秋にドングリいっぱい食べたから、ぼくが生れたんだって。
里へ行くとおいしいものがありそうだけど、こわい人間がいるから行ってはいけないって。
それからね。山のドングリをたくさん食べないと冬越せないんだって。
たくさん食べて、一個は残して山に埋めるんだ。ドングリの木を増やさないと困るからね。
お母さんが教えてくれたよ。ほら二枚の葉っぱのはお姉さんのだし、その横の三枚の葉っぱのは兄さんのだよって。
朝顔が秋の訪れを知らせてくれる。
しばらく咲いてしぼんでしまう。ここらが日本人の心をくすぐるのかもしれない。
浄瑠璃の中にも、この花がすぼむまで待ってやるが、こなければ切腹・・・などのストーリイがある。この花は朝顔。
そうとう気が短い。ま、この花が出てくるのは日本らしい。
友の友情に応えるハシレメロスにはない。
セミがらも何となく秋のおもむきだ。
いよいよ夏とお別れかもしれない。
日本人は季節の盛りより変わり目に目がゆくようだ。
夏と秋の変わり目とか。四季の季節の変化に富む風土がそれをなしえるのだろうか。
いやな事件ばかりで、政治は政治でなんだかなーの状態だし・・・・・・・・・
地球も変わり目なのかも。
やたらと火をふくし、雨、風も激がつく。
現在、上田で信州版画展開催中。電話で取材を受ける・・・・あんまり立場上マイナスばかりいいたくないが・・・・マンネリをこすとなんていうのだろうか。
受賞者の賞状を書く・・・・・・・筆ペンなるものは何時頃でてきたのかと思いつつ。
日本人は季節の盛りより変わり目に目がゆくようだ。
夏と秋の変わり目とか。四季の季節の変化に富む風土がそれをなしえるのだろうか。
いやな事件ばかりで、政治は政治でなんだかなーの状態だし・・・・・・・・・
地球も変わり目なのかも。
やたらと火をふくし、雨、風も激がつく。
現在、上田で信州版画展開催中。電話で取材を受ける・・・・あんまり立場上マイナスばかりいいたくないが・・・・マンネリをこすとなんていうのだろうか。
受賞者の賞状を書く・・・・・・・筆ペンなるものは何時頃でてきたのかと思いつつ。
現在は池田町であるが東の山あいに橋がある。
これは「登波離橋」という。もともと白駒城というお城があって橋は必要であったが、要塞上まずいと橋はかけられず戸板をつないで橋かわりにしたので、「戸張り」とかく時代もあったそうだ。その後橋ができ、登波離橋とズ―――と呼ばれている。
現在はコンクリートであるが、昔その昔、松田聖子さんが若かりし頃(今でも若いと思っているだろうが)映画のロケに来ている。映画は「野菊の墓」・・・野菊のごとく君なりき・・・・相手役は誰だったか忘れた。
ここの殿様樋口行時はふじ女をめとっていた。家来の娘きよの色香に迷い女の子を授かった。こうなるとおもしろくないのがふじ女だ。
どちらも相手を無き者にしょうといろいろ企んだ。ちょうど、花見がありきよは橋からつつきおとすチャンスと思っていた。これを察したふじ女は自分の袖ときよの袖と花見の間に縫い付けた。それを知らぬきよはふじ女を突き落したが、自分も一緒に落ちていった。
これを知った殿は、深く悲しんだと。
私が殿なら、しめた。また新しい才女をめとろうと思うかもしれない。
これは「登波離橋」という。もともと白駒城というお城があって橋は必要であったが、要塞上まずいと橋はかけられず戸板をつないで橋かわりにしたので、「戸張り」とかく時代もあったそうだ。その後橋ができ、登波離橋とズ―――と呼ばれている。
現在はコンクリートであるが、昔その昔、松田聖子さんが若かりし頃(今でも若いと思っているだろうが)映画のロケに来ている。映画は「野菊の墓」・・・野菊のごとく君なりき・・・・相手役は誰だったか忘れた。
ここの殿様樋口行時はふじ女をめとっていた。家来の娘きよの色香に迷い女の子を授かった。こうなるとおもしろくないのがふじ女だ。
どちらも相手を無き者にしょうといろいろ企んだ。ちょうど、花見がありきよは橋からつつきおとすチャンスと思っていた。これを察したふじ女は自分の袖ときよの袖と花見の間に縫い付けた。それを知らぬきよはふじ女を突き落したが、自分も一緒に落ちていった。
これを知った殿は、深く悲しんだと。
私が殿なら、しめた。また新しい才女をめとろうと思うかもしれない。
ことしの夏は強烈に暑かった。
けどクーラーなどあり、現在はなんなく過ごせる。
熱中症でなくなる方もおられるが・・・・・
これが昔だと飢饉のもとだ。日照りは水不足をよび、植物は枯れる。
もう神頼みしかない。小谷の話である。
村の中で儀式をおこなっても、いっこうに雨がふらない。そこで「風吹き大池」までのぼり
雨乞いをすることになった。この池は現存しており、白馬岳から白馬大池をとおりたどりつける。現在は
あんまりそこまで登山客はいかない。
村の一行が神主をつれ風吹き大池につくと、池の水はすっかり干上がり、池の中央にあり普段は見えない大岩が見える。神主はスタスタと岩に登り雨こいの儀式をした。効果てきめん。
にわかに空は曇り、雨・風が吹き荒れ池の主の大蛇があらわれ神主をおそった。
村人に助けられた神主は、家に帰り寝込み死んでしまった。
どうやら雨こいよりも、池の霊岩にふれたことが主の怒りをかったらしい。
私は中学の時の学校登山で白馬に登り風吹き大池をとおり下山する予定が、風吹き大池を通らず下山した。つまり道に迷ったのだ。これは池の主のたたりではない。ガイドが迷ったのだ。ガイドの意味がない。現在なら大問題になりそうな事件だが、当時は別に騒ぎだてすることもなかったらしい。子どもだったから真相は知らないかもしれないが・・・>
けどクーラーなどあり、現在はなんなく過ごせる。
熱中症でなくなる方もおられるが・・・・・
これが昔だと飢饉のもとだ。日照りは水不足をよび、植物は枯れる。
もう神頼みしかない。小谷の話である。
村の中で儀式をおこなっても、いっこうに雨がふらない。そこで「風吹き大池」までのぼり
雨乞いをすることになった。この池は現存しており、白馬岳から白馬大池をとおりたどりつける。現在は
あんまりそこまで登山客はいかない。
村の一行が神主をつれ風吹き大池につくと、池の水はすっかり干上がり、池の中央にあり普段は見えない大岩が見える。神主はスタスタと岩に登り雨こいの儀式をした。効果てきめん。
にわかに空は曇り、雨・風が吹き荒れ池の主の大蛇があらわれ神主をおそった。
村人に助けられた神主は、家に帰り寝込み死んでしまった。
どうやら雨こいよりも、池の霊岩にふれたことが主の怒りをかったらしい。
私は中学の時の学校登山で白馬に登り風吹き大池をとおり下山する予定が、風吹き大池を通らず下山した。つまり道に迷ったのだ。これは池の主のたたりではない。ガイドが迷ったのだ。ガイドの意味がない。現在なら大問題になりそうな事件だが、当時は別に騒ぎだてすることもなかったらしい。子どもだったから真相は知らないかもしれないが・・・>
このお話は全国版で取り上げられ、もしかしたら知ってる人が多いかもしれない。大町の常盤地区と松川村の境の大きな田が舞台だ。
嫁としゅうととの闘争の悲劇である。
しゅうと曰く「この田はわたしゃ一日で植えたものだ」
「植え方がへたじゃ」とか難くせつけて嫁をおいだそうと企んでいた。
嫁さまは「くそ-」とばかり、がんばった。そしてもう少しになった時、天道様のことが気になり腰をあげてみようとしたが、腰をあげると仕事がとまるので股の下から天道様をみた・・・・・とたんにクラクラして死んでしまった。
・・・・というのがお話の筋である。別名「牛殺しの田」ともいう。
とにかくでかい田んぼのお話に嫁しゅうとがくっついたのだろう。
現在は減反といおうか作り手がいないのか田んぼはそばや豆の畑が多い。
嫁としゅうととの闘争の悲劇である。
しゅうと曰く「この田はわたしゃ一日で植えたものだ」
「植え方がへたじゃ」とか難くせつけて嫁をおいだそうと企んでいた。
嫁さまは「くそ-」とばかり、がんばった。そしてもう少しになった時、天道様のことが気になり腰をあげてみようとしたが、腰をあげると仕事がとまるので股の下から天道様をみた・・・・・とたんにクラクラして死んでしまった。
・・・・というのがお話の筋である。別名「牛殺しの田」ともいう。
とにかくでかい田んぼのお話に嫁しゅうとがくっついたのだろう。
現在は減反といおうか作り手がいないのか田んぼはそばや豆の畑が多い。