最近の新聞に1954年3月1日に第五福竜丸と言うマグロ漁船がアメリカの核実験の「死の灰」をあびた事件をとりあげていた。当時は広島、長崎に続いて3度目の惨事として反核運動のきっかけになったが、「原子力の平和利用」に踏み出した時期と重なり、日米で早期の幕引きがはかられたと・・・・・・・・・・
そこで登場するのは私が六年生の時読んでいた「小学六年生」だ。ここに子どもが読めるように1955年に開かれる世界原子力会議のことが載っている。
このころにはアメリカ、ソ連、イギリスでは原子力発電所が作られ、この会議に日本も技術を得るため学者や技師を送らねばならない。そしてどの国の発電所が良いのか、調べてみる必要があります。アメリカは「濃縮ウランをかすから、原子力の研究をしなさい」としきりに言ってきてる。日本はアメリカのが優秀なのか、他の国にが良いのか、比べてる必要がある。・・・・・・と解説している、
広島、長崎に原爆が投下されたのが1945年、福竜丸が1954年。1955年に世界原子力会議。
この雑誌の記事を読んだか記憶もない。この頃はのう天気に野山をかけずり、川で魚をとり、腹がすけば畑でスイカをだまっていただき・・・・田舎の少年にとって原子力など、どこかの世界の話だったのだ。
顔の切り絵はまったく関係ありませんので。