武田光弘画楽多製作日記

暇をもてあそび造形してます。作品として形としてまとめたものなどを見ていただきたい
と思っています。

神様去って狂いけり

2013年10月31日 | Weblog
実はあんまり乗り気ではない講座に招かれた。なぜかと言うと最近人が集まらないし・・・簡単にできると言うイメージでくる人がおおいので・・・・・
ま、あまり集まらないでしょう・・・・とか言っていたら、あちらも気合が入ったか20名の参加で迎えられた。
写真は後ろからパチリ。最近前で顔を写すとうるさいので。
わたしの願いとあちらの願いが微妙に違って・・・・どうなることやらと内心思ってる。・・彫刻刀はどなたも古く、息ばかりきれそう。板は硬いし・・・

が表面では平然としてるが・・・主催者も若干心配していそうだ。
一番下の馬の絵を皆さんやりだした。・・・どうもわからないのは、講習会によっては人と違うデザインと言う雰囲気の会もある。
わかりません。

そんなことより川上哲治さんが亡くなったのはショックだ。長嶋茂雄さんが出現する前のヒーローだ。わたしの記憶だと「テキサスの哲」と言われていた。「弾丸ライナーの哲」もあったらしい。どっちにしろ神様なのだ。もうひとつの話題は日展だ。入選の割り当てなど、ありそうだなと思えるニュースだ。これを聞くと真面目にやってられない。わが会も違いはあるが、今年は混とんとした。

雪国の生活

2013年10月29日 | Weblog


雪国の切り絵もいいなあと思い立ち、切り刻んだ。やりはじめた蔵票は一時ストップ。こういう状態だからストップの作品がかなりある。これが私のスタイルかもしれない。
まあ、いいか。白黒だけでなく、色紙も使おうと店に買出しにいった。買った紙を包装してくれた紙が良かったので、それを下部に使った。捨てるものでも、ボロイものでも使い道で生きるのだ。
ま、そういうことだ。ところでタイトルは「一本橇(そり)である。山から木を伐り出して里に運ぶ。春が近くなって雪がザラメになった頃、この仕事が始まるのだ。

こういう仕事は力仕事だから、昼めしなどおどろくほどの量を食べ、力をつけて仕事をしてたのだ。私のおやじも戦争から帰ってしばらくこれをやっていた。「肉がねえと力がでねえ」とおふくろにブツブツ言っていた。当時、田舎で肉と言えば鶏の首をしめるか、ウサギを捕まえるか・・・・それも毎日とはいかない。おふくろはどこから調達してきたかしらないけど、クジラの肉を使っていた。

一か八か

2013年10月28日 | Weblog

要するにばくちだ。
右の腕についているひもは、本をめくると腕があがる仕掛けのひもで気にしない。
ふつうサイコロを使うと思っていたが、そこらでやる時はそうでもなかったらしい。代用品の駒などを使って仕事の合間でもすぐできたのだ。
サイコロは本格的な博徒の用品なのだ。ルールが簡単なのがいい。

昔は清水の次郎長とかオオ前田の長五郎?とか・・・国定の忠治とか博徒がいて・・・・ヒーローであった。映画にも登場した時期があった。」
あくどい事をしてても権力にはむかうのが受けたのだ。「国定忠治」の本を読んでみると最後は磔刑なっているが、このアウトロウは民衆にとってそれなりの魅力があったのだろうとおもわれる。

清水次郎長はお上との調和につとめ明治まで生き、パッピーエンドの生涯をおくっている。

アウトロウにもいろいろな生き方があるのさ。

うなぎ食うなら養殖うなぎ

2013年10月27日 | Weblog

これは本を開くと、うなぎがあばれる仕掛けになっている。
ウナギは昔から日本人の栄養補給食材だったのだろう。
大伴家持は夏やせした石麻呂と言う男に「石麻呂にわれもの申す夏やせによしといふ物ぞムナギとり召せ」と歌を詠み贈ったとか。

ま、それはそれとして天然うなぎは欠乏してるらしい。

次は、最近作った「蔵票」である。小さければ小さいなりにいいものだ。

雷電生まるる信州

2013年10月26日 | Weblog
雷電と言えば信州の生んだ相撲界にヒーローだ。あれ以後信州人には、ヒーロー的な力士はいない。
すっかりモンゴル相撲になってしまった大相撲も、新弟子も少なく大変らしい。モンゴルや他の外国人のほうが、日本人には失われたハングリー精神が旺盛なのだ。江戸時代
相撲を見れたのは男性だけで、女性が見物できるようになったのは明治になってかららしい。
土俵に女性をあげると穢れるという思想のなせることである。
昔は四本の柱が土俵をかこみ、ちょい見にくかった。興行ものんびりやっていたらしい。けど、
現在はテレビ放送もあって柱はやめ、見やすくなっているし、仕切りの時間も決められた。昔は延延と仕切っていたらしい。・・・・・放送時間もあるしね。
そんなかんだで組み立てたが、特にしかけはない。

盗聴の心得

2013年10月25日 | Weblog
ドイツの目蹴るさんの携帯を小浜さんが盗聴したとか。やってないと否定してる・・・・・が、やってるよねと言う見方が世の中に多いのではないだろうか。やはり、信用とか信頼は長い時間で築かれていくものなのだが、崩れるのもはやい。
おならをやって「ちがう。おれじゃない」と言っても、前にやったことがあれば信用されない。・・・・・・おならは自然に消えて後後深刻な問題にはならない。

次は髪結いだ。こういう人たちの働く場所を「床」と言い、それが「床屋」と言う言葉を生んだらしい。今は「床屋」とも言わず、「婆ー婆ー」と言うけど。

変更・・・江戸文化

2013年10月24日 | Weblog
「いろは」で始めた仕掛けも面白くないので、江戸の出来事をひっつけて再スタートした。
「い」は刺青でいきましょう。
「ろ」はろくろです。「は」は半玉・・・・・芸娘の一人前の前。「に」は江戸の肉屋・・・・・江戸時代動物の
肉を食べることは禁。・・・・だけどもぐりはどの時代にもいるのです。「山クジラ」と言ってイノシシの肉を食べ
る食堂があったとか。・・・・・・・・・最後は「へ」だ。へへへへ。

ヨシッやあエッシャー

2013年10月22日 | Weblog
これはエッシャーの充填図を立体にしたものです。何か次の展開があるかもしれないと・・・・ヨッシャ――とはじめた。
しかし、この天才にはついていけない。
つまり頭の構造が違うのだ。
天気が良くなったので畑の落花生を収穫した。付近には豆柄が散らばっていた。なんだ・・・これはと思ったら、どーーもカラスらしい。落花生は土の中で育つが、根元近くではヒョイと顔を出しているやつがねらわられたらしい。人間世界と同じで出た顔は打たれるのだ。
昔は南京豆とか言っていたかな。このネームは問題があって姿を消したのかな不明。ピーナッツと言えばロッキード事件の隠語で有名になった時期もあったな。
むかし、村の学校にいた頃山村留学で千葉の市川から来ていた子がいて、帰郷のおみやげは必ずピーナッツだった。お菓子などに、いろいろ利用されていて最初は珍しかったが・・・・・もういいよとも言えず。あちらの名産だそうだ。

いろはにホへト・・・・・・

2013年10月21日 | Weblog


昔、妻からヨーロッパ土産でもらった冊子が出て来た。表紙は豪華にデザインしてある。
この際、「いろは」の仕掛けでまとめてみようと・・・・・考えたのはいい。
「ト」の前で、行き詰ってしまった。ここまでは普通だ。
「に」はひきずりだして「に」。
「ほ」はホホホホっと小さく動いて笑う感じ。
「へ」と軽くいなす感じで「へ」

江戸のペーパークラフト

2013年10月20日 | Weblog
これは玩具絵と言う部類かもしれない。
口が開くようになっている。
当時はなにを使ったか不明だが、これは輪ゴムを使った。
白いのが「きつね面」赤いのが「高鼻面」と言う。
実際は浮世絵師が版画として作っている・・・・・・・なにかまねするのも恐れ多い。
結局、使わられるのは、こどもの遊びだろうから世には残っていないのだ・・・・・・けど当時日本に来た外国人は珍しいと持ち帰り残っているのだ。/font>