武田光弘画楽多製作日記

暇をもてあそび造形してます。作品として形としてまとめたものなどを見ていただきたい
と思っています。

文化祭いろいろ

2014年10月31日 | Weblog
いよいよ紅葉の季節まっただ中だ。
代表の楓は葉のかたちが「蛙の手」に似てるから名がついたそうだ。
文化祭も花盛りだ。
穂高カルチャーセンターの文化祭の飾りつけをした。~3日までだ。
今年は巻き物などあったので机を用意してもらった。
地元公民館の文化祭もあり、ほとんど小谷の文化祭に出してあり・・・・・「電話いただいても」どうしょうの心境です。

天気がくずれそうだ。玉ねぎの苗でも植えようか。近くの畑ではサツマイモの収穫をしてた。霜にやられたことがあるので今年はパス。しかし他人のを見てるとやってみようと思うくりかえし。
日米の野球も終わり、静かになりそうだけど・・・・・・・

昭和は遠くなりにけり

2014年10月30日 | Weblog
一時、「明治は遠くなりにけり」とよく言われたものだ・・・・・けど最近聞かない。よっぽど遠くへ行ったのだろうか。大正は短いので、そう呼ばない。
大正ロマンとか称して展覧会などあるけど・・・・
それぞれある面では良い時代であったのかも。

高山の店をモデルに彫った。うまくいかないのでもう一枚彫る。これもチョイ気に入らないので・・・・ダウン。
店の看板は本当は「昭和のなつかしい館」。水原ヒロシや由美かおるのキンチョウルの看板とか、醤油のヤマサの看板とかがあり、昭和のガラクタを並べていた。もちろん人影見えない。勝手に人物やない床屋もいれている。

あきらめよう。秋らめよう。飽きらめよう。

武田信玄を考える

2014年10月29日 | Weblog
甲斐の武田信玄がほぼ信濃を治めるに十年かかったと言う。ただし北信は謙信がおり治められなかった。
私も武田と言うので、どうゆうつながりですと都会から来た人は聞く「おじさんにあたります」と言うと「冗談でしょ」と言う。そう冗談なのです。
これは我が家に伝わる「信玄公」の像だ。大昔からあると思っていたら、昭和十九年戦争のため金属を供出した時記念でこれをもらったと書いてあった。

こういう顔だったが・・・・国立図書館にある肖像画とはえらく違う。
この時代負けると一族皆殺しが通常だから、信玄の末裔と言ったって・・・・・と思っていたら東京におられてそのご子息が、祖先のお世話になった山梨の職員になったと言うニュースも聞いた。どういう系統の方か不明なれど。
私は末裔でないことは確かだ。この肖像画は、わたしが退職の時生徒が贈ってくれたものだ。随分柔和で戦国時代には生きられない顔だ。
この肖像画は「鉄拳」が書いて新聞に載せられたものだ。ずいぶん怒っていた時代なので、こんな印象なのでしょう。


合掌。

グローバル化

2014年10月28日 | Weblog

新聞を見るともう大相撲の登場だ。
ついこの間終わったばかりと思っている。
どっちでもイイがまたモンゴル大相撲だろう。
野球も日本シリーズでにぎわっている。外国人が投げて外国人が撃って、日本人はどこにいるのだ。
長野商業出身のオリックス金子がアメリカメジャー行きらしい。それも選択のひとつだ。
優れた選手がアメリカに行き、アメリカ等から来る選手はあちらでは通用しない選手?だろうか。
ま、食欲の秋とかスポーツの秋だ。

働けど働けど・・・・

2014年10月27日 | Weblog


啄木の短歌にそういうのがあった。ここはエジプト盗掘現場。
金銀が王様の墓場の奥で眠っている。あたればでかい。

つい最近、展覧会で私の出身地を知って「金」のことを聞かれた。展覧会やってる人の友人で展覧会の作品よりは金の話に尽きた。

私の生まれた奥地には「金」が出る。小さい事から、これをめざす山師?来て採鉱していた。だがいずれも途中であきらめ退散した。けど数年すると又別の人が来た。これも退散した。・・・なにか金鉱の波がきれぎれでなかなか良いのがでないとか。小さい頃、この山奥へ遊びに行くと川にキラキラ光る・・・おおおお金だ。と騒いでいたら「坊主、そんなもの金じゃねえ」と言われた。金は掘り出され状態では光らないらしい。

この人が挑戦する気があるかどうか不明。最近は「金」は金でも「菌」の方が話題だ。

日本の風景

2014年10月25日 | Weblog

長野県は「教育県」と呼ばれた。現在はそれに比べ・・・・と嘆く長老が多い。
もともと幕末の寺子屋の普及率は全国一だった。
なぜか商業特に綿花などの栽培が活発になり、読み書きそろばんが庶民の間に必要になったからだ。明治にはいると産業教育のため民間の学校を作ることが盛んになった。これら学校の数は他県の比較にならぬほど多かった。こういうところが出発点なのだ。

波田の昔の役場をモデルにした。現在は公民館?として使用されているらしい。こういう建物はだんだん消えて、どこへ行っても同じような建物があり、コンビニがすぐ側にあり・・・・

なんか安っぽい日本の風景が多いな―――

柿食えば・・・・

2014年10月24日 | Weblog
柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺

これは正岡子規の句である。句碑は法隆寺の鏡池に傍にある。ちょうど修学旅行に行けば水場があるので一服と言う場所だ。ほれほれこれが教科書に出てくる子規の俳句だと言っても、お寺参りで生徒はぐんなりし
鹿でもいたら子規どこではない。

友人の夏目漱石は「鐘つけば銀杏散るなり建長寺」と言う俳句を詠んでいる。子規の頭にこれがあったのではないかとも言われる。子規は柿好きであったらしいが、実際に法隆寺を参拝したか、病状もあって不明とか。

子規も病気には勝てなかった。人生に永久不滅などはない。特に世の英雄たちは、不老長寿の薬など探したらしい。このオモチャはそれに反して永久に存続するおもちゃだ。
まずダイヤルをまわせば卵が生れる。さらに回せばドンドン生まれる。エサもいらない。
しかしながら、見てはいけないが・・・・生まれた卵は回転でふたたび腹に入る仕組みだ。
どうでもいいが、これを子どもにやらせると強弱の感覚がないため卵はフンづまりをおこし壊れる。

霎時施(こさめときどきふる)

2014年10月23日 | Weblog
小雨がパラパラ降る。この雨を「霎」と書く。これが続くと、いよいよ冬だ。
展覧会が近くなり額に入れたり・・・・イマイチだなと思う「三九郎」を彫り直した。

これが旧作だ。
そしてこれが新作だ。
どっちもあっちもと言われれば、そうかもしれない。

全国的には、この行事は「左義長」と言いますけど。

版画家・川上澄夫

2014年10月20日 | Weblog
版画家川上澄夫の美術館は栃木県の鹿沼市にある。
南蛮風の作風で、美術館も作品の中に出てくる洋館をモデルにしている。なんとも雰囲気がいい。
ここらは銘石の産地で、それを使っているとか。

南蛮風をまねて彫ってみた。明治風をねらってマネをしてみた。電車や人力車やご婦人も入れた。奥の建物が美術館を南蛮風に入れた。空はさみしいので当時の飛行機を二機。

川上澄夫さんは「私は私を喜ばせ、また楽します絵を作っている」と書籍の中で言ってます。栃木版画協会の人に話したら、初耳と言われてしまった。そんなもんかもしれない。

かの棟方志功も川上澄夫の作品にあこがれ、版画の道に入った。当時は川上澄夫ばりの色版画が残している。

大運動会参加賞

2014年10月19日 | Weblog
まさに晴天であった。
運動会に参加。マレットリレーで4位。参加賞のサランラップをいただいて退席。数年前に役員をしてた頃に比べたら出場地区が減っていた。来賓あいさつで出場減を止めよう・・・みたいな挨拶があったが、開会式に並んでいる人たちは参加してるので・・・・そう言われても・・・・出ない方に訴えたい。
写真は開会式始まる前の風景。
地区ごとのとん汁の香りが漂ってくる。屋台も7つくらいテントをはっていた。
帰れば展覧会の準備の電話が入った。それではと看板作りをはじめる。作品もぼちぼち揃えた。