武田光弘画楽多製作日記

暇をもてあそび造形してます。作品として形としてまとめたものなどを見ていただきたい
と思っています。

お犬様様

2012年03月31日 | Weblog

我が家にワン公も成長した。散歩しててもカワイイと言う言葉が減ってきた。
かなり前に飼っていたワン公より大事に育てられている。その昔、徳川綱吉と言う男がいた。つきあいは特にない。
坊主の隆光にそそのかされて動物愛護を打ち出した。
まず魚類の販売を禁止した。おいおいと言う間に自分が戌年だったので、犬は特に愛護の方針を出した。もちろん殺傷は禁止だ。やり方が極端なので庶民は困惑した。
消費税をあげるとか、反対だから委員を辞めるとかゴタゴタしてる国も困ったものだ。小学校のクラスもめごとより質が低い。

当時の政府方針を人民に知らせるに「高札」が使われた。時代劇に出てくる立て看板だ。
どの位の人が読めたか?きっと読める人から、内容がひろがっていったのだろう。
この綱吉の出した高札が今は大町市だがかっての八坂村にあるそうだ。

これは「覚」ではじまり・・・・・病気や怪我で死んだ馬を捨てるな。そむけば流罪と言う内容であると言う。

歴史の真相

2012年03月30日 | Weblog


「塩尻」と言う地名がある。知ってるかぎりでは「塩尻市」・・・・・上田の方にもあるようだ。上杉謙信が宿敵武田信玄が「塩」を送った。それの届いた一番のはずれの地・・・・それが「塩尻市」と言われる。
それはこじつけと言うものだ。もともと「シオ」と言う言葉は、あのしょっぱい塩と言う意味でなく「粘土質で、雨が降ればグシャグシャする土地」のことを言う。塩のついている地名はそういうところなのだ。「塩坂」とか「塩崎」とか「塩窪」とか・・・・・・・・・そういう土地の坂とか窪地とかと言う意味なのだ。・・・・これはどこかで読んだ気がする。漢字をあてにするとあぶない。

「姨捨山伝説」がある。息子が母親を背負って山に置いてくるのだ。母親は口べらしのために、その道を選ぶのだ。
これも・・・・・「捨てる」と言う漢字を使ったので、こういう話が後からできたのだと言う。

シナ・・・・・・シナ

2012年03月29日 | Weblog


中央2丁目3番地・・・・とか味気ない地名になって地名からわかる歴史をかき消した信州の都市は松本と上田が代表だそうだ。
特に城下町の特徴ある町名が消えるのはさみしい。
わたくしの住んでる近くに「明科」と言う町がある。北へ行くと大町市がある。ここは「仁科」と言う。・・・・この「シナ」と言うのは「断層」と言う意味がある。信州は山国だから「断層」が多い。ここから出た地名だ。

近くに「豊科」という町がある。ここもそうだと思ってはいけない。ここは町村合併で鳥羽のト、吉野のヨ、新田のシ、成相のナをとって「トヨシナ」となったのだ。・・・・・これはいつか混同されそうだな。

絵画泥棒

2012年03月28日 | Weblog
宇都宮の版画の仲間から交流しないかと再度テレいただいた。そちらの作品をパンフレットからパチリ。
いつも変わりのない仲間内の作品ばかりでは変化もないし・・・交流展もいいな。・・気分一新には・・・展覧会見に東京へでも行ってみるか・・・と言う気にもならない。何度も過去行ったが押し出されるような鑑賞は堪えられない。


五木寛之さん曰く・・・・展覧会を見るには国際的な美術品泥棒になって見ることだ。
つまり「花盗人」と言う風流な言葉もあるので、もし一点だけ盗むとしたらと真剣に考えることだ・・・そういう鑑賞法もあるそうだ。・・と。

未確認動物・・・・・つちのこ

2012年03月27日 | Weblog

「つちのこ」と言う確認されない動物がいる。これを再現すべく立体化した。
それぞれのパーツが動き、つちのこの動きになる・・・・・こういうイメージだが、動きがぎこちなく・・・・・あきらめる段階に来た。
春になると各地で子育てのニュースが入ってくる。佐渡の朱鷺もそうらしい。家に庭に来るハトもそうらしい。
「ハトに三枝の礼あり」と言う言葉がある。ハトは少し大きくなると親バトから独立する。そして親より低い枝で眠る。これが親への敬意を表している姿ととらえられる。

しかし、これはハトにとって高い枝はいいところであり、コバトもそこへ行きたいが親がつつきおとす。・・・もう親子の情はないのだ。・・・・そこで低い枝でがまんしてるのだ。獅子が子を谷に落とし訓練をするという話がある。これはなにも教訓的な話でなく、これは親心でなく、獅子としてのポジションを奪われないようする獅子対獅子の姿なのだ。

俳句大国・・・山笑う

2012年03月26日 | Weblog
ここ俳句会には都合つかず、2回ほど欠席した。
・・・・・・結果だけいただいた。惨敗のみじめな結果だ。笑うよりしかたない。

早春の山を擬人化した「山笑う」と言う季語がある。東洋の世界では自然は静かなものとして眺めるのが好きであり、特に日本人はその傾向が強いとか・・・・・・自然のものを擬人化して表現するはもともと欧米式であると言う。
現在では擬人化された表現はごく普通にお目にかかれるけど・・・・・・・・・・

写真は小谷のハゼカケ米・・・・素朴にわたしの作ったスタンプを押してある。


農業の教え

2012年03月25日 | Weblog
あの宮沢賢治先生は農学校でこう教えた。
水の取り入口に一番近い田んぼのことを「うなん田」と言う。これは稲の原産地中国の雲南省からきているのだ。
苗代で田をならした後で、萱の茎を立てる慣わしがある。
稲のモミ種は絶対持ち出すことを禁止されていた。それを日本の神様はこっそり萱の茎に隠して日本に持ち帰ったのだ。そこから生まれた慣わしなのだ。
写真は茅野市のデパートで撮ったものだ。
土は無くとも太陽の光無くとも野菜は育つのだ。
原画を頼まれていたポスターが出来たと送っていただいた。ラフなスケッチが残っていたのでパチリ。

ウォーキングアニマル模型

2012年03月23日 | Weblog


これはドイツ製で見られるウォーキングアニマルと言われるものです。
胴体に動く足が一本、動かない足が一本・・・・・付いていて坂道をカチカチ音をたててくだります。
重力で動くと言うものです。
こういうものを作る説明書はわかりにくい・・・・・と参考にした本にも書いてあった。・・・がこの本も結構わからなかった。・・・・・・・年かな。

お菓子の歴史

2012年03月22日 | Weblog

これは鎌倉のおみやげでもらったお菓子の箱である。ちょい細工してみた。

茶道にはお菓子がつきものだ。
お菓子は茶道の進化とともに発展した。関西では彼岸の贈答品はお菓子であったので仏事もこれに関係したらしい。

茶道の完成した安土桃山時代には現在の「和菓子」が登場し、カステラとか金平糖などの「南蛮菓子」も登場した。
はなやかなお菓子の文化の歴史だ。

実はもっと古く奈良時代・・・正倉院の書物に「だいずもち」「せんべい」が出て来るしと言う。

この鎌倉お菓子箱を細工し、ひらくとゴリラの口があきほえる。
「菓子・・・食いてえええええ」と。

てぬぐい

2012年03月21日 | Weblog
てぬぐいの図案の依頼がきたので、カレンダーの裏を使って描いてみた。
こういう時には、長いカレンダーが役に立つ。
民話風にしてみた。
これは昨年度のだ。
ま、いろいろだ。
春が来たと言うことかも。

あれーー第33回の間違いに気づいた。