武田光弘画楽多製作日記

暇をもてあそび造形してます。作品として形としてまとめたものなどを見ていただきたい
と思っています。

続・ペーパー顔面

2009年03月31日 | Weblog
猿飛佐助である。忍者である。
モデルがあったとも・・・・武田勝頼の忘れがたみとかいう物語もある。

猿でなくゴリラの話である。
先日テレビで京都大学の山際先生が、20年ぶりにアフリカのウガンダを訪れ当時はこども、現在はボスとなっているマウンテンゴリラと再会し、互いに見つめあう場面を映し出していた。ゴリラの表情が印象的だった。

三好青海入道・・・

2009年03月30日 | Weblog

昨晩は区の総会で、これで4つの総会をしたことになった。印刷も最後はめんどうになった。そうスタミナも続くものではない。 三好青海入道は巨体で大きな鉄の玉をふりまわすほどの怪力の持ち主である。こちらはスタミナの勇士である。 俳句会もあった。惨敗であった。

春風が心をぬける

 

五七五


伊賀の忍者・霧隠才蔵

2009年03月29日 | Weblog
甲賀流の忍者・猿飛佐助とともに真田十勇士の忍者。俗によるしのび。くのいちという話もある創作された忍者である。
実在した忍者はきっと強靭な身体をもって、表にでない徹底した訓練(修行)をしてたのだろうか。「奥の細道」をあんなスピードで駆け抜けるは、尋常でなく忍者だったという説も少しはありかな。ま、世の中は当時は闇も多く、照明も暗く、隠れる場所も多く、格好な状況であったかも。今は企業献金さえごまかしても、いずれはバレてしまう。

真田十勇士

2009年03月28日 | Weblog
信濃の国の戦国時代の武将・真田幸村のお話です。戦国の世です。幸村は豊臣方・兄さんは徳川と別れた。お家存続のためだ。幸村は戦術ゆたかで知将と言っていいだろう。そうゆうヒーローには、いろいろな話ができあがる。それが真田十勇士と言われる十人の勇士たちである。ペーパーで作ってみたのが、そのひとり「三好伊三入道」である。兄貴も十勇士にいるが、彼は勇猛で槍が得意な武将であった・・・・そうだ。

海の土産

2009年03月27日 | Weblog
あるお宅でパチリ。版画をはじめた頃の作品にいきあった。たしか「海の土産」とタイトルつけた覚えががある。この頃と比べて進歩しているかと言えば・・・・どうなにかな。


お彼岸には「おはぎ」は定番だったが、その気風もうすれてきた。しかし、店には出ていて「お彼岸」を気づく始末だ。モチで作ったものがボタモチで、モチゴメで作ったものがオハギだという。

ウラガワ

2009年03月26日 | Weblog
野球が優勝してめでたい。
ウラガワでは、この大会の主催は大リーグ機構と大リーグ選手会で日本は招待されたチームだ。当然サッカーのようにくじによる組み合わせはない。このことでカストロさんも文句を言っていた。そんなことから収益金はあちらへ。日本へは優勝国として3億円くるそうだ。それは全体の16パーセントだそうだ。えらくもうかってるな。テレビとかCMでお金を出しているのはJAPANがかなり占めると・・・・・・うらの話ばかりだと優勝に水を差してしまいそうです・・・・

水仙月の四日

2009年03月25日 | Weblog
ガサコソ本棚をひっくり返していると、昔の学級通信が出てきた。宮澤賢治の「水仙月の四日」を劇化した台本を綴じ込んであった。台詞も少なく動きのある劇というイメージで台本を書いたが、みんな「しゃっべりたい」というので全員に台詞を用意したので原作から・・・遠くはなれてしまった思い出がある。

「みちのくの宮澤賢治を訪ねれば?ドングリが?旅のピリオド?」というような(正確でないが)俵マチさんの短歌があったね。

どうのこうの・・・言ってもなーー

2009年03月24日 | Weblog
育成会の会があった。名前は立派だけど完全に曲がり角かも。
やはり始まったころと時代状況も違うし、こどもも減少して・・こどもの育ちも違う・・・けど組織構成従来のままは変わってない。(言い出すとこちらにはちが回って来そうなので・・・。)
公民館の4月総会の資料をつくった。こちらの講座など「きっかけづくり」が公民館の使命であり、活動後は同好の士で独立していくのが未来志向だが。「やってもらうのがあたりまえ」の意識から先がみえない。

電気の日

2009年03月23日 | Weblog
3月25日は電気の日である。日本ではじめて電燈の点いた日だそうだ。 野球がアメリカに勝った。野球の本道アメリカのプライドもへし折れた。ショックだろう。柔道の本道日本が負けるのと同じことだ。相撲を盛り上げているのが外国人であるのを考えると、国がどうこうの境はなくなっているということか