武田光弘画楽多製作日記

暇をもてあそび造形してます。作品として形としてまとめたものなどを見ていただきたい
と思っています。

雪が降る・・・・♪

2011年12月31日 | Weblog


北部は雪だろう。
年末掃除に書棚の奥に昔買った「北越雪譜」と言う本が出てきた。・・・・だいたい物をかたずけはじめるとこうなるのだ。
この作家は「鈴木牧之」と言って江戸時代の人だ。越後塩沢生まれで、この豪雪地帯の様子を広めたいと願った人だ。この当時でも地方で本を出すのは非常にむずかしいことだ。この方は地方の文化人であったらしい。商売は商売でやり、文芸は文芸でやる。商売上、江戸に出る機会もあり江戸の文化人とのつながりもあったようで、出版はそこだのみだったらしい。
馬琴、山東京伝の名も出てくる。馬琴はその頃「里見八犬伝」を書いているところだとうか。昔も今も出版元は売れなきゃ出さない。いい企画じゃなければ出さない。・・・・なんとか出るようになった時、牧之は中風で倒れていたという。
さし絵もはいった雪国の様子が書かれています。昔風だから、ちょい読みにくいですけどね・・・・・・・

では、皆さんよいお年をお迎えください。     合掌?

年末アレコレ

2011年12月30日 | Weblog
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今年から松の枝を飾るのをやめて紙にした。立派な自然保護だ。

歳の暮れだけれど、テレビではアナウンサーが淡々とニュースを伝えている。長く見てると、そのニュース昼にも聞いた・・・・と思うことがあるが、聞くほうがヒマなのだ。
だいたいNHKのアナは一分間に300字程の速さだそうだ。訓練はされているのだろう・・・舌がもつれることもなく、ゆっくり話しているように感じるのは現代人にはマッチしてるのだろう。現在の日本人の会話は早口で、明治の人はついてこれないだろうと書いてる本もある。
・・・・・北朝鮮のアナのように感情込めるのも芝居がかって現代風でない。国情がそうさせるのだろうか。
日本も多分生活がセカセカしてきてるので、昔に比べたら会話なども、かなり速くなってる・・・・・ゆっくり生活したいものだ。

年末にはフックラ鍋を

2011年12月29日 | Weblog


鶏肉にたまねぎ、ハンペンはこまかくちぎって練る。みりん、マヨネーズ、塩、しょうがをくわえて練る。ねばりが出るまで練る。
だしをとった鍋で浮き上がるまで煮る。
その後、きのこ、みずななど・・・・適当にある野菜を入れ、食べる。ハンペンのおかげでダンゴはふっくら・・・・・・・そういうことです。

みちのく忠臣蔵事件

2011年12月28日 | Weblog
「相馬御風」と言う方は新潟の糸魚川出身だ。記念館もある。
知らない人は知らない・・・・早稲田大学の校歌♪「都の西北・・・・」の作詞者と言えば・・・・へーーとなる。
「相馬大作」と言う方は東北南部藩のさむらいだ。昔からの遺恨で弘前藩の藩主の暗殺を計画し、密告で発覚し斬首された。この事件を赤穂浪士にたとえ「みちのく忠臣蔵」とも言う。
この二人のむすびつきは私の家にある「相馬御風の短冊」である。祖父が友人を通して糸魚川で御風から直接もらった・・・・と言い伝えられているが・・・・・・

裏の世界では「相馬御風」の書いたものは偽物が多いとか。・・・だから「相馬のものは代作」と言うのだと聞いたことがある。うちのはいかに・・・こういうのは鑑定団だ。
結びつけられた「相馬大作」さんには迷惑な話だが。「大作」と「代作」をひっかけたのだ。

啄木の手紙

2011年12月27日 | Weblog

これは先年いただいた手紙だ。こういうふうに毛筆でスラスラ書いてみたいものだ。
テレビの鑑定団で坂本龍馬の手紙が出て、0がやたらとついた。本物だ。

龍馬のお姉さんに出した手紙は有名だ・・・・・よく残っていたなと感心する。坂本家の子孫は明治になり土佐を去ったらしい・・・・。

「・・・少しエヘン顔してひそかにおり申し候。達人の見る眼は恐ろしいものとやか、徒然草にもこれあり。猶、エホン、エヘン。かしこ。」
これが龍馬の姉さんにいばって自慢してる手紙の一部だ。

わたしときたら「手紙」という課題でエッセイを書くことになってしまった。これには苦労していてまだ終筆にならない。

石川啄木には一通で9,300字の手紙があるそうだ。読むのも大変だが、あの時代は読む人は読むのだ。

夏目漱石には訪問して若い人が多かったとか。漱石は訪問者を歓迎し帰ると、すぐ手紙を書いたりして・・・・すぐれた若い門下生が育ったとか。
家庭がおもしろくなかったので、来客を大事にしたとか言う悪口もあるが・・・・

変わり身のはやさ

2011年12月26日 | Weblog
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不動明を作るつもりが様にならず増長天に変更。
変更もありの世の中なのだ。民主党は党結成時に掲げたマニフェストを変更・・取りやめたらしい。大阪市長選で攻撃した橋本候補が当選するとニコニコ迎え歓迎してる。自民党も同じだ。政治もこうだから・・・・庶民も変更はいいのだ。



世の中はすっかり冷えて・・・・・冬らしくなった。

なぜ鳥を追うか?

2011年12月25日 | Weblog


最近、スズメが減ったと言われる。家が西洋風になり巣を作る場所がなくなったとか。
そういえば少なくなった気もする。

「いくら食ふものぞ追うなよスズメの子」と言う一茶の句がある。昔は貴重な穀物を食べるので害鳥で、農家の人にとって「許せない」となるが、・・・・一茶は「ま、そういうな」・・・と言うことかな。

昔台湾に行った時、屋台で焼き鳥を食べた。「おいしかった」。・・・なんの鳥と聞いたら「ハトだ」と答えが返ってきた。・・・・・なんとなく気落ちした。
ハトとかスズメは人間に近いところにいるので、食料としてはなじまない。
しかし、昔はスズメも「やきとり」として食べられた。薬用としても貴重だったらしい。腹痛、こどものかんの薬、夜尿症、せき、神経衰弱、眼病、はげ頭・・・・とにかく何でも効くのだ。何でも効くというのは、なんにも効かないということか。

男女の産み分け

2011年12月24日 | Weblog
朝はやく句会があった。
いつもは午後なので調子が狂う。


護送さる心病みたる少年のサンダル履きの白き足もと

が短歌で少し票をもらった。
小諸の動物園のメスきじが雄化したとか言うニュースをやっていた。写真では確かに羽根が雄の配置になっていた。
そういうこともあるさ。
テレビでも雄だか雌だかわからない人種が、市民権をえて騒いでいる。

今は農薬のせいで姿が見れなくなった・・・・・カブトエビは県内ではメスばかりだった。水田にかきまわすので雑草も枯れてしまう都合のいい虫だった。オスはいないこともなく県外ではオスメスも同居している場所もあるらしい。
結局、メスでもオスの機能をそなえていて、ドンドン繁殖しているらしい。

世の中には、オスがいてメスがいて成り立つなどと考えなくていいのだ。

冬至・・・・その歴史

2011年12月23日 | Weblog
かぼちゃをチョイ食べる。

冬至はカボチャを食べるのは中風にならぬように。
腹を病まぬように。
腹に虫がたからぬように。
食べると田畑に出ても虫けらにあわない。
毛の穴が寒がって風邪を引かない。・・・・とか言われていた慣わしだ。


こんなことも言われていた。
夜は砂払いだと言って葛かゆを食べる。朝はナスの木を戸間口で燃やす。その煙を家の中に入れると疫病にならない。火事にはならない。
冬至の日、晴天なら鰤(ぶり)がとれ、年取りには鰤が安い。曇れば来年は雹(ひょう)が降る。

写真は畦地梅太郎の版画カレンダーをいただいたのでパチリ。

ニッポンチャチャチャ

2011年12月22日 | Weblog


「鐘の鳴る丘集会場」を作りはじめた。雪がサラリと降り積もっている。
年配の方には菊池一夫の懐かしいラジオドラマを思い出すだろう・・・・・・・

♪鐘が鳴りますチンコンカン・・・・・・・

少年院と使われたこの建物は、もともとは旅館だったとか。

そういえばお城さえ、遊郭用に売られたことがあったとか・・・・時代の変わり目を乗り越えるのも大変だ。


だんだん日本風の建物が消え・・・西洋風な民家がふえて・・・一見外国?と見違えてしまう。