武田光弘画楽多製作日記

暇をもてあそび造形してます。作品として形としてまとめたものなどを見ていただきたい
と思っています。

無料と有料の差

2009年05月31日 | Weblog
夜は公民館の文学講座の持ち方で時間を費やし、ああだこうだ・・・これで好転するとは思えないが。
要するに講座は「気楽に楽しみ」を持ってもらうのが肝心だ。
実際カルチャーセンターでやってみると、講座は有料と無料の差があることを思う。簡単にいうと無料の気楽さだと長続きしない。有料の気楽さだとそういうことはない。挑戦する気概がある。そういうものだのだ。

ペーパーウエイト

2009年05月30日 | Weblog
ペーパーウエイトです。
講座の練習用ですが、左に見える六角形の金属形も「おもし」です。これは八坂のYOUZI君が卒業の時、いらないとか言ってくれたものです。結構の重みがあって版画を刷る時の紙の押さえに重宝で、いまだに使ってます。本人は忘れているだろうと思います。

不思議なクラスの∇∂∬

2009年05月28日 | Weblog
ここ二日、塾のお手伝い。こどもの暗算にはついていけない。ここを使う脳を最近動かしてないからな・・・・・
まあ、もとから数字は苦手だし。高校の時の数学は代数、幾何と「能力別学級」であった。今はやさしく「習熟度別」とか言うけど中身は同じようなもの。AからDまでクラスがあり、テスト毎にクラス替えがあった。教室の配置はDクラスだけが階下であった。これは悔しい気持ちを持たせるという配置で、これを考える教師も立派なものだ。たしか最初は教室を下るのも恥かしかったが、同じ程度の仲間と楽しくやっていた。私は確かBにいたが、最初のテストでDに落ちた。馴れてくるとDも楽しいもので、安住の地としている人もいた。私と言えば上がったと思ったら階下に落ちたり、その繰り返しで数学と遊んでいた。

ツメグサ

2009年05月28日 | Weblog
犬の散歩に行く運動場の駐車場の土手にたくさん咲いている。
正確にはわからないが・・・・ツメグサでいいのだろうか。シロツメグサという歌もあったな・・・・・。四葉のクローバーなるものの総称かな。
どちらにしても昔オランダからガラス類を運ぶ時、こわれないようにまわりにつめた草だそうだ。そこでツメクサというそうだ。あまりにも名づけがストレートで・・・・日本から陶磁器を送った時にまわりにつめたのが浮世絵である。それを見てゴッホなどヨーロッパの画家が影響うけている。日本では価値がうすいとされたものが西洋で受けたのだ。一方ツメクサはある物好きが、その種をまいた人のおかげで日本中に分布してる。

爺が岳

2009年05月27日 | Weblog
爺が岳北峰である。
長野県は学校登山という行事が伝統的にあって、中学生が登山する。高校もやってるところもある。
この爺が岳や横の鹿島槍なども登頂対象だ。一番は燕岳でひと夏8千人の中学生が泊まったことがあるそうだ。悲しい事故もあったのは事実だが、現在も続いている。しかし、教員の高齢化、経験不足などまた生徒の体力減で軽い山のハイキングみたいなものが増えている。親は90パーセント以上学校登山をのぞんでいるが、教員の方は70パーセントという記録もある。生徒が「楽しかった」というのはキャンプが一番で、登山というのは下位である。

くさなぎつよし

2009年05月26日 | Weblog
写真は「ちょうじそう」。勘違いして「ちょうじゅそう」と思っていた。
もともとぶらりと山野草の店で買ったもの。
まったく関係ないが、くさ関係で新聞の歌壇に次の短歌が投稿されていた。

使われる活字の回数急に増え「くさなぎつよし」が漢字で書ける
酔い痴れて素はだかになり大声で喚いでみたし夜の公園

江戸しぐさ

2009年05月25日 | Weblog
昨日は雨の公民館研修会だった。
その中で「江戸しぐさ」の話があった。三つほどとりあげていた。
「七三の道」これは道を歩く時、三は自分の歩く分、七は人様の分ということである。当然まんなかは歩かない。「肩引き」「傘かしげ」は文字通り他人に迷惑のかからぬ歩き方だ。江戸時代のこういう生活の哲学はすっかり消え、空いばりの人間が道の真ん中を謳歌している。
嘆かわしいかな・・・・自転車など盗まれるのが普通と化している世の中だ。

飛騨高山

2009年05月24日 | Weblog
昨日、松本でデパートに寄ったら「飛騨高山展」をやっていた。彫り物や食べ物が並んでいた。ちょいちょいつまんでいただいたが結構おいしかった。これが家へ帰って食べると普通の味になるのが不思議だ。
スケッチは駄菓子を作っているコーナーを思い出して描いてみた。これもうまかった。

世襲制

2009年05月23日 | Weblog
「いいか、杜子春。親や先祖や運に頼ってはだめだぞ。自分で自分の宝をほりあてるのだ。そこらには地盤や金はころがっていない。」「この不景気会社のは週2日出勤の人もいる。」「高校生の就職率も100パではないのだぞ。」

2009年05月22日 | Weblog
駅は旅の分岐点である。
のんびり電車の旅が見直しられているらしい。スピードの裏かえしか。はやいものはど良いとはかぎらないということか。
かっては煙をはいて汽車が走っていた時代がなつかしい。昭和の47年ごろに消えてしまった(?)
私が最初に就職地が決まり勇んで列車に乗ったら、反対方向に走り出した。
えらく遅刻して最初からおこごとをもらったのも列車のせいである考えるのはまちがいだろうか?。