武田光弘画楽多製作日記

暇をもてあそび造形してます。作品として形としてまとめたものなどを見ていただきたい
と思っています。

技術を越えるもの

2012年05月31日 | Weblog

東京へ行くことになった。
何を着てくかとか・・・・めんどうくさいことである。自分ではどれでもいいが、そうもいかない・・・背広はこれがいいとか。
セビロは「背広」と書く。日本語と思えば英語だ。つづりはCIVILだ。
日本に英米人が多く来るようになり、最初は軍人が多かったのだろう。軍服を着替え普通の服装に着替えて横浜の町に出た。この平服をCIVIL CLOTHES(市民の服)と言い、civilがなまってセビロになったとか・・・・・・


写真はかなり昔、作品を交換していた中国の方の作品だ。あちらも田舎だし、時代も時代で、なかなか個人的には裕福な人は少なかった。
日本がバブルで沸いていた時代だ。まだまだ中国は材料的には不自由だったので木版が多かった。
それでも技法を凝らし表現をしていた。ものの表現には、画材とか顔料とか、それを乗り越えたところの問題だ。のりこえられない作品は平凡だ。

半画の時代

2012年05月30日 | Weblog


版画は陰で「半画」と呼ばれる時代があった。高名な版画家が出て来ると、あまり聞えなくなった。ふつうの絵画の半分の価値しかない・・・・と言うことだ。
版画は民芸の部類で一般的な絵画部門と見られていないことがまだある。カルチャーセンターの分類でもでこわす。
これは仕方ないことで色あわせなどに苦労してる作品が多く、小手先の器用さ売っていたり、デッサン力がないから抽象などと「半画」でもしかたない。

そのようなご意見をおふたりからいただいた。・・・・わかる人はわかるのだ。

句会の結果

2012年05月28日 | Weblog



風薫る里に残ると母の云う

田に映るアルプスの峰乱さずに一羽の鷺が軽やかに降る





安曇野も田に水が張り、苗がかよわく風にゆれている。こういう情景もいい。
佐渡の朱鷺が巣立ったそうだ。・・・・・この巣立つは隣の枝に移ったくらいだそうだ。大空を飛んでいるのか・・・・と思ったのだ。


いい句会か、悪い句会か

2012年05月27日 | Weblog

今日は句会があった。前半の俳句ではわたくしめのが最高点になった。気分は悪くない。後半は支部展の作品を持ちにいくので、欠席。
後で後半・短歌の部を聞くと、こっちも最高点だった。
いい会だ。
いつもは入らないのでレベルの低い会だと広言してるが・・・・・



中信版画展・・・2

2012年05月25日 | Weblog


相撲界で新しい関取が誕生したそうだ。
ひとりは貴の花の弟子だそうだ。めでたいことだ。
・・・・・・・・しばらくして、この二人はモンゴルの方とわかった。急に興ざめがして・・・相撲の世界も遠くへいきそうだ。

中信版画展の作品を一応全部写してみた。それぞれもっとあがらないとなーーー

美術館めぐり

2012年05月24日 | Weblog
本日、二つの美術館巡りをした。
ひとつは東御市にある梅野記念絵画館だ・・・・・なかなか場所的にいいところだった。
作家は犬塚勉だ。面相筆を使った繊細な画面に圧倒された。
次は長野市の信濃美術館の堀文子画伯の画業だ。
94歳だとか。まいってしまいますね。

中信版画展はじまる・・・

2012年05月23日 | Weblog

今度の日曜まで松本美術館ではじまった。
この外国の風景は講座の受講生のTさんの作品だ。はじめて半年。展示ためらっていたが、恥をかくけどと・・・・・出品してくれた。
なかなかの出来だ。けど・・・・Tさんみたいに腰をすえて講座のくる方は少ない。

ゆっくり作品をみるのもいい。世の中はスカイツリーで気楽にうるさく騒いでる。

私製本・ゆきおんな

2012年05月21日 | Weblog
かなり昔お尻の病気で入院していた作ったものだ。
病室で版画を彫るのもまずいので、スクラッチで作ったものだ。黒い板を針で削っていくのだ。

時に雪女の物語は実に「寒い」物語だ。
風雪に巻き込まれ、生死を彷徨うと雪女とかそういう幻想をみるようだ。
今朝方、太陽と月が重なった金環日食を見た。薄暗くなる・・・・・昔の人はこのような現象は怪奇に映ったのだろう・・・・な。
目に見えない自然界の魔物とかにむすびつくのだろう。

2012年05月18日 | Weblog
5月20日は誕生日である。
別にどうこうもないが、父と母の結婚した日でもある。そして私が誕生した時は父は戦地であった。
父の帰って来なかった同級生もいた。
戦争は醜いものである。

5月20日はプロ野球の王さんの誕生日でもり、たしか私より3つ上だ。巨人が圧倒的に強かった頃、一番柴田で・・・・3,4番がON・・・・であった。
柴田選手は私と同年で,新人の頃松本の市営球場に巨人が来た。ちょうど売り子のアルバイトがあったので、野球も見れるとやった。柴田選手も見た。尻のでかいやつだなーーーと言うのが印象だった。
でも、どの選手も腰まわりがでかかった。・・・スポーツ選手としては尻のでかいのも大事な体型なのだ。・・・・・・