武田光弘画楽多製作日記

暇をもてあそび造形してます。作品として形としてまとめたものなどを見ていただきたい
と思っています。

暑いとは言え・・・

2019年05月24日 | Weblog
田植えもいろいろで終わったと感じても、まだ田んぼに水を入れてないところもある。
ま、稲の種類にもよるのだろう。
こんなこと言ってのは農家でないからで・・・・・無責任な言動だ。



我家の犬殿も毛がぬけはじめている。かなりきれいになるのに時間がかかるものだ。犬の気持ちがわからないので無責任な言動だ。

人ちがい?

2019年05月07日 | Weblog
そもそも同姓同名の人は世に存在する。
小学生の頃、マンガ投稿欄で最初に確認した。その後も一度はあった。
先日、越後湯澤でまちがえられた。

本屋で立ち読みをした。山霊・・・ナントカというタイトルだったと思う。
「関野準一郎」という方が「雪女」のついて書いてあった。わたしの知ってる木版版画家で「関野凖一郎」がおり、その方かなと思いつつ読んだ。
最近、目がショボショボするので、こまかいところは勝手に眼が省略する。
「凖」というとろこがちがった。でも。版画の本でも「凖」の字を「準」に間違えていたのがあった。・・・・・のでかすかに本人かなという思いもある。

そこで手持ちの「関野凖一郎」さんの本を開く。

蔵書票のページがあった。それがこの写真だ。

こういう小さな世界もイイナーって感じだ。


もうよいのだーーーーーーー

2019年05月03日 | Weblog
新しい時代と言っても、なにも変わらない。

「こいのぼり」をあげている家もチラホラある。幟に描かれている絵は元気が良い。
あたりまえだ。男の子は元気よくってことだ。
鯉が滝を昇る絵もある。あんな滝を昇れるはずがない。
鯉が滝を昇り龍になる。つまり「登龍門」の語源はモチ中国であるが、山東省にこのモデルの場所があるそうだが、これは日本でいう滝ではなく、急流だそうだ。
日本人と中国の人の滝の概念がちがうらしい。

八十八夜だよねー

2019年05月01日 | Weblog
五月二日は立春からかぞえて八十二日目にあたる。
この頃、急に気温が下がり霜が降りたりする。

こういう言葉がある。「八十八夜の忘れ霜」。
俳句の世界には「別れ霜」とか「名残の霜」とか季語がある。
その季節が終わりをつげ、最後の登場するものに対して哀惜の表現をする。
これは日本人の感傷らしい。
平成にもチョイにたところがあるかも。