武田光弘画楽多製作日記

暇をもてあそび造形してます。作品として形としてまとめたものなどを見ていただきたい
と思っています。

暑さと揺れのこの夏か・・

2011年06月30日 | Weblog



今年は暑いらしい。6月と言うのにこの暑さは予報かもしれぬ。
昨日の朝テレビでは終戦の「玉音放送」の場面をやっていた。8月の暑い日に終戦を迎えたのだ。
アフガンでは8歳のこどもに荷物を届けさせ、自爆装置のスイッチを押すと言う記事が載っていた。
日本では終戦・・・敗戦であり、アジアの国々にとっては解放の日だったのだ。
どちらにしても、いずれの国民にとっても悲惨な時期だったのだ。体験をしてない人がいなくなる時代は、その感覚も薄らいでいくのだろうか。

・・・・・・これを書いている最中、かなり強い揺れがきた。隣の家で屋根工事している人は関係なく仕事をしていた。こんな揺れは・・どうってことねえ・・と言うことか。

まったく油断できない夏になる。

天国へいく煙

2011年06月29日 | Weblog
本日は予約どうり埋葬センターで焼いていただいた。ここでは人間並みに丁寧に扱っていただいてた。それはそうだ。物でないのだ・・・・・・

万緑や煙一筋昇りけり

これはこの間の句会に出したものだ。緑濃い火葬場で、煙がスーーと昇る情景だ。今回の愛犬をイメージしたものではない。さて、愛犬の方はしっかり、こんがりと仕上がっていた。鉄板でしっかり焼いてある感覚だ。これだと煙なんぞ出ないよな。

わたしの小さい頃は、人間が亡くなると村内の焼き場で処理した。凹のような石積みの火葬場でわらで燃やしたのだ。これに火を付けると一気に燃えてしまうので、トタンをかぶせ水をかけながら燃やすのだ。一晩かかって焼くのだ。
内臓が病気の場合、そこ残って困るとか大人たちが言っていた。

この場所は学校の裏近くにあったので、風の具合で臭いが流れてくることがあった。

「今日はあそこのじいさんだぜ」とか言いあっていたな。

八坂風景

2011年06月28日 | Weblog
もうだいぶ前の作品ですが八坂村の風景です。今は大町市と合併してますが・・・・・
昔、懐かしい風景が今も見られます。少しは変わったかも・・・・・20年位前ですね。
それ以前に芥川賞作家で大町に住んでおられる丸山健二さんが八坂を訪れた時、カメラを向けてもVサインをしないこどもたちが感動していました。
日本では、いつの頃からかカメラを向けるとVサインをするのが通常となってしまいました。
私が訪れた時はVサインがあっったり前でした。

竹林は栃沢というところです。太い竹が育ってます。昔、これを切って川を使って松本藩に出したそうです。藩の御用林というところですか。版画のバレン用にと生徒がたくさん筍の皮を集めてくれました。当時作る技術がなかったので、もったないことしました。

カラスはなぜ黒いか

2011年06月27日 | Weblog



カラスはもともと白いきれいな鳥だった。しかし、ある日きれいな外国の鳥をみて染物屋のふくろうに頼みにいった。ねぼけた感じのふくろうは、手順をまちがえて黒く染めてしまったのだ。おこったカラスは「お前なんか、昼間行き会ったらただじゃおかねえ」ということでフクロウは生活を夜に変えたのだ。・・・・これをつくってある保育園で実演した。・・・・・・・・・・さっぱり受けなかった。しかし、拍手はあった。これは日頃の教育で事が終われば、自然に手をたたく習性になっているのだ。

夜、我が家の犬が亡くなった。十五歳を越えているので自然死というところです。しかし、足腰がたたなくなって・・あっと言う間だった。
埋葬センターに連絡した。・・・内心、高いなーと一瞬思った。

ベストセラー

2011年06月26日 | Weblog
今週の当店売りゆきベストテンとか・・・本を並べて置くだけでは売れません。なんとか店頭の工夫をしている。松本のお城の形をした古本屋さんにブラリとよった。商売っ気なく古本を高く積み上げてあった。

さてさて江戸時代のベストセラーは「曽我物語」と「義経記」だったそうだ。曽我物語とくれば富士の裾野で親の仇を討つ兄弟の物語だ。頭の中に鮮明に浮かんでくるのは、その物語のさし絵の図柄だ。・・・・・年代ですね。

苦節18年親の仇を討つのだ---------------まわりに知らない人が多いので盛り上がらないーーーーーーーこの時期の闇にまみれて仇を討った。この梅雨時の闇は一年のうち一番暗いと言われていて「五月やみ」と言いますが・・・・・


曽我兄弟の仇討ちと忠臣蔵と荒木又右衛門が日本の三大仇討ちと言われ、歌舞伎の世界の貴重なネタだ。・・・・ネタと言うと言葉が悪いが。

水は大事なものなれど・・・・

2011年06月25日 | Weblog


この雨が各地で災害を起している。水は我々にとっても重要なものだが、いろいろ災いもある。
汚染水の浄化が進まないらしい。

川は文明の発祥地の中心であった。世界のナイルとかインダス川に比べると、日本の川は誠に小さい。・・・だから流れも速い。目の前のゴミもすぐ流れる。世界の大河のようにプアプアしていない。・・・・そこらへんから「水はきたない物を捨ててくれる」という観念が、いろいろあるが・・ま「水に流そう」という言葉がで出来たらしい。

京都の昔、鴨川に死体を流していた。水葬である。江戸時代の隅田川では川の浄化作用をゴミが越えたためゴミ捨て禁止令が出た。ただ、捨ててよいものは「ねずみ」だけだったとか。これは「トンビ」のえさとなると考えたそうだ。

紙を切り、きざんだものを並べてみました。

聞け!人民の労働歌

2011年06月24日 | Weblog
「石臼のようにかたい頭」とか先生がつぶやく時代があった。
現在石臼など見ようと思えば農具資料館にはあるだろうけど、ふだんはほとんど見られない。
みんな人力の時代には、これをまわしながら穀物を粉にしたのだ。・・・・くりかえしの仕事だから、これまた大変だ。こどもにとっては耐えがたい仕事であった。
大人衆は、こういう仕事の中から「うすひき唄」「田植え唄」「はたおり唄」など生まれてきたのだ。
機会化され、いずれも消えてしまった唄だ・・・・

うす挽き唄
ざっさざっさおら臼あ重たい臼だ
山に三年川原に二年ごろりと五年ねた臼だ

臼はひき役手に肉刺七つ親御ござれど休みなし
           ※肉刺・まめのこと
臼はひけどもやきもちやかぬ婆さしわいがこながない

・・・・・そんな唄が記録として残ってる。

政治のつなぎ

2011年06月23日 | Weblog
五輪二次予選とかサッカーがやっている。他の競技もチラチラ、オリンピック選考とか言ってる。今度のオリンピックがいつだか、4年間がはやいのでわからない。

この前の時は日本の首相は誰だっけ・・・忘れたけど、今度の時は今から数人替わって変わっているだろう。・・・など思ったりしている。相変わらず茶番劇だ。スキャンダルでにぎやかなイタリアの首相は、替わりそうもない。・・・国民性にもよるのかな。

北信州の戸狩には「ボクチそば」というのがあるそうだ。幻のそばでつなぎに「オヤマボクチ」という植物を使うそうだ。つなぎという物は大事なものだ。

23日はオリンピックデーとなっている。近代オリンピック開催の会議が行われた日だ。ここでも戦いの休戦を「つなぎ」として、平和を求めたのだが・・・現在オリンピックは続いても、戦いは終わらない。

教育実習

2011年06月22日 | Weblog

Y太君から教育実習中とのコメントありました。教育実習と言う言葉が懐かしいですね。・・・・当時、あれこれやっていたやってたことが肉になっていたのかも知れません。奮闘、奮闘がんばれです。

そばの話。
昔、十返舎一九が「東海道膝栗毛」の後、木曽に入り寝覚めの床で「寿命そば」を食べたそうだ。・・・このそば屋は場所を変え、まだ営業している。私はここの近くの住宅に数年住んでおり、このそば屋さんの家に先輩が下宿していた。中学生の息子がおり・・・と言っても・・・あれから40年近くたつけど。

そこで一九は

そば白く薬味は青く入り物は赤いせいろ黄なる黒文字
と謡ってる。この色彩に心を動かしたのだろうか。


野麦峠悲話

2011年06月21日 | Weblog

上高地へ行く途中から横にそれて山に入ると奈川がある。昔は村だったが現在は合併して松本市に入っている。

ここをぬけて行くと野麦峠がある。この峠は悲しい歴史の峠だ。飛騨からこの峠を越え、若い女工さんたちが岡谷の製糸工場に働きにきたのだ。苛酷な労働に多くの人が故郷へ帰れず命を落としたのだ。本も出てるが映画化もされた。3年ほど保育園の仕事の関係で、ここを訪問した・・・・峠にも行かせてもらった。途中、野仏のどあり・・・・のどかないいところだ。暗い歴史があったけど・・・・・

「とうじそば」と言うのは、投げ入れる・・・「投」から来てるとか。