武田光弘画楽多製作日記

暇をもてあそび造形してます。作品として形としてまとめたものなどを見ていただきたい
と思っています。

山ねむる・・・・

2014年05月30日 | Weblog
句会に参加して6年目。ようやく6集ができた。
中身はともかくできることが重要だ。

俳句の季語に「山眠る」というのがある。これは好きな季語だ。ちょい雰囲気をだして雪山を連想してみた。
雪のつぶのところが見せどころだけど・・・・写真ではちょいわかりませんえ。はい。
いきおいで「黄金バット」を作った。どういう勢いかって言われても・・・・
ちょい屋外に置いてみた。こういうのもいいな・・・・・雨だ。

かしわもち

2014年05月27日 | Weblog


ゆずりあいひとつ残れり柏もち

これが句会で点をいただいた。季語は夏。俳句は旧暦なのだ。
今回の句会の題は夏。のりきれない人たちの多い句会なので、隣りには草餅など詠ったものが出ていた。
それは春なのです。

桃の節句は菱餅、お彼岸は牡丹餅、端午の節句はチマキか柏餅。年中行事に決まって特別な食べ物が作られ変化の少ない農村にアクセントをもたらしたのだろう。
いいですなーーー。

なぜ、子どもの日にチマキかと言えば、五月五日は中国のある高名な詩人が国を憂い身を投げた、その死を弔ってチマキをこの日に供えたのがはじまりとか。もともとは中国発である。最近に中国は国を憂う人も多くいるらしく事件がたえない。

郭公の鳴く日

2014年05月26日 | Weblog


いろいろウラの話があって・・・・リンドバークが大西洋横断飛行に成功して「翼よ、あれがパリの灯だ」と言った有名な台詞も、後日作られたもので「トイレどこ?」と言ったのが第一声とか言う話がある。ま、それはそれとしてどちらでもいいことでしょう。

大相撲がアレヨアレヨと終り、モンゴル勢の勢いがとまらない。一時に比べ観客も多くなったようだ。客席がガラリとすいていると、「カンコドリが鳴く」とか言っていた。最近聞いたことがないが・・・・・これはカンコ鳥(今のかっこう)の鳴き方がもの寂しいところから来ている。最近家の近くで鳴いているが、結構上手に鳴いている。
うぐいすなども最初は下手ですけどね。慣れか、訓練か?

人生の決まり手

2014年05月25日 | Weblog

塩の道祭りも終わったそうだ。参加賞の手ぬぐいの現物が届いた。好評?だったそうだからま、いいか。版画の刷りのかすれも出てるので、ま、いいか。

ちょい曼荼羅風にと思って誕生日の5月20日の出来事を彫り込んだ。

真ん中に誕生日の王さん。安保闘争。リンドバーク、味の素、高見山でいくことにした。
ちょうど相撲をやっている時期で、まげをひっぱったとかの反則ワザが出ている。高見山がまだ地位が低い頃、相手が巨体におそれて何もしないのに土俵を出たとか。
決まり手は「逃げ出し」・・・・・・と言うのも困るので取直しになったそうだ。その時の決まり手はわからないが、ほとんど自分から土俵を出てらしい。

愛猫物語

2014年05月24日 | Weblog
世に猫好きは多いらしい。
猫でも犬でも結構だ。
昔を思い猫の版画を作った。こういう猫が我が家にいた。
私がある家から、話がはずんで子猫をもらうことになってしまった。特に猫がすきというでもないが・・・・話がはずんだのだ・・・・当時珍しい猫だったのも原因だ。
しかし、種類が少ないので近親のむすびつきで生れているので弱いと言われた。そのとうりで短命だった。行き会うたびに「元気ですか?」と言われるので「元気です」と答えていたが・・・・数年たって「もういいだろう」と思い亡くなったと伝えた。「長生きしましたねーー」と言われた。
ま、いいか。

誕生日あり

2014年05月21日 | Weblog
うっかりしていて昼になって5月20日誕生日だと気が付いた。この日は美空ひばりや王貞治も誕生日だと・・・・言っていたが、少し違うらしい。
外は暑いし、家の中は結構寒いし・・・・・ボケーーーと怠けを決め込んでいた。
写真はナマケモノの親子である。気の毒にナマケモノと言う名が付いている・・・・本人はきずいていないけど・・・・・・人間もひどいものである。動作がのろいと怠けてると同一してしまう。

その昔、戦争が終わってから野球が盛んに行われた。村でも学校でも・・・・・道具も今みたいに揃っていない時代だ。
他のスポーツもひろがっていなかった。バレーボールやテニスは女子がやるものだと我が学校では言われていた。やはり戦勝国アメリカ文化の導入だろうか。学区制が替わったのに引っかけて「六三制野球ばかり強くなり」とか言われていた・・・・もんだ。

八郎と美智也

2014年05月14日 | Weblog
なんとなくテレビを見てると「春日八郎と三橋美智也」と言う番組をやっていた。
往年の大歌手だ。
春日八郎さんも三橋美智也さんも若く上京し、苦労の末栄冠を勝ち得たストーリイを見る。
そういえば私の小さい頃の村の寄合では酒が入ると、父たちは、春日八郎の「お富さん」を歌っていた。当時のヒット曲だ。・・・・・・カラオケなどない。そういう時代なので歌の数も少なかった。
わたしたち分校では、卒業生8名のうち私を含め2名が高校進学することになった。当時全部に教科のテストがあり、先生たちも相談したのだろう。今まで受けたことのない「音楽の時間」が誕生したのだ。音楽室はあった。壁に白髪のバッハとモーツアルトなどが怖い顔をしていた。
先生は本校からリックをしょった男先生が月2回ほど来た。先生も何をやればいいのか考えたのだろう。進学もいれば就職もいる。
そこで先生が考えたのは当時流行っていた三橋美智也さんの♪「りんご村から」と言う曲を合唱することだった。それがあきると題は忘れたが♪「うまっこ?」の歌だった。

受験の勉強は、一冊の参考書らしきものをよこし「これで自分で勉強しろ」だった。

三橋美智也も良かったが、版画のような「二十四の瞳」風の音楽の時間も憧れるな。

なんとも言えない

2014年05月13日 | Weblog
昨年近所からいただいたサギ草が芽を出し始めて安心。
冬場にやられてしまったかと・・・・・・・・もらいものには気をつかう例。

なんとか一枚刷ってみた。

なんとも言えない。

春の水セギに溢れ澄みにけり若き鴨らがせっせと潜れり


火曜日は俳壇の発表日。佳作に入った。セギという漢字が出てこない。本当は水は汚れており、あらゆるゴミが流れてくる。鴨のいるのは間違いないが、そんなに潜ろうとしない。

なんともいえない。

ゴーヤからアイスクリーム

2014年05月09日 | Weblog
五月八日はゴーヤの日だそうだ。なるほどね。
庭にまいた種が芽をふいてきた。ほっておいても成るので、よろしい食べ物だ。
じゃ今日は何の日と問えば、アイスクリームに日だとか。
日本人で最初に食べたのは万延元年に渡米した咸臨丸一行だそうだ。おいしさにびっくりしたそうだ。

勝海舟や福沢諭吉も乗っていたはずだから・・・・・きっと食べてのだろう。福沢諭吉の言葉が残っている。「アイスクリームは人の上に人を作らず、人の下に人を作らず・・・」

明治2年にはじめてのアイスクリームが横浜で販売され、二十五銭だった。この日を記念日としてるらしい。
街中でも一杯一銭のアイスが売られていたとか。かなりの差だ。味がかなり違ったのでしょうか。
おいしそうな菓子だ。鳩だろうか。道の駅で買う。
昔台湾の屋台で焼き鳥を食べた。聞いたら鳩だと言われた。あんまり人間の近くに住んでると食欲はわかんですね。形をいただくのはいいけど、食べるとなると・・・・でも台湾だからいいかと、けっこう食べた。

野ウサギのフン

2014年05月08日 | Weblog

うさぎは立派な食用だった。
でも学校でアンゴラと言う毛のフサフサしてたのを飼っていた。これは食用でなく、毛を売って図書を飼う費用にあてていた。薬草を採ったり・・・・昔は予算も少なかったのだろう。自分でかせいだもいので購入したとなれば有難味も多いというものだ。ここらが現在の感覚との違いだ。物を大事にしない・・・・・当然でしょ。

のうさぎにあうこともなくなった。数も少なくなったのだろう。山に行くとウンチがコロコロしていた。彼らはこれをまた食べるのだ。これは食糧が少ないと言うよりは、栄養をとれるだけとると言う精神だそうだ。それで出た糞はそうとう形をなさない。
人間もこのくらいの精神だと、かなり生き延びれる。フン。