武田光弘画楽多製作日記

暇をもてあそび造形してます。作品として形としてまとめたものなどを見ていただきたい
と思っています。

栗名月も去って・・・

2009年09月30日 | Weblog

秋雨が降り続いており、秋の月も見えない。・・・十三夜はとうに過ぎた。
十三夜は別名、「栗名月」。犬の散歩の途中、拾ってきた栗でご飯だけは食べた。

10月の声も聞くので文化祭のポスターを切ったり貼ったりして作ってみた。

旅・・・・・すすき

2009年09月29日 | Weblog
手こずったたが一応完成した旅のヒトコマ。

旅といえば江戸時代などは、江戸を出ることは、一生の別れみたいな感じだったのだろう。号泣して見送ったなどの話もある。
秋のススキなども、旅情を誘う。
江戸時代の俳人・去来は「君が手もまじるなるべし花芒」とススキを「さよなら」と見送ってくれる人の手と一緒と詠っている。(ここ二行は昨日の天声人語から)

ススキは「尾花」ともいうのは動物の尻尾に似てるからだと・・・・また、笹はサーサーと音がするから・・・ススキもスースーという音から名前がついたとか。







色版

2009年09月28日 | Weblog
一昨日のライト兄弟の写真・骨版に重ねる色版です。これを合わせて終わりです。いつかは黒無しで色版画を作ってみたいものです。
今日は、穂高神社の「お船祭り」というので版画の題材にならないかと少しのぞいた。「大きな船」の山車が出て、彩りあざやかだった。これがクライマックスはぶつかりあう。
アルプスの真下の土地で「お船」とはと思うが、ここら「安曇野」は大昔、北九州にいた「安曇族」が、ここに移動してきたという。多分海洋を使う民族だったのだろうか。それが祭りとして残っているのだ。

版画に挑戦してみよう。



魍魎

2009年09月27日 | Weblog

「もうりょう」と読む。自然界に棲む怪。墓場などにる。亡者を食べる。火葬だと骨しかないのでさみしいとか。このイラストが京極夏彦さんのを写した。
戦争体験記を読んでると、語ることのつらい人肉を食べざる極限の状態があったようだ。
戦争は言うまでもなくすべてに悲惨だ。私の父の一番下の弟はニューギニアで戦死している。私はあったことはない。知ってる写真は祖父母が軍服を着た姿を描いてもらったものだ。
その上の弟は海南島から帰還して、小さい頃、遊んでくれたのを思い出す。
父は戦地のことは話さなかった。

ライト兄弟

2009年09月26日 | Weblog
9月20日は「航空の日」である。この日にライト兄弟が初めて空を飛んだとかという記念の日でない。かって昔陸軍・海軍の記念日が春にあり、それで秋の比較的晴れる日を記念日にした。ちょい戦時色を感じる。
ちなみにライト兄弟の第一回の飛行は36メートルで滞空時間3,5秒。
全く関係なくて、写真は現在進行中の作品。初老のおじいさんが列車の中で休んでるのを、一昨年ハンガリーでスケッチしたものをもとに彫ってる。隣のおばあさんは想像の人物。車窓から見える風景は何にするか思案中。
下絵がきちんとあって作品をつくるのではなく、かなり無計画な制作。

私の少年時代・挿絵編

2009年09月25日 | Weblog
「みらい」というネーミングで市立図書館ができた。本の貸し借りも機会化され面倒でなくなった。
「山川惣治」さんの本にいきあった。・・・といっても知らない方も多いと思うが私たちの年代で絵の好きな方は「少年ターザン」などの挿絵家として知ってるだろう。柔らかな線で、今にも動きだそうとする挿絵は胸ワクワクするものだった。このワクワク感を人に話したくても、当時友だちが乗って来ず。人は人で興味も違いがあるのだと知ることになった。
私と同年代の横尾忠則氏も子どもの頃、心ときめいた一人らしく「このいかにも動きそうな現実感ある挿絵は根本はすごいデッサン力だ。」というような意味の言葉を尊敬をこめ述べている。
懐かしき少年ターザンというところか。



秋の虫

2009年09月24日 | Weblog
ウマオイが網戸につかまって動かない。後足が一本ない。こういう姿を見てると秋の深まりを感ずる。
植木鉢をとるとコオロギがあわてふためいている。秋だ・・・
ウマオイはキリギリスの仲間だ。昔はキリギリスとコオロギは今とでは逆に呼ばれていたという。
日本の鳴く虫はキリギリス、スズムシなど50種と多い。イギリスなどわずか数種だという。そういうとこにも日本人の季節の機微が浮かんでくる。


ねこ

2009年09月23日 | Weblog

我が家の猫様をモデルにした。毛がもう少しふさふさしているが・・・身体の骨格がないと毛のかたまりで終わってしまうので毛はかなりカットした。
「ねこをかぶる」という言葉がある・・・・・本性を隠し、いい人に見せかける。そういうふうに見られている猫も、エジプトでは神格化されてる。
たいがい餌欲しさに人にすりよってくるが、裏では何を考えているかわからない。と見られるから妖怪の世界にも登場するかもしれない。「ねこまた」という尾っぽが二つに分かれた妖怪もいる。
怪談にも登場する。結構そちらの世界にも出番がある「ねこ世界」である。

きたないものは川に流せ

2009年09月22日 | Weblog

これは安曇野に流れる拾ヶ堰という農業水路である。。江戸時代にこの地を豊穣の土地へと・・・旧十ヶ村を通る水路である。発案者とか測量技術にはびっくりさせられる。この堰も水量が減るとゴミが目立つ。前には水量が減り自転車なども姿を見せた。
日本人は古来住宅にトイレを持たなかった。鎌倉時代以前は携帯トイレで、こっそり川に流した。特に問題ななかったのだろう。
「水に流せ」という日常語が生まれたのも、ここからきている。
きたないもの、いざこざなどは前に進むには「流して」しまうのだ。しかし、生活水路となるとちがう。先日のブログに書いたが大町市の町中に水路があったと書いた。この生活水路には上流の人は下流のひとを気遣うルールがあった。どの場所でもきれいな水を使えるように、汚れた水はそこで沈殿さし、流さない。汚れカスも自分のところで処理して流さない。これが日本に伝わる古来からの美徳なのである。

公民館新聞・・・・9月号

2009年09月21日 | Weblog
運動会の選手選考で遅くまで、ああだこうだとやった。その後遺症で頭が重い。
公民館新聞9月号ができたのでパチリ。ここ数年見ごたえのある新聞になってきた。編集者の努力がでかい。
愛読してると声がかかるようになってきた。しかし、存在するという認識もない人もいて・・・・・そういう人もいて人間社会が成り立つと思えば、住民の方全員に読んでいただきたいなどの力みも消える。