そんな歌が昔あった。
しかしながら二ホンオオカミは絶滅したが、
オオカミの血をひく犬に飼い主が殺される事件があった。自分で狩猟をし生き残る野生が残っていたのだろう。
人間に飼いなれされたシバとか小さな犬には野生はすっかり消えていたのだろう。
うちのシバはウンチの後に、足でそこを消そうとする。寝る時に丸く丸く寝材も丸くする・・・これは野生の残りかもしれない。
わたしの好きな画家のひとりである。オランダのエッシャーだ。
だまし絵など興味ある方は知ってると思う。
アート・サイエンスの騎手である。
繰りだされる立体や表現は語りつくせない。
短髪で描いたのでテニスのジョコビッチ選手に似てしまった。骨格がもしかしたら同じなのかもしれない。
といってもやはり作品をひとつ紹介しておこう。
そういう季節になった。
朝、庭に雪があった。
木枯らしの吹く季節でもある。これを野分という。
ゐのししも共に吹かるる野分かな
という芭蕉の句がある。この野分は現在の台風のことで、今時分吹く木枯らしではないそうだ。
言葉も時代で変遷し、ひと昔は「呼応の文法」とか言って・・・・・
「ぜんぜん」ときたら否定がくる。・・・・・と思っていたら最近肯定がきていた。
朝、庭に雪があった。
木枯らしの吹く季節でもある。これを野分という。
ゐのししも共に吹かるる野分かな
という芭蕉の句がある。この野分は現在の台風のことで、今時分吹く木枯らしではないそうだ。
言葉も時代で変遷し、ひと昔は「呼応の文法」とか言って・・・・・
「ぜんぜん」ときたら否定がくる。・・・・・と思っていたら最近肯定がきていた。
よその家だが塀に山茶花がきれいに花をつけていた。
印刷所に出す決意をした。ページをくってみると奇数であったので、あわてて一枚彫り付け加えた。
本になるといろいろ制約もあるな・・・・ということだ。
句会が近い。要するに語彙が乏しいとむなしい。若い頃からもっと読書が必要だ。これからでも間に合うかもしれない?
版画棟方志功さんの書いた色紙だ。・・・・・こういうことよ。
印刷所に出す決意をした。ページをくってみると奇数であったので、あわてて一枚彫り付け加えた。
本になるといろいろ制約もあるな・・・・ということだ。
句会が近い。要するに語彙が乏しいとむなしい。若い頃からもっと読書が必要だ。これからでも間に合うかもしれない?
版画棟方志功さんの書いた色紙だ。・・・・・こういうことよ。
あしたは勤労感謝の日だ・・・・そうだ。
もともと漢字は中国から伝わってきた。しかし日本と中国は同じところもあり、当然ちがうところもある。
さがしてもあてはまる漢字がない・・・・そこで日本発の漢字が生れた・・・・。
「働く」もそうである。
でも、中国語で働くという意味の漢字はなかったのだろうか?
工とか勤とか・・・あるらしい。
もともと漢字は中国から伝わってきた。しかし日本と中国は同じところもあり、当然ちがうところもある。
さがしてもあてはまる漢字がない・・・・そこで日本発の漢字が生れた・・・・。
「働く」もそうである。
でも、中国語で働くという意味の漢字はなかったのだろうか?
工とか勤とか・・・あるらしい。
去年の今頃、大根抜いていたな・・・・・あたたかい。
中央には大根をもてる母親をいれる。
大根は今は一年中見られるが、旬は冬である。
秋から冬にかけてのお祭りは大根を奉げることが多い。
夜やったり昼やったりしていたせいかズレが出てしまった。写真だと気が付かないが・・・・・
左には炭焼きのオヤジをいれる。わたしのオヤジも戦争から帰ってきて、しばらく炭焼きをしていた。
山奥まで遊びにいったことがあるが、真っ黒になってたいへん労働だ。
右には冬の少年。木端で雪をかく。今は便利な雪かきがあったが、昔は板を削った自家製だ。なければ作る時代だったのだ。今はなければ買う時代なのだ。
武田信玄が信濃を制したのは西暦でいうと1500の半ばだ。。
信玄に抵抗した村上氏もいたが、信濃は甲府信玄の治められた。
私の生まれた小谷も仁科氏の配下で、仁科氏に信玄の5男坊がはいってにらみをきかしていた。
上杉謙信との川中島の戦いは有名だが、小谷も新潟とせっしているので小競り合いはあったようだ。
こういう戦いの中で世は統一され、現在のような日本になっている。今日まで国内国外との戦い・戦争は幾度かあったのだ。
私は武田信玄と同じ姓だが、子孫ではない。当然祖先はどちらかにつかなければいけない状況なので武田側についたのではないだろうか。・・・・・雑兵としてかり出されたのだろう。・・・であるからこの似顔絵のように「風林火山」の旗の側のは近寄れない立場なのだ。
信玄に抵抗した村上氏もいたが、信濃は甲府信玄の治められた。
私の生まれた小谷も仁科氏の配下で、仁科氏に信玄の5男坊がはいってにらみをきかしていた。
上杉謙信との川中島の戦いは有名だが、小谷も新潟とせっしているので小競り合いはあったようだ。
こういう戦いの中で世は統一され、現在のような日本になっている。今日まで国内国外との戦い・戦争は幾度かあったのだ。
私は武田信玄と同じ姓だが、子孫ではない。当然祖先はどちらかにつかなければいけない状況なので武田側についたのではないだろうか。・・・・・雑兵としてかり出されたのだろう。・・・であるからこの似顔絵のように「風林火山」の旗の側のは近寄れない立場なのだ。
という歌があった。
雨があがり「小春日和」という感じの陽気だ。
たしか村田英雄という歌手が歌っていた。♪愚痴も言わずに女房の小春・・・・・と。このたえる姿と愛くるしい名前がいいのだろう。現在は耐え忍ぶ女房・・・・・は受けない。
裏のつつじが「帰り花」、ま「狂い花」ともいうけど。花でさえ狂う時があるのだ。
おせちなどの箱を何かに使えるととっておいた。これもたまったので色を塗る。
元気よく赤で。
雨があがり「小春日和」という感じの陽気だ。
たしか村田英雄という歌手が歌っていた。♪愚痴も言わずに女房の小春・・・・・と。このたえる姿と愛くるしい名前がいいのだろう。現在は耐え忍ぶ女房・・・・・は受けない。
裏のつつじが「帰り花」、ま「狂い花」ともいうけど。花でさえ狂う時があるのだ。
おせちなどの箱を何かに使えるととっておいた。これもたまったので色を塗る。
元気よく赤で。