武田光弘画楽多製作日記

暇をもてあそび造形してます。作品として形としてまとめたものなどを見ていただきたい
と思っています。

雪のものがたり

2012年12月31日 | Weblog
この暮れに雪が降った・・・・と言っても次の日が雨で大分消えた。
これは「雪おんな」・・・・小泉八雲が日本の民話から取材した話である。父はアイルランド人、母はギリシャ人・・・生まれてすぐ親は離婚。伯母に育てられ先天的な近視眼、十六歳で右目失明。・・・伯母が亡くなり、十九歳の時アメリカに渡る。そこで新聞記者として名をあげて、又フランス文学の翻訳者と活躍した。その時アジアの小国ニッポンに興味をもち、英語教師として日本に赴任した。その場所が出雲、松江であった。ここには西洋文化に染まってない日本文化があった。それがよかったのだ。

これはジプシーの民話から題材をとった。鹿と少女が同体になる。・・・そんな話だ。日本にも蛇の子を宿らす話がある。限られたごく狭い世界では、こういう話が発生するかもしれない。
雪の物語は尽きない・・・・・・・

老人の鼻たれ

2012年12月28日 | Weblog
テレビのニュースで最高齢115歳の方を紹介していた。明治生まれだそうだ。
どうでもよいがクリスマスの次の日26日は大正から昭和になった日である。この方は明治・大正・昭和・平成と渡ってがんばっておられたのだ。大正は十五年だから短いが・・・・・平成になったかと思えば、もう二十四年だ。
昔は七十になるのは、古来まれだから「古稀」の祝いと言った。今はざらだけど。七十七は喜寿。八十八は米寿だ。こんなのは普通になってくる。七十は「はなたれ小僧」の時代だ。

餅はアベカワ

2012年12月27日 | Weblog
生家を人にゆずったので毎年の雪の心配もしなくてすむ。・・・・それも寂しいものだ。今年も大雪らしい。
正月近いので餅つきだ。もちろん機械だ。その昔、新しいもの好きの父が餅つき機が出るとすぐ買ってきた。その当時の機械はもち本来の粘りがでず・・・・・こりゃだめだとなった。
今の機械はもうそんなことはない。
餅は安部カワで食べるもおいしい。今年はこれだ。すっかり落ち目の餅にはなりたくない野田。

簡単に胃炎・・・

2012年12月26日 | Weblog
この暮れと言うのに腹が痛いので検査に行く。薬か検査かと言うので検査を選んだ。
胃カメラを飲んだ。・・・飲み込んだ。
食道をとおり次は胃です・・・・ここを通って十二指腸の入り口です・・・・と案内された。そんな写真を載せることもないが・・・軽い胃炎と宣言された。
夜、「情熱大意」を見る。
彼もよくやってるらしい。本屋に行ったらパラパラマンガを売っていた。ペン一本の仕事だ。「見たか」とか言う電話もあった。
あんまり、ファイトがでないので・・・・まねてペン一本でイラストを描いてみた。
ちがったものでも描いてみたいが・・・・最後はもとの自分になってしまう。
・・・・・・胃炎のせいだ。

レース切り絵作家・蒼山日菜さん

2012年12月23日 | Weblog

フランスで活躍してる切り絵作家・蒼山日菜さんの番組をみる。
きわめて繊細な切り絵だ。すごい感性だ。圧倒されてしまう。
これまでの生き方にもスポットをあてていた。「東洋人は嫌いだ」と言う差別や自分達の文化切り絵を東洋人がやるというねたみに苦しみられたようだ。
フランスなどはこういう人種差別はないのだと勝手思っていた。・・・・・・・どこの世界にも存在するのかもしれない。
下の作品はわたしのごく不繊細な切り絵だ。アンデルセン童話の「雪の女王」から採った。・・・これは誰も気が付かない。あまりにも違うので想像できないのだ。
「雪の女王」と言うと韓流ドラと思っている人もいる。

宮本武蔵の秘密

2012年12月22日 | Weblog

もういくつ寝るとお正月・・・・なんて歌があった。滝廉太郎作の童謡かも。
そんな時期に歯がギシギシ・・・・歯医者に行った。
待ち時間に置いてある本を見る。
・・・・剣豪・宮本武蔵の強さの秘密は歯にあると言う。野人武蔵も持ち歩いた食料は「干し飯」だそうだ。通常これはお湯にとかし食べる。火をたくことは自分のいる場所を人に知らせることになるので、武蔵はこれをガリガリ食べた。これはかなり堅い。
そのことによって集中力は高まり、それが冷静な判断、強靭な脳の働きを生み連戦戦勝・・・・・
たしかに噛むことの効用はでかい・・・・最近食べるものは、柔らかいものばかりだ。
どおりで最近脳が弱くなってるような気がする。

明日の日曜。「情熱大陸」に「鉄拳」が出るそうだ。ま、よくがんばってるな。

一歩前へ・・・

2012年12月20日 | Weblog
韓国もリーダーが代わり、前職のことは報道されない。日本のは報道されても申し訳ありません・・・というのみだ。
韓国の朴大統領のお父さんは、昔文化使節団にもぐりこんで韓国に行った時、日本に帰った直後暗殺された。まだまだ政情不安の時代だった。
とにかく何事も一歩前を見ないと前途は開かない。
ボランティアクラブの忘年会に出た。時間を間違えはやく行き過ぎたがお勝手では料理の準備をしていた。配膳など手伝い・・・炊き立てに新米おにぎりをいただいた。大量に炊いたご飯はおいしいわ。新米のせいでもあるけど・・・・・・

日本の右傾化

2012年12月18日 | Weblog
<im<font color="black">g src="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/d6/77bafd5f67b809d7180b5d570582b641.jpg" border="0">
奈良興福寺への階段を彫りおこした。まだ完成ではなく、これから刷りである。
右に見える五重の塔は実際はここでは見えない・・・・少し移動してもらった。
日本も右に移動するのではないかと心配する向きもある。
それは当たってるかもしれない。
午前中に松本の講座があった。ラーメン屋も多くあるが看板に「シナ」という言葉をつけているラーメン屋あった。前の東京都知事も中国のことをやたらとシナと言っていた。言葉の意味を十分知って使っている。
午後、幼稚園でワークショプ。先生方対象だ。用意していった案は人気なく、前に使ったのがいいと言うのでそれで・・・・・
幼稚園の先生たちだから、こういう工作は好きで手際もいい・・・・・といいたいところだが運動得意の先生もいて・・・・・・・それでいいのだ。

光と影

2012年12月17日 | Weblog
人間社会の光と影を描いている松本清張のドラマをやってる。やたらと多いと思ったら生誕だったか・・・記念の年らしい。
総選挙も終わり、光と影がうごめいて落ちると議員はただの人・・・・あの本県の知事だった方も、新潟の王国の姫だった人も落ちたらしい。
ペーパークラフト「宮沢賢治の水仙月の四日」に光を当ててみた。
あて具合によって魅力的になる・・・光の効果はでかいと自画自賛してる。
この世の光が消えると古代の人たちはあわてふためいただろう・・・・・あの源平の壇の浦の戦いの前、日食が起き・・・源氏方は驚きあわてふためいた。だがこの日食の知識をもっていた平家の方は動じなかったとか。・・・・・ま、最後は動じなかった方が負けたけど。

福沢諭吉の母親の行動を考える

2012年12月16日 | Weblog
急に暑くなった。いいかげんいしろといっても相手は天候だ。
テレビではのんびりお互いに毛つくろいをしている猿を映していた。
昔はのみを採ってると教えられた。実は塩だとか・・・どっちでもいいけど。
確か戦後しばらくは「のみ」とか「しらみ」とかが全盛だった。「ねずみ」など昔の家はすき間だらけだからいくらでも侵入できた。
「しらみ」は頭に生息した。女の子は髪が長いから、いい住処だったのだ。
頭もろくに洗わない時代だったし・・・・・
「こじき」などの言われる方もいた。今のホ-ムレスの人たちとはちょい違うようだ。この人たちは「のみ」「しらみ」の宝庫だった。
福沢諭吉のお母さんは、この「こじき」が物乞いにくると大歓迎し「しらみをとらせてくれ」と言って、それを楽しみにしてたと言う。しっかりとってお礼として小銭や食べ物を差し出したそうだ。福沢諭吉はこれが大嫌いで実に汚いことだと回想してる。

福沢諭吉の母親はどういう方かしらないが、ものすごくえらい人かもしれない。えらいという言葉がいいかどうかだけど・・・・・・・・・・