武田光弘画楽多製作日記

暇をもてあそび造形してます。作品として形としてまとめたものなどを見ていただきたい
と思っています。

夏の終わりと秋のはじめ

2015年08月31日 | Weblog
二、三日前のまいた大根が芽を吹いていた。
雨がきいたのだろうか。

句会にひとりの入会があり、若干平均年齢が少しさがった。
入会も滅多にないので若干朗報。
そのいきおいでひねる。

産声のひびく家ありカンナ咲く
新蕎麦や講釈多き木曽の宿
門柱を罪なきコスモス隠しけり
吟行の殿をゆく秋の山

蕎麦ながむ古老寄りきてつぶやきぬ田んぼの蕎麦はうまさが落ちる



電話にて蟹売りさばく声の大きさ

お母さんが教えてくれたこと

2015年08月29日 | Weblog


秋にドングリいっぱい食べたから、ぼくが生れたんだって。
里へ行くとおいしいものがありそうだけど、こわい人間がいるから行ってはいけないって。
それからね。山のドングリをたくさん食べないと冬越せないんだって。
たくさん食べて、一個は残して山に埋めるんだ。ドングリの木を増やさないと困るからね。
お母さんが教えてくれたよ。ほら二枚の葉っぱのはお姉さんのだし、その横の三枚の葉っぱのは兄さんのだよって。

くまとどんぐり

2015年08月27日 | Weblog


四枚絵本公募〆切近し。
一気に彫る。
これに色をちょい入れ仕上げ。お話をつける。

最近嫌われものの熊のストーリイ。
日頃、ごくろうさまです・・・駆除していただいてる猟友会の方はチョイ悪者風に。

なお、熊は冬眠中出産しますが、これも秋にいかに食べ物をたべたかにかかります。
食料が少ないと、子孫も減るとなります。
冬眠中は食事や排せつしません。人間はしょちゅうしますけど。

朝顔のいのち

2015年08月25日 | Weblog


朝顔が秋の訪れを知らせてくれる。
しばらく咲いてしぼんでしまう。ここらが日本人の心をくすぐるのかもしれない。

浄瑠璃の中にも、この花がすぼむまで待ってやるが、こなければ切腹・・・などのストーリイがある。この花は朝顔。
そうとう気が短い。ま、この花が出てくるのは日本らしい。
友の友情に応えるハシレメロスにはない。



セミがらも何となく秋のおもむきだ。

秋それは飽き

2015年08月24日 | Weblog
いよいよ夏とお別れかもしれない。
日本人は季節の盛りより変わり目に目がゆくようだ。
夏と秋の変わり目とか。四季の季節の変化に富む風土がそれをなしえるのだろうか。

いやな事件ばかりで、政治は政治でなんだかなーの状態だし・・・・・・・・・

地球も変わり目なのかも。
やたらと火をふくし、雨、風も激がつく。

現在、上田で信州版画展開催中。電話で取材を受ける・・・・あんまり立場上マイナスばかりいいたくないが・・・・マンネリをこすとなんていうのだろうか。
受賞者の賞状を書く・・・・・・・筆ペンなるものは何時頃でてきたのかと思いつつ。

いよいよお化けものも・・・

2015年08月23日 | Weblog
お化けものを連続、好評の声のないまま続けてきたが・・・・
そろそろまとめの段階だ。

そろそろ季節も綿柎開の候。綿が白い綿毛をみせる頃だというが、ここらじゃ綿と言われても。
写真が下手で見にくい・・・・・・・

松田聖子きたる

2015年08月21日 | Weblog
現在は池田町であるが東の山あいに橋がある。
これは「登波離橋」という。もともと白駒城というお城があって橋は必要であったが、要塞上まずいと橋はかけられず戸板をつないで橋かわりにしたので、「戸張り」とかく時代もあったそうだ。その後橋ができ、登波離橋とズ―――と呼ばれている。
現在はコンクリートであるが、昔その昔、松田聖子さんが若かりし頃(今でも若いと思っているだろうが)映画のロケに来ている。映画は「野菊の墓」・・・野菊のごとく君なりき・・・・相手役は誰だったか忘れた。

ここの殿様樋口行時はふじ女をめとっていた。家来の娘きよの色香に迷い女の子を授かった。こうなるとおもしろくないのがふじ女だ。

どちらも相手を無き者にしょうといろいろ企んだ。ちょうど、花見がありきよは橋からつつきおとすチャンスと思っていた。これを察したふじ女は自分の袖ときよの袖と花見の間に縫い付けた。それを知らぬきよはふじ女を突き落したが、自分も一緒に落ちていった。

これを知った殿は、深く悲しんだと。
私が殿なら、しめた。また新しい才女をめとろうと思うかもしれない。

雨ごいのできごと

2015年08月21日 | Weblog
ことしの夏は強烈に暑かった。
けどクーラーなどあり、現在はなんなく過ごせる。
熱中症でなくなる方もおられるが・・・・・

これが昔だと飢饉のもとだ。日照りは水不足をよび、植物は枯れる。
もう神頼みしかない。小谷の話である。
村の中で儀式をおこなっても、いっこうに雨がふらない。そこで「風吹き大池」までのぼり
雨乞いをすることになった。この池は現存しており、白馬岳から白馬大池をとおりたどりつける。現在は
あんまりそこまで登山客はいかない。

村の一行が神主をつれ風吹き大池につくと、池の水はすっかり干上がり、池の中央にあり普段は見えない大岩が見える。神主はスタスタと岩に登り雨こいの儀式をした。効果てきめん。
にわかに空は曇り、雨・風が吹き荒れ池の主の大蛇があらわれ神主をおそった。
村人に助けられた神主は、家に帰り寝込み死んでしまった。

どうやら雨こいよりも、池の霊岩にふれたことが主の怒りをかったらしい。


私は中学の時の学校登山で白馬に登り風吹き大池をとおり下山する予定が、風吹き大池を通らず下山した。つまり道に迷ったのだ。これは池の主のたたりではない。ガイドが迷ったのだ。ガイドの意味がない。現在なら大問題になりそうな事件だが、当時は別に騒ぎだてすることもなかったらしい。子どもだったから真相は知らないかもしれないが・・・
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嫁殺しの田

2015年08月20日 | Weblog
このお話は全国版で取り上げられ、もしかしたら知ってる人が多いかもしれない。大町の常盤地区と松川村の境の大きな田が舞台だ。

嫁としゅうととの闘争の悲劇である。
しゅうと曰く「この田はわたしゃ一日で植えたものだ」
「植え方がへたじゃ」とか難くせつけて嫁をおいだそうと企んでいた。
嫁さまは「くそ-」とばかり、がんばった。そしてもう少しになった時、天道様のことが気になり腰をあげてみようとしたが、腰をあげると仕事がとまるので股の下から天道様をみた・・・・・とたんにクラクラして死んでしまった。

・・・・というのがお話の筋である。別名「牛殺しの田」ともいう。
とにかくでかい田んぼのお話に嫁しゅうとがくっついたのだろう。

現在は減反といおうか作り手がいないのか田んぼはそばや豆の畑が多い。