午前中は地区の避難訓練に参加、たきだしのおにぎりいただいて、狭間さんのコンサートに出かける。
この歳で一日ふたつをこなすことは疲れる。・・・そういう歳になったのだ。
コンサートの中で狭間さんは三橋美智也の♪「達者でナ」歌われた。ここで私に迫りくるのは三橋美智也さんだ。山奥の学校で音楽の時間もなかったが、本校から音楽の先生が来てときたま授業があった。この時みんなで歌ったのは流行っていた「りんご村から」と言う歌だった。山奥の学校でも音楽室はあり白髪の音楽の聖人の写真に取り囲まれ「りんご村から」を歌う図は何ともいえない。当時高校の入試に音楽の試験があった。合唱が終わった後、その勉強は自分でしろと言っていた。当時高校進学がメインでなかったのだ。
私の祖父の友人で横浜で成功した人がいた。その方が会社の従業員の写真など送ってきた。
ここに写っている小柄な青年が今人気の三橋美智也だと説明書きがあった。色白(しろ黒の写真だが)青年は会社ではボイラーマンだと・・・・・・・・
疲れても版画は彫らないといけない。長野市の蔵を利用した店屋さんがモデルだ。骨線だけ彫ってダウンした。