武田光弘画楽多製作日記

暇をもてあそび造形してます。作品として形としてまとめたものなどを見ていただきたい
と思っています。

幸福な結婚生活?

2014年03月31日 | Weblog

娘と馬との結婚に怒った父が馬を殺す。切られた馬の首に乗って娘は天にあがりオシラサマになった。・・・・・・・これは遠野の話だ。
昔、遠野へ旅をした時オシラサマを飾ってあるところを見た。馬は桑の木であるので、絵のように白でない。着物は赤とか青とか原色ぽいもので絵のようではない。
薄暗いところで、これに囲まれると不思議な世界にはいる。

昔話の中には、人間と動物の婚姻の話が出てくる。蛇とか猿とか・・・・・いずれも幸福な結果は出ていない。

しかし、人間と動物の間に生まれた子供は特殊な能力を持つとか・・・・・・かの安倍晴明の母親は白狐であり、歌人和泉式部の母は白鹿だそうだ。

ま、こりゃ、それを信じる人は一歩さがって、おそれおののいたのだろう。

あめばばあ

2014年03月30日 | Weblog


戦後しばらくのこどもの頃、おいしいものを食べたとか、ぜいたくをしてたというわけでない。でも現在見れないものをたくさん見たし、それがきたなくとも、非衛生でも、理不尽でも・・・・。

私が「あめばばあ」にいきあったのは、小学校の低学年の頃であったと思う。物置小屋のようなところで、飴をつくっていた。ぺっぺッとつばをかけながら飴をのばしていた。
私たちは道で拾った飴紙をもっていくと、飴をちょいくれた。これがおいしかった。なぜか婆さんの唾液のついた飴がなぜうまかったと言うと、当時甘いものが口に入ることはめったになかったからだ。「どんどん、紙拾ってこい」とか言ってたが、田舎にはほとんど落ちていない。
子どもが拾ってきた飴紙に飴を包んで、売っていたかもしれない。

今考えるとこの婆さんは嫁いだ先で夫が戦死し、いずらくなって実家に戻ってきた人かも。しかし実家では居場所がなく、物置小屋で生活していたのだろう。
気の毒な戦争の犠牲者だったかもしれない。

この物置小屋はとうに壊され、母屋も解体され更地になっている。

道祖神祭り

2014年03月29日 | Weblog


頼まれた地区の祭りの山車の絵だ。ここらの昔話をと思ったけど・・・・山際の集落に比べたらごく少ない。十ヶセギが出来るまでただの原野だったのだろうか。いろいろ考えて「絵地図」にした。これだと位置がおかしいと言われても「絵」ですから・・・・・・と言える。

ただ道祖神など地域で大事にしてるものは、ぬかせない。
ここ柏原には八ヶ所にある。大小まちまち。安政、文政、天保、寛政年間とある。きっとまだ小さなのもあったかもしれない。二月八日には「道祖神祭り」があって、子どもたちが小屋などたて泊まり込んで遊んだようである。このこどもたちの上下の関係が大人になっての村をささえる力になったようだ。
どこも今とは違いまわりに杉林があって景色も違うようである。中下というところでは戦争のため、この大杉を切って供出した・・・とたんに終戦になったとか。

黄金バット

2014年03月28日 | Weblog


紙芝居がやって来る。メンコで遊んでいたこどもたちが寄ってくる。
「だだ見はだめだよ」・・・・・・こんな光景に私たち年代はヨロヨロになる。

私はならない。町場では紙芝居が町角にたった頃、私の故郷は自動車道もなく車など入ってこない所だった。当然、紙芝居などもしらない。黄金バット・・そんなものしらん。

町では紙芝居の時代から「冒険王」とか「漫画少年」とかの雑誌の時代になると、その頃我村に道ができ自動車も入ってきたのだ。郵便屋さんも簡単にこれるようになったのだ。
そうなると私たちの文化は、この漫画雑誌からはじまるのだ。
紙芝居、黄金バット、タッちゃんボウヤなんかしらん。

巨人は不滅だ・・・・

2014年03月27日 | Weblog
いよいよプロ野球が始まる。巨人が優勝と解説者は言ってる。誰が考えててもそれしかない。なぜならあれだけ選手を集めて優勝できないのが不思議だ。
金をかけないで鍛えて選手を育てる・・・・そういう観点はないらしい。面白味がない。1強5弱じゃあなーーーー政治もそうだけだ・・・
そういう巨人じゃなくて、富士山に腰をかけ、琵琶湖で足を洗うこのスケールを持つジャイアントの話である。
巨人伝説は方々にある。
私の生まれたところに雨飾山と言う2千メートル級の山がある。ここらに住むチョイ小さ目の巨人がそこをひっとびした。石があったので誤まって足を折ってしまった。
その大石は、上のところに巨人の足跡だと言うくぼみがあった。そこのたまった水で眼を洗うと目の病気が治るとか言われていた。その頃トラコーマとか言う病気が流行っていたので友達などは結構目につけていた。アブネエ。

村の中央に阿弥陀堂があり、この巨人をまつってある。顔は巨人のものでなく仏顔で、折れた足を持っている。こういう仏はあまり見たことない。
子どもの頃は足は折れても、こういうふうにもげないだろ。・・・と思っていたが、折れた足の表現に仏師は考えてのだろう。

ぬらりぴょん

2014年03月26日 | Weblog
こう呼ばれる・・・・妖怪の一人だ。
小さい頃、農作業は暗くなって手先が見えなくなると終了だ。こどもは早く帰れと言われ家に入ると、見たことない老人がじろ(いろり)にあたりながらお茶を飲んでいた。
よく富山の薬屋さんが来て、縁側で待っていたこともあったので・・・・そうかな。と思ったけど上がり込むから、かなりズーズーしいと思っていたが・・・・・これが「ぬらりぴょん」という妖怪だった。
妖怪と呼ぶと怖いイメージがあるが、この妖怪はこれといった能力を持たず、家に上がってお茶を飲んだり、たばこをのんだり・・・そのくらいだ。

夜の会合で一杯・・・・人数にあわせ用意したチョコが足りないと言うことがあったらしい。これは「ぬらりぴょん」がいたせいだ。いても誰も何も言わない。

そんなぐあいで人間社会にとけこんでいたのだ。海外でも妖怪みたいなものは存在する。どれも違う世界から来て、恐ろしい。ところが日本は「人間も自然の一部」と言う考え、妖怪も自然の一部・・・・だから互いにコミニュケーションをとれる位置に存在してる。だからこういうユーモアをもって人間社会と接する妖怪もいるのだ。
「あずきあらい」とか「からかさ小僧」などもそうである。

話はぜんぜん違って頼まれていた手ぬぐいのデザインです。版画で彫って刷って見ました。
いままでとチョイ雰囲気を変えてみた・・・・・ですが

日本へび物語・・・しまの巻

2014年03月25日 | Weblog
昔・・・・私の御幼少の頃、山の材木の切り出しに杣人なる方が村に入って来た。山奥から木を倒し運ぶのだ。現在のように重機のない時代だ。人力で運び出したのだ。
道は木をひきしめ、木そりでひっぱっていた。すべるように油を木そりに塗りながら・・・・・たしか岐阜の方から来ていた・・・。
この中に、子ども好きの人がおり遊びにいくと山で採ったぶどうとか分けてくれた。この強烈な力仕事で筋肉もりもりだった。弁当もばかでかく、ごはんも半端じゃない・・・・そこにしょぱい漬物がぎっしり・・・・これをもりもり食べていた。
夏の頃、シャッツをぬいで「見て見ろ」と裸になったらシマヘビがいた。「こやってると冷たくて気持ちがいいぞーーーやってみろ」・・・・・これはご遠慮した。今度はサッと頭を切り落とし、一気に皮をむく、そして内臓を取り出し、黒っぽい肝は呑み込んで「うめ―――」と言う。皮をとられても内臓をとられても蛇はくねくねとしてる。それを棒につけるとそこにからみつく。
それで焼けば「おかうなぎ」だ。
「ぼうずも食え」。
わたしはこれでシマの皮むきのコツを体得して、自分でいただけるようになった。

多分あのおじさんたちの貴重な栄養素だったのだ。そんなに肉が簡単に手に入らない時代だったから。

それはあおろじ

2014年03月24日 | Weblog


あおだいしょうと言う蛇だ。長い・・・・けどハブには負ける。
これが天井から落ちてくる。
一昔・・・・農家の二階はむしろを編んだり、たきぎを入れていたりの物置であった。人間と牛は一階に住んでいた。当然二階はねずみの住処だった。
それをねらってアオダイショウがやってくるのだ。今の家だとすきまがないが、昔の農家はすきまだらけだ。
ネズミを丸ごと呑み込んで、じっくり溶かすのだ。なにかの事情があって移動すると、腹がふくれているので鴨居からバランスくずして落ちるのだ。
ドサッと音がして見ると、腹のふくらんだアオダイショウがいるのだ。
ま、昼間だとどうこうないが、夜ねてる時枕元に落ちてくると、さすがびっくりする。

アオダイショウは標準語で、あおろじというのは方言です。

ジョロニモ

2014年03月23日 | Weblog


ジョロニモそれは天草四郎の洗礼名だ。アメリカインデアンにもこういう人がいたな。


島原の乱という一揆を指揮した十六歳の少年だ。
この一揆の参加者はひとりものがさず殺されるという惨事に終わっている。
リーダー十六歳でいくら優れていたとしても、後見する人はいただろう。
あのジャンヌダルクもそうだれど、総大将がしわくちゃの爺では意気があがらない。

このできごとは、単なるキリシタン一揆ではなく。ルネッサンスの頃の都市国家をつくろうとしていたのではないか。四郎自身は長崎に遊学した経験もあり、そう考える人もいる。

現在、クリミアではロシアと米、欧でもめている。ぜんぜん似てないけど・・・・・・難しい問題になっている。
世に平和というものは、近くにありそうでないのだ。

のだに

2014年03月22日 | Weblog

この恐ろしき物体は「牛鬼」と言う。「うしおに」と言う地方もある。顔からわかるよう獰猛でしつこい、ゆえに嫌われの代表だ。「枕の草子」にも出てくるそうだ。高校の頃、枕の草子を古文でやったような気がするが・・・・こういうのを教科書でやってくれたら古文の点も良かっただろうに。
大きさは小舟一艘・・・・・・とにかくでかい。もともとは牛の化け物と言われているが、なんでか海に棲む。狙うのは船である。漁師が逃げれても家まで追いかけると言うしつこさだ。
当然見たこともない・・・・・・が、この形を米粒ほどのダニにいきあったことは、しばしばある。
こどもの頃、山をかけまわり竹藪で遊んでいると知らぬまにかみつかれた。痛くはないが人間の弱いところにくっつくのだ。たとえば耳の裏だ。「おい、ついてるぞ。とってやる」と友達にとってもらう。人間の血が食糧なのだ。その血で腹がふくれて、その重さで落ちるのだ。その前にとらないと血が減るのだ。身体が血の色になるのが「牛鬼」に似てる。一緒に行った犬などもよくこいつに吸い付かれていた。・・・・・なんだろ「野だに」とでもいうのかな。