鳥の親であった。自然界の人間と違う親子の情にいきあった。
これは通常「お蚕様」といわれた蚕である。貴重な収入源だから「ぼぼさま」とも言い、大事に育てたのだ。
これが繭になり、やがて糸をつぐむと繭からサナギが出てくる。これをフライパンで煎って食べるとおいしいのだ。当時、貴重なおやつでしたね。世に食べるもんは色々ある。写真はオクラである。普通のオクラとちがって花を食べる。今盛りだ。おしたしにして食べるけっこうおいしい。
食糧難の国があるのにスイマセン。
今みたいに観光的な山以前だと、山に入る人は限られ猟師くらいだったのだろう。恐れ多いという意味合いが強かった。
そこで獲物を捕ると言うことも恐れ多かったはずだ。今や珍しくもない「雷鳥」は、その昔は「たけどり」と呼ばれ、飛べない鳥だった。ま、天敵もいないので飛ぶ必要もなかったのだ。結構食べらていたのではないか。
>昔、爺ヶ岳に登った時、雷鳥の子どもにいきあった。思わず手を伸ばし捕まえようとした時、私の顔めがけてぶつかってきたものがあった。
雷鳥の親であった。自然界の人間と違う親子の情にいきあった。
これは通常「お蚕様」といわれた蚕である。貴重な収入源だから「ぼぼさま」とも言い、大事に育てたのだ。
これが繭になり、やがて糸をつぐむと繭からサナギが出てくる。これをフライパンで煎って食べるとおいしいのだ。当時、貴重なおやつでしたね。世に食べるもんは色々ある。写真はオクラである。普通のオクラとちがって花を食べる。今盛りだ。おしたしにして食べるけっこうおいしい。
食糧難の国があるのにスイマセン。
テレビで「少年H」を見る。映画は見逃した。
もうテレビでやると言うことは、あまりヒットしなかったのかな。
監督は松本の人だし、原作も読んだし・・・・・・・・
私は戦争の最中に生まれた。私の生まれた時期よりはすこし前から始まる物語だ。戦争の悲惨さが伝わる物語だ。けど都会と田舎の違いか、私などは飛行機が飛んでくるとかないし、食べ物に困った記憶もない。(親が苦労したかも・・・・)
土蔵の壁が白いと標的にされるから黒く塗るとか、お寺の鐘が供出されたとかはあったが、校庭を畑にすることもない山奥の村だった。車道もなかったので車も入って来れない村だったからアメリカのジープも来ない。父たちも赤紙でかり出されて隊にはいるも、歩いて幾山を越え出征したのだ。
そんな村で育った少年Mは、友だちのお父さんが戦死して帰ってこない事実から戦争の実感をしったのだ。