武田光弘画楽多製作日記

暇をもてあそび造形してます。作品として形としてまとめたものなどを見ていただきたい
と思っています。

お多賀神社

2009年06月30日 | Weblog
のお守りで売っていた「しゃくし」が、なまって「おたまじゃくし」と呼ばれ、カエルの子の形ににてるので、そのままカエルの子を「おたまじゃくし」と呼んだそうだ。神社は滋賀県にある。
最近、空からおたまじゃくしが降ってきたり、なまずも降って来たとか・・・・こういうニュースが多いといいけど、殺伐とした事件ばかりだ・・・・

十五夜お月さんこんばんわ
ゆうべ見た夢教えます
鬼がもちつき、閻魔がこねる、それを地蔵がまるめ
それをうさぎがこっそりいただき、お月様にあげますね

平和です。

もう一枚・・

2009年06月29日 | Weblog
もう一枚作って送った。
こちらは馬上姿で、中国のこどもから花をもらっているところを想像した。
すこし、板に負けた感じ。

地区のソフトボール大会だった。少々の雨を期待していたが段々日照りが強くなり疲れの増す日だった。第三位で慰労会。

メンコのヒーローたち

2009年06月27日 | Weblog
古い雑誌を見ているとメンコのデザインが載っていた。この時代のスターだ。
川上哲治・・・長島が出る前の野球界のスターだ。「テキサスの哲」とか言われていた。テキサスヒットが多いのだ。どんな打ち方かわからないがラジオを聞いて想像していた。松登・・・この相撲とりは「ぶちかまし」が得意だった。作戦は簡単で体力でぶつかっていくのだ。しかし、たしか大関になったから単純な作戦でも力はあったのだ。みんな新聞や雑誌で顔を知っていたが、動く姿は見たことないのでラジオを聞きながら想像していた。ここの「想像」ってのはでかい力だ。

アニメーションボックス

2009年06月26日 | Weblog
教科書の角に人形なる形を少しづつずらして書いて、それをパラパラとめくる。手製のアニメーションである。
書かれるものが一人から二人になったりして戦ったりする。そんなお遊ぶをボックスにしたものである。
先生にみつからないように、パラパラやってる方が緊張感あって楽しいかも。

中信版画展開催中

2009年06月25日 | Weblog
長野県は南北に伸びており広い。それぞれ北信、東信、南信、中信とわけて物事がすすむ。中信というと真ん中の感じがするが、県の西側・・・木曽から松本、白馬、小谷を指す。
暑かったり、肌寒いの繰り返しで体調不調。日曜は野球大会などあり、作品の締め切りも近くあせりぎみ。

太宰治の話が多い・・・・この期に一気に売り込もうとしてるらしい。「天地人」の作者が地元紙で「真田三代」を連載するらしい。来年の大河は「坂本竜馬」らしいので、また店頭をにぎわすだろう。

63制野球ばかり強くなり・・・

2009年06月24日 | Weblog
確かに田舎のせいもあったが、放課後というと野球と決まっていた。他に選択がなかったせいかも。先生も一緒だった。親父たちもやっていた。戦後のスポーツといったら男は野球・・・・女子?
トラックの乗って隣村まで遠征に行った。先生も好きだったのだ。
駐在所の前を通る時は、トラックの荷台で身を低くしろ・・・と指令がきた。

話は変わるが、先日プロ野球で内野を6人にして、作戦成功したと言うニュースがあった。外国人監督らしいと思っていた。大昔の雑誌を見ていたら、キャッチーが肩が弱いので、ライトがキャチャーの横にいて盗塁を阻止したことがアメリカであるそうだ。抗議はあったがルールには規定がないと認められたそうである。

人類の歴史

2009年06月23日 | Weblog
ある新聞のコラムによると、人類が最初に作った道具は「弓」だそうだ。そういうことで民芸品の弓の写真を載せました。他の飛ばすおもちゃも載ってます。
こうきれいに彩色されていると、ちょい飾りたくなりますね。

作ったことのないおもちゃもあります。地方地方で流行が違うのでしょう。竹を山から切ってきて夢中で作ったものです。

ちなみに人類がはじめて気がついた化学反応は「焼き物」。特にその焼くことによって表面が変化すること。つまり自然「釉薬」。

カブトムシの木

2009年06月22日 | Weblog
この木は私の生家の裏にある木です。この木に私の小学生の頃、カブトムシが夏になると群がっていた。信じられない数で、多分今だと「ウソー」とかたずけられるだろう。木をけると驚いて擬態の習性あるカブトが死んだマネしてバタバタと落ちてきた。こんなにいては飼うなどの考えも浮かばないムシだった。
飼うということは、手に入り難いということだ。
この木の名前はわからない。けどもう数十年のに太さの記憶も同じのはおかしい。隣の木かな?
この木ではないかも。
それにしても今は山の奥に入ってもカブトは見かけないという。

川島芳子・・・・・2

2009年06月21日 | Weblog
台本や書籍を読む。
まとまらい。7歳の時養女になり松本に住む。現在の蟻ヶ崎高校で学び、馬で通学したという。「清朝のお姫様」として目立つ存在だったという。

馬に乗っている姿を描いてみた。軍服姿の男装の写真があるので、軍服がいいのか。とにかく戦争という流れの中で、数奇な運命をたどった人だ。

処刑後、みがわりをたて逃げ延びたという話もあるようだ。
台本を読むと、台本を作ることは大変なことと思う。どこに焦点をあて、真実を曲げず、どう人物を浮き上がらせるか・・・・・・