武田光弘画楽多製作日記

暇をもてあそび造形してます。作品として形としてまとめたものなどを見ていただきたい
と思っています。

時代

2009年01月29日 | Weblog
松本の画材店に行った。
私は2年間松本に暮らしたことがあります。まだチンチン電車が浅間温泉まで走っていた頃です。
あの頃大きく営んでいたあった画材店は中心部から遠く移転し、小さな店になっていました。結局私の行くところは新しい品数のあるところになってしまいます。
名前の売れてた本屋も閉店しています。時代の流れです・・・・・・・
大きなデパート?ここに出来た時、アルバイトで入場者をカウントする仕事をしました。建て直しがあったりで形は変わってますが・・・・なんとなくわかりました。時代の流れです・・・・・
写真はこの前の家に来たCちゃんの作品です。

おやじの顔

2009年01月28日 | Weblog
「二十日正月」というのがあった。正月の最後といって繭玉などいれた雑煮を食べる。この日、年の数だけ羽根をつくと田植えに腰が痛まないなどと言われていた。「正月晦日」は餅をついて祝う。「みそかもち」と言って新婚の夫婦が里へよばれていく。おみやげはそば粉、米など、帰りには餅をもらって帰ってくる。むこだけはその日に帰る。そんな時代があったのだ。
それぞれの家には、家長がどんとおった。こんな顔をして・・・・・

ぱんだ・ボランティア

2009年01月27日 | Weblog
近く・・といっても車で20分位のところにある特養の施設にボランティアに行って来ました。中身と言えば「工作」しかできませんので皆さんと「パンダ」を作りました。興味を示しておられるのか、いないのかわからない方、手が不自由な方など最初は戸惑いましたが飛び回りなんとか全員できました。こどもだと「できたーーー」となるのですが・・・・これでいいのだと自分で納得してました。介護士さんたちの方が楽しんでいた感じです。驚いたのは昔、中学生だったSさんが、そので働いていたのに久しぶりに逢ったことです。

句会に出る・・・

2009年01月26日 | Weblog

句会の新年会だった。句会ではあまり表は入らなかった。句は[冬ざれて壁土落ちる生家かな]短歌は[娘乗る帰省電車が闇に消えまだ遮断機のカンカンとなる]であった。石川啄木の短歌に似たのが出てきてびっくり、そこに表が入ったのでまたびっくりした。たいした会ではないと・・・・がっかりした。


ある日のできごと・・・

2009年01月25日 | Weblog
今日は風邪で保育園に行けないし、おかあさんは仕事で休めないということでお子さんを預かりお相手をしてた。育児サポーターという制度もあるようだけど,急だと対応できないとか・・・・・色々紙で作ったりして過ごした。それが写真です。帰ったあと紙を整理してたら・・・「おじいちゃんだいすき」と書いてあった。・・・・・・いい話である。

木曽義仲

2009年01月23日 | Weblog
木曽義仲が死んだのは遠い昔の1月20日だという。琵琶湖の近くの粟津という所だ。京都からここに義仲を追い込んだのはいとこの義経である。
義仲は平家討伐に活躍したが、京都の人たちのひんしゅくをかった。それは京都の雅の文化と信州木曽の山奥の文化の違い?方言まるだしの言葉遣い、粗野にみえる行動が、味方にも目にあまり悲劇の末路になったとか。義仲はもともと京都生まれ、3歳で木曽にあずけられ育った。幼年期に身についたものは、簡単には変われない・・・・・・ということか。

義仲を追った義経も、後に危険人物として兄の頼朝に追われた・・・・・・

本物の色は・・・・・

2009年01月22日 | Weblog
大寒。鼻水が出る。風邪かな・・・・。
ゴッホの「馬鈴薯をくう人たち」をいじっていると、小学館からゴッホの190円の画集が出ると新聞広告に出ていた。ちょい購入した。手持ちの画集と比べてみると色あいが随分ちがう。どちらが本物に近いのか・・・・・最新の印刷物が一番近いかも・・・・・

ボラ・・・工作

2009年01月21日 | Weblog
子ども会とボラで老人施設の工作の話しがまいこんだ。
簡単に引き受けたが、あれこれ迷い・・・・・・

オバマ、オバマでテレビが騒いでいる。新聞にはガザの戦いの残骸を報ずる記事もある。戦争にはルールはないと思うが、やり方がルール違反だと。戦い自体がルール違反なのだ。憎しみの連鎖はきりがない。

早口言葉

2009年01月20日 | Weblog
坊主が屏風に上手に坊主の絵を描いた・・・・とか早口言葉がある。 関係はないが、先日頼まれた屏風が表装できたとかで写真をもらった。こういう絵は好みがあるな・・・・と自分で思いつつ・・・・・ 杏も桃も桃のうち・・・・