武田光弘画楽多製作日記

暇をもてあそび造形してます。作品として形としてまとめたものなどを見ていただきたい
と思っています。

なつかしきラジオドラマ

2016年09月30日 | Weblog


わたくしくらいの年配になると「新諸国物語」・・・・ただただ懐かしい。
テレビなる箱が世に登場するチョイ前の話だ。
夕方、雑音の多いこのドラマに聞き耳をたてていた。
「笛吹童子」「オテナの塔」・・・とか確かやっていた。
テレビとちがって場面を想像しながら聞いていた。

テレビなる箱が人間の想像力を減退させたかもしれない。

ああ真田丸

2016年09月29日 | Weblog


なにやらと上田のあたりがにぎやかだ。テレビでは幸村親子が高野山の村に蟄居されている。
日本ハムが優勝した。
アメリカではレッドソックスが地区優勝した。

なぜかテレビでは巨人戦など実況している。どこのテレビか確認した。あそこのテレビじゃしょうないね。

もちろん真田十勇士は創作だ。あっさり言えばウソ物語だけど、時代にマッチしたり、その時の人間社会の要求にマッチするとヒットする。ここらが時代を見れるプロジューサーの腕だろうな。

ま、真田氏は実際には3,4人のしのびをかかえていたらしい。

どこの大名も相手のさぐりあいをしていたのだろうか。特に信濃は有力な大名がおらず、どこへ着くべきかが重大なことだったのだろうか。

くまった熊

2016年09月27日 | Weblog


わたしが時々マレットゴルフをやるゴルフ場に熊が出没する。木の枝をおって足場をつくる。
クリとかドングリをそこで食べるところで、「くまだな」と呼ばれる。
それがある。やたらと熊危険の張り紙がある。

やはり山奥では暮しにくくなってきたのだ。わたしの生まれた山奥でも小学校の3年頃、熊が獲れたというので見に行った記憶がある。それ以来熊の話は聞いたことがなかったが、最近出たとか言っている。やはり奥にはいたのだ。
山には奥がなくなったのだ。これまた人間のしわざだ。

木曽馬

2016年09月26日 | Weblog


馬といえば近くの「牧」というところで草競馬があった。車ではいれないというので止めた。
信州の馬といえば「木曽馬」である。
この馬も時代にあい困難な道があった。別に馬のせいでなくて人間の都合だ。

木曽ゆえ山歩きに強い剛健で足の短い木曽馬は、
江戸時代から林業を管轄していた尾州藩に保護されていたのが血を守ることになったのだという。

日露戦争にひっぱられていったが、平原では鈍足であちらの騎馬隊に歯が立たず、評判を落としたが
山岳では粗食で疲れ知らず、兵器運びに力を発揮し評判を取り戻したそうだ。

しなののどうぶつ

2016年09月24日 | Weblog


信濃は山国ゆえ動物も多い。とも言えないか。
やたらと熊が出没している。
鹿がやたらとふえている。
雷鳥がだんだ減ってるらしい。
ひなを猿がつかまえてる写真が載った。
猿もかなり山のぼりをするらしい。

のうさぎだ。林業には天敵だ。冬えさがなくなると植林した幼木を食べたりする。昔はかなりいたようで数百匹をワナで捕った話も聞く。うさぎをとる人も減ったが、うさぎも減った。・・・・と思うが・・・最近山に行かないので実態は不明。


安曇野風景・・・・

2016年09月21日 | Weblog


これは安曇野堀金というところにある。
南安曇農業高校の実習農園にある「日輪舎」である。
現在はどう使わられているか不明なれど、形から日輪に名前が出ている。かっては宿泊や授業教室に使わられたとか。中央に先生がいて円形に生徒が
かこむ教室だったらしい。この形の日輪舎は全国に建てられた。現在残っているのは少数らしい。

宮澤賢治が生徒に農業を教えている図が浮かんできてしまう。

私の父はこの農業高校を出ているので、もしかしたらここで農業の講義を受けていたかもしれない。



ちょとした塔がみえる。これは穂高の自動車学校である。ここに私が中学時代の担任をしたu君がいて、高齢者講習でまちかまえていたが、
当日ちがう方の担当で難をのがれた。ことし女房殿が受講で、彼の講義を受けたそうである。

つつしんで落選通知

2016年09月19日 | Weblog


選外通知が来た。十五枚ほど版画でしあげたが・・・・・・無念。
ちょい時代ががった古めかしさ欠点かもねーーーーー

ま、次回ですね。お礼だか参加賞だか。ブッタの教えの本が送られてきた。


この章は「道をはずして一時の楽しみに心を奪わられると、きっと後悔する」という教えだ。
謹んでうけたまわっておこう。

続・穂高のわさび・・・

2016年09月17日 | Weblog


穂高はアルプスの雪解け水が何年もかかってわきでてくる。
この水のおかげでわさび栽培が盛んだ。観光の目玉にもなっている。


碌山美術館である。ほんとは黒茶のレンガ造りだ。色がまずいかもしれない。
もちろん郷土の産んだ彫刻家・碌山の美術館である。
私は穂高で生れたのではないが建設当時、近隣の小中学生にも寄付の要請があったらしい。確か10円だったか。1円だったか。
出したおぼえがある。当時こずかいをもらう時代でないので、親からもらって出した。なんに使う金なのか、碌山という人はどういう人か知らなかった。

版画・穂高八景の内・・・・・

2016年09月16日 | Weblog


穂高大橋。
アルプスから流れてくる穂高川と烏川が合流し、そこへ高瀬川が合流しやがて犀川となり信濃川となって日本海にそそぐ。
穂高川と烏川の合流地点にかかっている。閉口して大糸線が走る。大橋の赤と電車の空色の鉄橋がなかなかいい日雰囲気をかもしだしている。



穂高の駅である。冬。
こんなに雪が降るのはまれである。駅前の彫刻は小川大系の親子の登山者像である。