「みらい」というネーミングで市立図書館ができた。本の貸し借りも機会化され面倒でなくなった。
「山川惣治」さんの本にいきあった。・・・といっても知らない方も多いと思うが私たちの年代で絵の好きな方は「少年ターザン」などの挿絵家として知ってるだろう。柔らかな線で、今にも動きだそうとする挿絵は胸ワクワクするものだった。このワクワク感を人に話したくても、当時友だちが乗って来ず。人は人で興味も違いがあるのだと知ることになった。
私と同年代の横尾忠則氏も子どもの頃、心ときめいた一人らしく「このいかにも動きそうな現実感ある挿絵は根本はすごいデッサン力だ。」というような意味の言葉を尊敬をこめ述べている。
懐かしき少年ターザンというところか。
「山川惣治」さんの本にいきあった。・・・といっても知らない方も多いと思うが私たちの年代で絵の好きな方は「少年ターザン」などの挿絵家として知ってるだろう。柔らかな線で、今にも動きだそうとする挿絵は胸ワクワクするものだった。このワクワク感を人に話したくても、当時友だちが乗って来ず。人は人で興味も違いがあるのだと知ることになった。
私と同年代の横尾忠則氏も子どもの頃、心ときめいた一人らしく「このいかにも動きそうな現実感ある挿絵は根本はすごいデッサン力だ。」というような意味の言葉を尊敬をこめ述べている。
懐かしき少年ターザンというところか。
これは安曇野に流れる拾ヶ堰という農業水路である。。江戸時代にこの地を豊穣の土地へと・・・旧十ヶ村を通る水路である。発案者とか測量技術にはびっくりさせられる。この堰も水量が減るとゴミが目立つ。前には水量が減り自転車なども姿を見せた。
日本人は古来住宅にトイレを持たなかった。鎌倉時代以前は携帯トイレで、こっそり川に流した。特に問題ななかったのだろう。
「水に流せ」という日常語が生まれたのも、ここからきている。
きたないもの、いざこざなどは前に進むには「流して」しまうのだ。しかし、生活水路となるとちがう。先日のブログに書いたが大町市の町中に水路があったと書いた。この生活水路には上流の人は下流のひとを気遣うルールがあった。どの場所でもきれいな水を使えるように、汚れた水はそこで沈殿さし、流さない。汚れカスも自分のところで処理して流さない。これが日本に伝わる古来からの美徳なのである。