テレビでは真央・ヨナのニュースで大騒ぎ。今朝の新聞も大騒ぎ。
アジア旋風の予感みたいな記事もあった。スピードスケートの選手は北海道とか東北、長野が多そうだ。長野も茅野、岡谷などが伝統的な地域だ。しかし、以前体育の役員をしていた頃、スキーやスケートの開催が財政的な苦しさで問題になっていた。
フィギユャは真央選手、安藤選手など中京方面が多いのも施設環境が大きいのだろう。しかし、財政難でスケート場の閉鎖があると言う。しかし、世界的技量を極めるには外国人コーチを求めたり、居住地をどこに定めるのか。家族を含め、周囲の方も大変なことなのだ。
アジア旋風の予感みたいな記事もあった。スピードスケートの選手は北海道とか東北、長野が多そうだ。長野も茅野、岡谷などが伝統的な地域だ。しかし、以前体育の役員をしていた頃、スキーやスケートの開催が財政的な苦しさで問題になっていた。
フィギユャは真央選手、安藤選手など中京方面が多いのも施設環境が大きいのだろう。しかし、財政難でスケート場の閉鎖があると言う。しかし、世界的技量を極めるには外国人コーチを求めたり、居住地をどこに定めるのか。家族を含め、周囲の方も大変なことなのだ。
版画は小谷・四ヶ庄の方言の一部である。四ヶ庄とは現在の白馬である。せまいながら昔は四ヶ庄平などと呼んでいたらしい。わびしい貧村が観光産業で民宿からスキーのメッカになり、今年のオリンピックは6人の選手が村から出ている。
それはそれとして方言として、雷鳥は「たけどり」と呼ばれ「うぐいす」は「おごいす」「おもよす」「うぐゆす」とか呼ばれていたらしい。
ウグイスと言えば、魚が成長にあわせ名前が変わっていくには知っていたが、ウグイスもそうらしいが変わり方がこまかい。京都ではという。・・・・卵からかえった三日目が「クシ」四日目「コハリ」五日目「オーハリ」・・・十一日目が「ダチ」と一日ごとに名前が変わるそうだ。
それはそれとして方言として、雷鳥は「たけどり」と呼ばれ「うぐいす」は「おごいす」「おもよす」「うぐゆす」とか呼ばれていたらしい。
ウグイスと言えば、魚が成長にあわせ名前が変わっていくには知っていたが、ウグイスもそうらしいが変わり方がこまかい。京都ではという。・・・・卵からかえった三日目が「クシ」四日目「コハリ」五日目「オーハリ」・・・十一日目が「ダチ」と一日ごとに名前が変わるそうだ。
「うちの子は商いには向いていない。侍にでもしょうか。」とぼやいた江戸の商家の親父がいた。フランスのドゴール元大統領は言った。「政治とは政治家に任せるにはあまりにも重要すぎる。」と・・・・
日本のくだらない野次ばかりの国会、予算委員会のありさまはみっともない。うんざりする。
議会に品性が必要だ。野次にもウィットとかユーモアが必要だ。その点は政治家だけでなく
日本人の欠けていることかもしれない。
アメリカの連邦議会では、まず野次は出ない。オバマ大統領の一般教書演説でも野次はなく、与野党議員ともに拍手を送っている。
ワシントンの連邦議会は歴代の偉大な大統領の銅像が建っており、その荘厳な雰囲気に議員たちはここを聖地と感じており、自らの言動の注意をしているという。
日本での歴代の首相の肖像画が確か国家に飾られているはずだ。だが、それは一枚の絵に過ぎない。
日本のくだらない野次ばかりの国会、予算委員会のありさまはみっともない。うんざりする。
議会に品性が必要だ。野次にもウィットとかユーモアが必要だ。その点は政治家だけでなく
日本人の欠けていることかもしれない。
アメリカの連邦議会では、まず野次は出ない。オバマ大統領の一般教書演説でも野次はなく、与野党議員ともに拍手を送っている。
ワシントンの連邦議会は歴代の偉大な大統領の銅像が建っており、その荘厳な雰囲気に議員たちはここを聖地と感じており、自らの言動の注意をしているという。
日本での歴代の首相の肖像画が確か国家に飾られているはずだ。だが、それは一枚の絵に過ぎない。
この版画は更埴の森さんの版画です。最近は年賀状くらいの付き合いになってしまいました。
小林一茶の俳句をよく版画にしておられる。
小林一茶は知名度の高い信州奥信濃の俳人である。ナフマン像掘骨で有名な野尻湖の近くで生まれた。
教科書には「雀の子そこのけそこのけ・・」など牧歌的イメージが一茶の紹介に多い。
しかし、一茶の生涯をみると継母との固執、小さい頃から追い払われて江戸にでっち奉公。後に俳句の道で名をあげるが、所詮信州の田舎者という偏見にあう。そこで身につけたものは「負けない」。とにかく自分が正しいという我を押し出すこと。繰り返される故郷の財産争い、最後まで家族愛から見放された生涯。
俳句の裏側にある「人間としての一茶」も興味深い。
小林一茶の俳句をよく版画にしておられる。
小林一茶は知名度の高い信州奥信濃の俳人である。ナフマン像掘骨で有名な野尻湖の近くで生まれた。
教科書には「雀の子そこのけそこのけ・・」など牧歌的イメージが一茶の紹介に多い。
しかし、一茶の生涯をみると継母との固執、小さい頃から追い払われて江戸にでっち奉公。後に俳句の道で名をあげるが、所詮信州の田舎者という偏見にあう。そこで身につけたものは「負けない」。とにかく自分が正しいという我を押し出すこと。繰り返される故郷の財産争い、最後まで家族愛から見放された生涯。
俳句の裏側にある「人間としての一茶」も興味深い。