武田光弘画楽多製作日記

暇をもてあそび造形してます。作品として形としてまとめたものなどを見ていただきたい
と思っています。

死体そうじ屋さん

2010年06月30日 | Weblog

朝「とんび」が「からす」に追われていた。カメラを向けたが写っていない。
「とび」が風に乗ってピーピー鳴いている図は平和だ。黒い山は安曇富士と言われる有明山。雪の残る常念岳。中腹に見える白い点々は別荘の屋根。黒澤明の映画に見上げれば金持ちの邸宅があり、その下であがく青年が誘拐事件をおこすのがあった。涼しいところに見え見えに別荘をたてるのも・・・・ひがみ根性だ。暑さのせいだ。
ところで「とび」は大きさとかくちばしから言って強そうだが、そうでもないらしい。よく道路に車にはねられた犬、猫、狸など掃除をするのは「とび」である。新鮮な肉を食べないで死体の掃除屋さんだ。動きのはやいものは追えないらしい。鳩を襲ってもつかまえるのは病気などで弱った鳩だそうだ。

江戸の100円ショップ

2010年06月29日 | Weblog

写真はサンムトリ火山の展開です。
ムシムシ暑くていけません。しかし田舎はまだ良いだろうと思いますが・・・・
こんな工作をしてると画用紙が要ります。そこで100円ショップを利用します。
同一値段で売る商売は江戸時代にもあったようだ。「十九文見世」といったそうです。日用雑貨、おもちゃなんでも19文で売り繁盛したとか。物価の上昇で廃れ、後に今度は「三十八文見世」として復活し繁盛したとか。江戸時代はそろばんを持ち出すほどがない商いは同一値段にするというのが多かったそうだ。

菖蒲の湯

2010年06月28日 | Weblog
昨日のイラストを立体化してみた。

句会があった。兼題は「菖蒲」であった。
菖蒲の湯頬ほてる子がまだ残り
それぞれに身を隠す青葉かな

が残った。短歌はわたしを含め良いのがなかった。(そう言える身分でもないが・・・)
「菖蒲」ということで「菖蒲の湯」が多かった。中には「五右衛門風呂」を題材にしてたのもあった。
わたしの最初の下宿は五右衛門風呂だった。まったく釜ゆでの感じで、ゆっくり足をのばすとはいかなかった。

宮沢賢治のこと

2010年06月27日 | Weblog

賢治の奉職した花巻農学校は高等小学校2年を終えた者を対象に2年間で卒業できた乙種農学校。別に3年制の甲種農学校もあり、その上に県立の中学,師範学校がある。なんか序列がありそう。
「百姓は学校なんかいかなくていい」という考えや、金銭的面で生徒を集めることが大変だったらしい。
ある教え子は試験を受ける友だちについてきて、校舎のかげで暇をもてあそんでいたらひとりの先生が「退屈そうだから、君も試験受けちゃいなさい。」と声をかけた。
そこから2年間、その先生の出会いから自分の運命が決まっていったと話している。
その時の先生が宮沢賢治先生だったと・・・

ランキング1位

2010年06月26日 | Weblog
ゴルフの宮里藍選手が世界ランキング1位になったそうだ。ゴルフをやるわけでもないがめでたい。なにかとにぎやかなサッカーも日本は40何位だそうだ。いろいろの戦歴からはじきだしてくるのだろうが上位にいることはめでたい。

世界の悪名高き独裁者ランキングも発表された。23人が登録され見事一位はご存知日本とは近い、ご病気や後継者問題などの話題の方だ。3位には地理を勉強したころビルマと習った国の軍治政権も入っている。民主活動家のスーチーさんを閉じ込めている。この23人の独裁者の国の人口合計は19億人。苦しんでいる人の多いこと。
ランキング外に世界には40人の独裁者がいるそうだ。こちらはめでたくない話だ。

ヌー族の存亡

2010年06月25日 | Weblog
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サッカーでにぎわう南アフリカのサバンナにもいるそうだ。
よくテレビで大移動の様子を放映する。実際はまじかにいれば相当の迫力だろうな。この集団は数百の数になったりするらしい。集団になるから肉食動物にとってはいいチャンスなのだ。川を渡ればワニがまちかまえている。一頭がねらわれると、その側を何頭かが通りぬけていく。一頭の犠牲で何頭かの安全が確保される。犠牲になるヌーはたまったものではないが・・・それが自然の仕組みなのか。
ヌーにも種類があって絶滅した種もあるようだ。
絶滅といえば日本オオカミもそうだ。それぞれの地方に山犬の話が残っている。山犬に襲われ子どもころされたとか、後をつけまわされ命からがら逃げた話が多くある。これがオオカミだろうか。中にはとらえてみれば犬が野生化したものもあったとか・・・・・とにかく昔はオオカミは嫌われもの。特に死体を食べることが嫌われた。いまでも送りオオカミといって嫌われる。

この世はみんな万華鏡

2010年06月24日 | Weblog

万華鏡を作ってみる。本屋に組み立てのがあったのでつい購入してしまった。1781年生まれのイギリス科学者ブリュースターという方の発明だそうだ。灯台の光を遠くに飛ばす実験の中から生まれたそうだ。このおもちゃが科学者の発明だとはあんまり思われてない。昼間写したのでやや不鮮明・・・・・・
サッカーと参議院選挙でにぎやかだ。おっと賭博相撲もある。・・・という一日でした。

闇に乗じて仇討ちす

2010年06月23日 | Weblog

夏至。この頃曽我兄弟が闇に乗じて親の仇をうった。小さい頃、五郎十郎の話は祖母からよく聞いたもんだ。
荒木又右衛門、忠臣蔵とならび曽我兄弟のあだ討ちは「三大仇討ち」だそうだ。歌舞伎では仇討ちをまとめて「曽我物」というそうで300の脚本があるのだと。写真は全く関係なく、立体を平面にするクラフトです。靴のカーブが難しい。

パイナップルはりんご

2010年06月22日 | Weblog
パイナップルというと缶詰という連想をしてしまう。小さい頃、生を食べなかった世代であるかも。パイナップルの語源は「パイン・アップル」で「松のりんご」だそうだ。なんだか妙だけど。


ヨーロッパではリンゴが果物のキングで、フランス語ではトマトのことは「愛のりんご」・ジャガイモは「土のりんご」と呼んでリンゴになぞらえる。
昔はリンゴ・みかんを運ぶに板箱が使われていた。今みたいにダンボールや発泡スチロールはなかった。


いよいよ秋になって高校へ行くメドがたった。山奥なので高校となると下宿になる。それが無理だと親戚だより。まだ高校進学が過熱してない頃。親戚が預かるというOKが出て進路が決まった。そこで私は何をしたか。気持ちも高らかにりんご・みかん箱の木片を集め勉強机を作ったのだ。これを使って勉強した記憶はあまりない。当時学校が終わると「高校へ行く人は残って勉強しろ。最後のやつはスートーブの灰をとって帰れ。」先生も帰るし、いつも3人で暗くなるまで勉強して帰った。学校の施錠もして・・・・だから家での勉強の記憶はないのである。勉強というものは学校でするものなのだ。

ゲゲゲの果物

2010年06月21日 | Weblog
朝ドラの「ゲゲゲの女房」で茶色になったバナナを買って食べてる場面があった。ナレーターは当時果物は高価なものだと言葉をそえていた。東京オリンッピク開幕直前の話である。最近の話では果物はいっぱい手にはいるようになったが、なかなか買ってくれないそうだ。そういえば店屋さんではカットして小さく売っている。家族構成も小さくなり、さいふもしまってきたせいか。
写真は千葉産のびわである。この前の俳句投稿欄に「大方は種ばかりなる枇杷なれど」という句があった。なるほど、目のつけどろがちがう。
この際、水木しげるさんのスケッチと漫画をパチリ。