武田光弘画楽多製作日記

暇をもてあそび造形してます。作品として形としてまとめたものなどを見ていただきたい
と思っています。

哀愁の三橋美智也

2014年09月29日 | Weblog

午前中は地区の避難訓練に参加、たきだしのおにぎりいただいて、狭間さんのコンサートに出かける。
この歳で一日ふたつをこなすことは疲れる。・・・そういう歳になったのだ。
コンサートの中で狭間さんは三橋美智也の♪「達者でナ」歌われた。ここで私に迫りくるのは三橋美智也さんだ。山奥の学校で音楽の時間もなかったが、本校から音楽の先生が来てときたま授業があった。この時みんなで歌ったのは流行っていた「りんご村から」と言う歌だった。山奥の学校でも音楽室はあり白髪の音楽の聖人の写真に取り囲まれ「りんご村から」を歌う図は何ともいえない。当時高校の入試に音楽の試験があった。合唱が終わった後、その勉強は自分でしろと言っていた。当時高校進学がメインでなかったのだ。

私の祖父の友人で横浜で成功した人がいた。その方が会社の従業員の写真など送ってきた。
ここに写っている小柄な青年が今人気の三橋美智也だと説明書きがあった。色白(しろ黒の写真だが)青年は会社ではボイラーマンだと・・・・・・・・

疲れても版画は彫らないといけない。長野市の蔵を利用した店屋さんがモデルだ。骨線だけ彫ってダウンした。

虫すだく

2014年09月28日 | Weblog
本日句会があった。
秋の季題が多く、「虫すだく」を使う人が多かった。
「集く」と漢字で書くと、よくわかるが「集まる」と言う意味だ。
金田一先生によると、「集まる」と言う意味は薄れて現在では「鳴く」と言う意味で遣われることが多いそうだ。わが句会では、そう理解してるだろうか。
時代の流れで固定と思われるものが変わる。特に現在はそのペースが速い。
ハグを入れた俳句も出て来た。しかし、ハグを知らない方もおられた。
時に遅れた宇宙人の会でなければいいが。
歳をとると物事に膠着することが多いので、注意が必要だ。

それではみなさごきげんよう(と言ってた朝ドラも終了した)

温泉から日輪舎見学へ

2014年09月26日 | Weblog



本日は市から高齢者向けに発行された市内の温泉施設無料券を利用し温泉に行く。
忘れて無効にならぬよう、あと4枚ある。次回は別のところへ行こう。
この写真を見れば、知ってる人はあそこだとわかるだろう。新しくて快適だった。帰りには猿にあった。昔だと山奥と思ってしまうが猿は、現在すぐそこにいる。
猿から去った後、日輪舎による。この日輪舎は農業高校の第二農園にある。日輪とは太陽のことで中央に空間があり、それを取り囲んで休むところがある。そういう構造の建物だ。現在全国で残っているのは数少ないとか。
これは文化庁から貴重な施設として指定されている。
茨城県にあった日輪舎は、満州義勇軍に赴く若者を鍛錬した施設だそうだ。ここのあるのはそれを模して建てられた。そういう意図で建てられたのだろうが、建ててすぐ終戦を迎える。農業高校の宿泊所として使用されたようだ。私の父もこの農学校を卒業しているので、ここで寝泊まりをしたかもしれない。

戦争の思いを残す貴重な遺産だろう。

安曇野に住んでいる人でもあまり知らないかもしれない。

昭和と言う時代があった・・・・

2014年09月24日 | Weblog
この版画は最新である。
きれいな風景版画は嫌いだ。
無機質な思想のない版画も嫌いだ。
人間がいなくても、人間の営みを感じる風景が必要だ。
・・・・・と言うことであるが、人間をいっぱい入れ穂高の旧道のお菓子屋さんを題材にした。しかし実際は廃業され、碌山最中の看板もさみしい。ひと通りもあまりない。
新しいお菓子やさんもでき、時代も変わると生き残るのも大変だ。しかし、どこへ行っても同じような御菓子に見えるの歳のせいかも。
実際は、もっと赤く煉瓦色だ・・・・けど煉瓦作りではなさそうだ。
要するにまとめると懐かし昭和時代かな・・・・・と言うところですね。


ごきげんよう。さようなら。

逆転の発想

2014年09月23日 | Weblog
庭先にコオロギが見れるようになった。昔はこれをキリギリスと呼び、コオロギはキリギリスと呼んだそうだ。どうして逆転したか不明なれど・・・・・・方言辞典などにはキリギリスをひくとコオロギのことと出てるらしい。植物にもこういう例はある。それは自然界で静かにおこなわれる。
人間社会ではあんまり胸すくう例は最近ない。
政治も一強だし、野球も圧倒的な人力で巨人が優勝しそうだ。ここでは逆転劇はない。もし広島か阪神が逆転してたら、これが本当の逆転と言う。非力の者が力を持ったものをひっくりかえす。これを逆転という。
モンゴル大相撲では白鵬が一人歩きだ。ここにも逆転の様子はない。あまりにも差があると、つまらないものだ。

塩の道探訪

2014年09月22日 | Weblog

ながらくお願いされていた「牛方の宿」を彫ってみた。ちょい違う感じもするが・・・・・・
これは小谷・沓掛に現存する牛方の宿である。改装されてちょいきれいになっているが。
江戸時代千国街道はなやかし頃は、物資の流通はすべて「ぼっか」と「牛」が主役だった。
荷物には過ごし荷と継荷があり、継荷だとこういう宿を使う。過ごし荷の特急便になる糸魚川と大町の80キロを一昼夜で運び、そこから松本まで一昼夜で運んだと言う。冬場はさぞかし大変だったろう。これだと宿に荷をおろし休むことは1ヶ所だ。
昔に人は健脚だ。足のおとろえた現代人には考えられない。
松尾芭蕉の「奥の細道」の行程をみて、こんなに1日歩くのは忍者または隠密ではなかったかと言われる。たしかに今だと考えられない距離を歩く。昔の人は健脚なのだ。

へちま

2014年09月21日 | Weblog
へちまをぶるさげている家をみると、いつもに比べ実が少ないようだ。そういえばうちのゴーヤも実が少ない。・・・・・日照時間が少ないと言うからその影響かも知れない。
もともとへちまはイトウリと言っていたが、いつの間にやらイがとれてトウリになった。それがトはイロハで言うとへとチの間にありヘチマになったと言う。ホントかいな。
こんな文字遊びに似た判じ絵はアキがきて、あと二枚で終了にすることにした。
最後だから少し難しくした。難しくすればするほど自分よがりになり・・・それもまずいな。

苦しまぎれ3点

2014年09月19日 | Weblog

トンネル・・・・・・ま、いいか。ネブタが正解なれど・・・・・
江戸時代には絵に濁点をつけた作品も多い。これはそれをマネして。
同じく中をぬくやり方もある。👀の表現は浮世絵調だ。浮世絵の描かれる歌舞伎役者の目だ。グットにらむ目がいいのかも。
だんだんくたびれてきた。

ごきげんよう。さようなら。

安曇野探訪

2014年09月18日 | Weblog
昔は平のところは「でいら」と言っていた。ここらは「安曇でいら」と言っていた。堀金村出身の臼井吉見さんの小説に安曇野と表現され、それが定着し観光地に変容した。
白馬小谷の方は平なところを「四ヶ庄でいら」と言っていたが、今はそんなこと言う人はいない。わたしはそうしゃべっていたが正確には「でえら」かもしれない。?木で隠れた山は常念岳である。この安曇野一帯を見わたす山に畏敬の念をもつ人は多い。西日さす家の近所でスケッチ辻にある道祖神である。彩色され道祖神祭りを続けている地区もあるが、それも寂しくなった。塩の道にある道祖神や馬頭観音は高遠の石工によるものだと。そういう営みをする集団があったのだ。
最後に秋の紅葉である。
一枚の板を彫って刷ってをくりかえす「ほりすすみ」と言うやり方でやってみた。最後は板がぼろぼろになるので、同じものは再現できない。めずらしいやり方ですねと言われるが、遠い昔からある方法である。

玄鳥去の候

2014年09月17日 | Weblog
気が付けば「燕」も南に帰り、秋がやってきた。一日300キロは飛ぶと言うからすごいことだ。秋の鳥と言えば「もず」だ。求愛の時、いろんな鳴き方をするので「百舌」と漢字で書く。白馬では熊が出たそうだ。もうじき猿も話題になるだろう。
猿が「る」を捨てているのだ。
もう一枚は味噌だ。味噌にもいろいろの味があり・・・・ここでは味は関係ないのだ。手の前に味噌があるのだ。