武田光弘画楽多製作日記

暇をもてあそび造形してます。作品として形としてまとめたものなどを見ていただきたい
と思っています。

メロスお前もか?

2011年09月30日 | Weblog


暑さがもどったと思ったら雨だ。
「秋雨」と言うのだろうか。「秋雨」と言う言葉は江戸中期に「春雨」に対して出現してきた言葉らしい。
この時代にも古い成り立ちの言葉を大事にしたい文人たちは「言葉が乱れている。」と言って怒ったらしい。しかし、時代の流れにこの怒りも消されてしまったらしい。

いつの時代でも、こういうことがあるのだ。

携帯もナントカホォンがクローズアップされ、私の持ってる携帯も時代に取り残されるのだろうか。

日本昆虫伝

2011年09月29日 | Weblog
もらったスズムシもご臨終だ。そういうことで
虫の話。
万葉集に4496首のうち、動物が2割、昆虫が38首・・・古今集では昆虫37首、セミ13首、キリギリス6首、鳴く虫6首、マツムシ4首、蛍2首だそうだ。他の国と比べようもないが・・・虫類はかなりくい込んでいる。
この中で特に鳴く虫は、昔から日本人の心にくい込んでいる・・・・・・・
これを商売にしようと考えたのは江戸時代の後期の寛政年間だそうだ。200年くらい前かな。マツムシの卵をとる研究がはじまったとか・・・・・・・写真はにんじん畑におられた虫・・・・・アゲハの幼虫?

秋色深まる・・・・

2011年09月28日 | Weblog
贈答品の依頼があって彫った。有明山を遠方におき黄金の田園を広げてみた。
有明を少し高くし見せてあります。
この山は安曇富士と呼ばれ登山道も整備されている。最近道に迷ったとかで遭難話もあった。

有明や浅間の霧が膳をはふ    一茶

と言う一茶の句がある。この有明は有明山のことではない。朝、明け方はやく宿を出る様子だろう。霧が朝飯にかかると言うから・・・・


ちくわの負け

2011年09月27日 | Weblog
すっかり朝が寒くなった。

昨日はかたい話だったので、今日はやわらかく。

この写真は娘殿のお土産だ。いっけんお菓子のように見えるが「かばぼこ」である。
お土産だから、こうきれいにしないと売れないだろう。


水辺に茶色のガマの穂がある。あれはガマのホコということでカマボコと言う。
チクワがこれに似てる。・・・・昔はチクワのことをカマボコと呼んでいた時代があった。。・・・・・・・・・ところが現在の「板カバボコ」が出現し、前のカマボコは「竹輪カマボコ」と区別され、両者がなかよくしばらく栄えたが・・・・・次第に世間は板カマボコを「カマボコ」と呼び・・・・・・竹輪カマボコは「チクワ」と呼ばれるようになった。・・・チクワの前名はカマボコなのだ。
これは金田一先生の本にあった話です。

本家が乗っ取られた話だ。下克上とはチョイ違うかーー。
いずれにしても世の流れにはかなわない・・・・・・話である。

赤絵の柿右衛門

2011年09月26日 | Weblog
豊臣秀吉は戦国のヒーローである。朝鮮征伐と言って朝鮮まで手を伸ばした。日本では加藤清正の虎退治とかの話もあって、なんか勇壮な事件だが・・・・朝鮮側にとっては悪の侵略者だ。
悪の権化だのだ。
現代史でも日本は侵略の歴史を持つ。
やった方は忘れがちだが、やられた方は簡単には消えない歴史だ。

この朝鮮征伐の時、朝鮮の多くの陶工をつれてきた。それが現在の九州の有田などの焼物のもととなった。当然、朝鮮の方の焼物は下火になった。
文化を奪ってきたと言うことだ。

写真は現在の韓国の焼物だ。お土産品だからたいした価値はない。

そんな歴史の後・・・・・陶工・酒井田喜三衛門という若者が朝鮮からの焼物ばけでなく、いろいろな工夫をし名をあげていた。
その頃、中国にあった「赤絵」に挑戦した。
長い年月の苦闘の末赤絵の染付けに成功し、殿様から「・・・日にはえる柿の実の色だ」とほめられ「柿右衛門」と言う名前をいただいた。・・・・こう書くと簡単に聞こえるが・・・どえらい苦労なのだ。

これが主にヨーロッパに輸出されていたので、日本人に知れわたったのは外国での評判からであった。・・・なんか浮世絵もそうだったみたい。

今日は堅い陶器の話でした。9月25日が柿右衛門の誕生日だそうです。

秋の草花

2011年09月25日 | Weblog
句会があった。ひさしぶりに短歌、俳句とも高得点だった。
めでたし、めでたし。

問診に黙ってうなずく残暑かな

まつすぐに生きた老夫の畝づくり証の如くまつすぐ伸びる


庭の鶏頭だ。去年の種がこぼれ一本だけ育ってる。鶏頭はインド原産。
葉は布を染めたりできる。花や種は止血や下痢止めに効く。細かく切って乾かし粉にして飲むとよい。
これはムクゲ。こいつもインド産。つぼみは利尿によい。樹皮は煎じて塗る。水虫にいい。
こういう道端に咲くのは野菊だ。細かく言うとヨメナとかノコンギクとか似たものが多い。これは多分ヨメナ。ゆでたり、てんぷらにいい。
これはアメリカヤマゴボウ。北アメリカ生まれ。似たのにヤマゴボウがある。アメリカでは若芽はサラダにし、根はリュウマチの薬にするとか。ヤマゴボウの方は毒草の仲間。よくあくをぬいて食べる。戦争中食料がない時、食べたと母が言ってた。こちらは実が立つのでそこで区別を。

以上秋の草花の効用でした。

秋の日の・・・・・

2011年09月24日 | Weblog

地区の文化祭のポスター頼まれたので、色紙の残りを切り刻んで貼り付けた。中味は昨年と同じだそうだので、昨年のをちょい配列をかえただけ・・・・・・

台風もすぎ、田んぼの刈り取りも盛んだ。雨ですっかり寝こんだ田んぼも見える。こうなると、手で刈る時は大変な仕事だが機械だと抵抗ないのかな?
ま、とにかく秋が次第にやってきたと言うところだ。

信玄川中島で謙信にあう

2011年09月23日 | Weblog

長野の版画展の様子を見に行ってきた。平日のせいもあってか静かな会場だった。ここは長野県県民文化会館とか言ってたが、最近ホクト文化会館とか言う。・・・・ホクトとはきのこ会社である。・・・・・資金かせぎのための小品販売に出した15点が全部売れていた。感謝感謝だ。
帰りに川中島合戦場に寄った。・・・ま、トイレだ。それだけでは申し訳ないので信玄と謙信の合戦の像を見た。遠足か小旅行か・・高校生の団体バスが来ていた。
本当に両者一騎打ちをしたか・・・・いろいろ言われている。ま、大将同士が交えると言うことはまれだろうな。ま、それはいいだろう。
当時、大将には影武者なるものが存在したらしい。現在のように顔写真など手に入らないので首をとっても本物かどうか見分けが大変だったろうな。首をとって差し出すのが手柄の証拠だった・・・・・・。そんなことどうでもいいことだ。とにかく長野に行ってきたのだ。

彼岸の入り・・・・・3

2011年09月22日 | Weblog
お墓まいりの代行があるそうだ。ピカピカに磨いて供養してくれるそうである。
遠距離だったり、動けなくなくと・・・・そうなるのか・・・・
祖先が草ぼうぼうではな・・・・わが身はどうなるのだろうか。
福岡で発掘された刀剣に暦の文字が刻まれていて、暦が使わられていた時代が明確になった記事が新聞に載っていた。日頃どうも感じないが、暦の発明ってすごいことだ。

お彼岸用に供えるお菓子を売っている。
正倉院の書物に「だいずもち」とか「せんべい」が出てくると言う。奈良時代にはお菓子は登場してきたようである。「おこし」らしきものもあったとか。穀物の粉をこねてひもにしてまいたり、まげて油であげたものもあったとか。現在でもそんなお菓子ありそうだ。

平安時代には「だんき」と言うお菓子があって、これが現在の「だんご」とか。
ちなみに「まんじゅう」は、鎌倉時代に中国へ留学していた僧が伝えてとか・・・・もともと日本の博多あたりにあったとか。

彼岸の入り・・・・2

2011年09月21日 | Weblog
いよいよ台風様の到来だ。かなり強いというからどうなることやら・・・・・・
朝畑の大根を見に行った。この雨に流されてる?・・・・思ったらチョイ出た芽が地に足をはっていた。

彼岸というのは梵語で「ハラミッタ」と言う。「彼岸に至る」という意味だ。・・・・・・つまり煩悩のこの世界を離れて、ネハンの世界に至ると言うことだ。その願いをとげさせるための仏事だ・・・・・・私はこのことはトンと実施してない。春はまだ雪があると言う理由で、墓参りはしてない。秋はスーパーにおはぎが売られ彼岸だと気がつくしまつだ。祖先はうらんでいるだろう。
つけたしで言うと、関西では彼岸に贈答する品物を「茶の子」と言うという。お菓子が主だが野菜や果物も昔は贈られたらしい。果物、野菜は当時は貴重品でありがたいものだった。・・・・・・この果物は果子と書いたりするから、お菓子の前身は果物らしい。