目がさめれば六月 2018年05月31日 | Weblog 宮澤賢治の俳句をみる。童話とか詩で高く評価されている。 ただし、それは死後のことだ。 俳句は短い間作ったようで、30句くらいしか残っていないそうだ。 おもむろに屠者は呪したり雪の風 賢治はベジタリアンで、動物の肉を食べることになにかこだわりがあったのだろう・・・・・と言われている。
五月も終わり・・・・ 2018年05月30日 | Weblog 五月は王選手とか美空ひばりさんが誕生した月だ。わたしも五月だ。 古名ではサツキという。 サというのは田んぼの神という意味があるらしい。 そういえば安曇野も田んぼにアルプスが写ったり、いい季節だ。 六月はミナヅキという。 漢字で書くと水無月とかくが、これは当て字らしい。こらの時期は水が枯れるというイメージはない。 わたしなどホトンド枯れているが・・・・・・ 熱中症の警告が来る。 むかしは炎天下、汗にまみれて遊んでいた。川の水もガブガブ飲み、サツマイモも失敬し腹の足しにしていた。
十年の記 2018年05月29日 | Weblog 句集も十冊目になってしまった。十年もたてば、ある域に達したと実感する人もいるだろうが・・・・なにもない。「れんげ草」と名前がついているが、これも昔の田んぼはレンゲ草でいっぱいだったという年代の人の命名だからの・・・・・ま、いいだだろう。 ♬ひらいたひらいたレンゲの花がひらいた♬という歌のレンゲは、池に咲くハスのことである。 高齢者講習にいく。最近めんどうにも二回行って、ようやく警察の交付の手続きにはいる。動体視力が劣っているといわれた。 教習所に教え子がおり、、今回も私の班の担当ではなかった。担当になったら、あっちの方がこまるかな。まだ免許は返納しないぞと思っていたら、ニュースで90歳の方が事故をおこしてた。 どこらが止め時かな。
信濃の国 2018年05月21日 | Weblog 五月二十日。これはわたしの誕生日である。言っておくけど王選手と同じである。むこうは三つ上だけど。 この時期、カッコウが鳴き出す時期である。今年は少しはやかった。 気候はたしかに変わっている。「信濃の国」がやたらに話題になるなと思ったら、県歌に制定されて50年とか。 都会から移住して来られた方に「全部歌えますか?」と聞かれた。 答えは「もちろん、信州人ですから」とか言ったが、六番まであって手ごわい。1,2番位だと大丈夫だけど。
竹 2018年05月17日 | Weblog 私が現在使用している手製のバレンの竹のこの皮は、大町市の八坂に勤めていた頃、生徒が版画に使えととって来たものだ。大量なのでまだ数枚ある。 場所は栃沢といい、犀川ぞいで昔の大岡村の境だ。信州新町も近い。 ここの竹は太くてしっかりしている。その昔、松本藩の御竹林で犀川を流し、松本に届けたようだ。今は犀川も水量もダムのためなく、昔の面影はない。
ふるさとの偉人 2018年05月13日 | Weblog 右の人は我が故郷出身・版画家武田新太郎氏です。 創作版画の始まりの頃、京都を中心に活躍した人です。 丁度、東で棟方志功が表れ、西では徳力富三郎氏が伝統版画の流れを組み、一緒に活動していました。 村は、大半が武田姓なのです。姓を見て関係ありと思う人がいると思いますが全然関係なし。 「安曇野の美術」や「全国版画全集」に作品が載ってます。 志功にように型を破るという画風でないので、目立つことは少ない。 すこし地味ではあるが、画力のある方である。
砲弾学の英雄 2018年05月10日 | Weblog 我、ふるさとの物語を彫りはじめる。 明治七年、学校開校。 その教鞭をとったのはこの方である。 江戸も終わり、日本も世界列国に負けじとスタートした時期である。 この方はこの時十六歳。 後に世界弾道学の世界的権威となった。砲弾研究である。 しかしながら、時代が時代なので現在ではスポットライトはあたらない。 軍国主義、帝国主義の時代の英雄か。 長野県大町市のエネルギー博物館で功績は見られる。