武田光弘画楽多製作日記

暇をもてあそび造形してます。作品として形としてまとめたものなどを見ていただきたい
と思っています。

///////////太夫・・・・・

2017年06月29日 | Weblog
なんとか太夫と呼ばれれば、時代劇の悪役だ。
山椒大夫などの人物もいた。この人の職業は人さらいだった。
毒蝮三太夫とかいう芸人もいたが、悪ブルというのがタレントとしてのスタイルだろう。

この版画は以前に作ったものだが、この白い蛾が「しらげだゆう」という名だ。最近あまり見かけないが夜、外灯などに寄って来た。羽をひろげれば10センチくらいの大きさだ。色からして「気持ち悪い部類だ」。
「しらげだゆう」と調べて載っていない。これは信州佐久地方の方言らしい。
「みずあお」とかが正式の名前らしい。「クスサン」ともあった。昆虫にくわしくないので不明。
大発生して、くるみの木に一晩で葉っぱがなくなったとかのニュースも記憶にある。

昆虫も生まれながらにして嫌われるものと、かわいがられるものがある。
本人には罪がない・・・・・・
近所のたんぼをのぞいても、農薬のせいだろうか、虫らしきものがいない。草原だったところは除草剤で枯れている。
おたまじゃくしだけが農薬にたえぬいている。

芥田川龍之介の場合

2017年06月28日 | Weblog
なんとか再開した。





芥川龍之介の「鼻」・・・・・・から発想した豆本である。(少しでかいが)

奇妙な形をした鼻をもった僧の物語である。すぐれた文章力から人間の心理描写が浮き出てくる。それをこんな形でもじるのも申し訳ない。

ハナハナ遺憾である。

火種

2017年06月06日 | Weblog


これは「火種」という昔話の一場面である。こういう昔話の採録に私の祖父は参加したらしく巻末に名前が載っていた。
火種を絶やすことは昔の人にとって、ふたたび火をおこすことになり大変なことであった。
いろりなどでは「おき」に灰をかけ、消えないようにしていた。


そこからこの話は生まれ、嫁が舅に「火をたやすな」と言われ寝ずに番をする。寝むけにおそわれ・・・・・
と話は展開する。
昔話は不幸な結末にならない。


少年懐古録

2017年06月05日 | Weblog


中身は昔の遊びでまとめたい。わたし時代の幼年期といく。
表紙は「黄金バット」。

セルロイドのQピットの人形は確かあったよな。

戦争ごっこ・・・やったかもしれない。お宮で棒をもってふりまわしていた。
しかし、黒に赤い線の帽子などかぶったこともない。

将棋・・・・お爺さんの手作りの駒があった。戦争の兵士に見立てたのは見たことない。


海賊。これが定番だ。ピースなどにも出てくるが、こうゆうスタイルだ。

あまりにも当時の流行りを知らなすぎる。・・・・・・山奥で育ったので日本スミズミまで文化がいきわたるには時間がいり、伝わる前に消えたりする。よく考えるとやはりこういうものも都会中心なのだ。

棺おけのできるまで・・・・・

2017年06月03日 | Weblog


わたしの少年時代のヒーローだ。
実はそうだそうだの話だ。
山奥に育ったので、こういうものはかなり遅れてはいってきた。
しかし、紙の上のヒーローより、山川の遊びに明け暮れていのだ。


微熱の去り・・・・天気もいいので箱を作る。これは棺桶ではない。腐葉土をつくるための箱だ。
まだ未完成。ペンキをぬる予定。作りながら思い出した。昔は葬儀屋もなかったので、自作していた。
ごく粗末な板だった。それを村はずれの火葬場で一晩焼いていた。


目立たないようペンキ色の要請だ。




フ。