小雪がまったり、まだ暖かな春は遠いのかな・・・・・・・。3月が消えようとしている。四月はウツキ・・・・・ウノハナが咲くからウツキというよりもウツキに咲く花だからウノハナ・・・・・・・・・・・
シュウレアリズムのダリとかマグリット、キリコの作品を立体にしてきたが・・・・・・・あきが来た感じで終了。
写真はダリの「燃えるキリン」からいただいています。
小雪がまったり、まだ暖かな春は遠いのかな・・・・・・・。3月が消えようとしている。四月はウツキ・・・・・ウノハナが咲くからウツキというよりもウツキに咲く花だからウノハナ・・・・・・・・・・・
シュウレアリズムのダリとかマグリット、キリコの作品を立体にしてきたが・・・・・・・あきが来た感じで終了。
写真はダリの「燃えるキリン」からいただいています。
家の前の廃業した寿司屋の梅がひっくらと白いつぼみをつけ、なかには開いたのもある。そのうちグランドの桜などもにぎやかな春になるだろう。
震災の海水をかぶった梅が咲いたとニュ-スでも報じていた。
「桃李物言わざれども、下見ら蹊をなす」そんな人になりたいものだ。
マグリットという画家は1967年になくなっている。20世紀の映像世界を先取りしている。今やコンピュターをあやつれば「マグリットような世界」は簡単に表現できる。こういう非現実な世界を創りだした筆一本の画家なのだ。毎朝、原発はどうなっているのか新聞をみる。ここで作っている電力は都会で使ってる。どうして地元が苦しまなければならないのかというお婆ちゃんの言い分もよくわかる。地元の為にと原発を誘致してきた町の指導者の自問ももっともだ。
キース・へリングを見る。
ここらあたりの自動販売機の水は売り切れの赤ランプがついていた。毎日毎日の報道に気をもんでいる。
「考える部屋」から「胎動の部屋」「希望の部屋」の構成になっていた。・・・・・そういうことか。
ダリと言えばシユウレアリズムの代表的な画家だ。レンズを使って、そこをのぞくと画像が立体的に見えるように仕組んでみた。まあ80パーセントくらいの出来だ.
3月25日は「電気の日」である。つまり日本ではじめて電灯がついた電気の日だ。
わたしの小さい頃はよく停電があった。あの頃は仏壇にろうそくがあったし、煮炊きも電気でなかったし、冷蔵庫もなかったし、テレビもなかったし、だったから暗いなかジーーと待っていた。雑音の多いラジオも静かなもんだった。
娘のところが夕方から計画停電だそうだ。
店屋さんに行くと節電で照明を落としている・・・・・・
こんな日本でいいのだ。
これはマグリットという画家の「脅かされる暗殺者」という絵を立体にしてみました。マグリットという画家は素材ではなく思考を描く画家と言われます。そこが又、わたしにとって好都合です。中央の黄色のは蓄音機のラッパです。手前の二人はそれぞれ武器をもってねらっています。窓の方には監視者がいて、室内には女性の死体があります。彼は音楽に聞きいって、せまる危機には関心をしめさないのです・・・・・・・・・・・・・。
写真はわたしの好きな画家の一人でもあるルネ・マグリットの世界を作ってみました。仕掛けも単純なのであらためてコメントありません。
「安曇野Iターン区長のぼやき日記」という本が手に入った。著者は関西から穂高に移住してきた人だ。わたしが公民館長をやってる時、なんどか一緒になり挨拶ぐらいはする人だ。宝くじ売り場でいきあったこともある。「お互いあたったら分けよう」とかいってたが・・・・少し前ビフという野菜売り場のレジで野菜を売っていた。銀行にお勤めだったというから、すごい転身だろうか。本の内容は区長としての8年の奮闘記だが、田舎に来たら田舎暮らしの楽しさがわかるのは地元の人と友だちになることだ・・・・・田舎にきて孤高はないだろう。それなら都会でできる。・・・・・なぜ区に加入しないのか?都会からきて4年目に区長をなかば押し付けられ奮闘した記録だ。
退職・転勤と三月はあわただしい。・・・・と言うことは他人事になった。記念品で版画を送りたいという話が急に2件あった。聞くと「ああだ、こうだ」と案が出て、いろいろ費用のこともあり「たのめ」となったらしい。「できるだけはやく」と言うので今までの作品を探したが、あんまり残っておらず・・・・・・「冬の鐘の鳴る丘集会所」があったのでこれにした。数年前の作品だ。さっそく額縁店でいれ送った。
こういうことがあるので、いつも用意しておくといいが・・・用意してると依頼はこない。・・・そういうものだ。