武田光弘画楽多製作日記

暇をもてあそび造形してます。作品として形としてまとめたものなどを見ていただきたい
と思っています。

後継者問題を考える

2010年09月30日 | Weblog


真田十勇士の面々である。しかし、あと3人足りない。
要するに「ずく」がなくなったのだ。それぞれのツラガマエを変えることが必要なので
最後の方は、これが誰?ではなく誰でもよくなっている。小道具をもっているのが「三好伊三入道」・・・・・あとは猿に似てれば「猿飛佐助」と思っていただけたら・・・・・・・これに関する物語はモデルがいたとか架空とか、いろいろ話があるようだが物語的にはいろいろストーリイがあって楽しい。

戦国ならずとも一国一城の殿様は、わが家が子々孫々までどうしたらつぶれないようになるのか・・・特に小さな城主は考えたのだろう。
大きな殿様になった武田信玄の武田家も、こどもの勝頼の代で崩壊した。勝頼はなかなか優れた度量の持ち主だったとか言われるが・・・

現在版では、新聞にデカデカと隣国の後継者問題を報じている。これについてはコメントなし。


写真は一枚の紙から、起こしていくペーパークラフトである。このように切るうちから出来上がりが想像できるのは初歩だろう。なんだかわからないうちに形になっていくのがこれの面白いところだろう。

対中国戦略を考える

2010年09月29日 | Weblog

中国との関係が怪しい。
昔、遣隋使・遣唐使と中国から学ぶことが多かった。当時の日本には現在の大学組織・・・高級?組織がなかったので外国から知識を得て政治を動かしていたのである。ここらへんは歴史の時間で習った。
当然、船でいったわけだが全部着いたわけでもないし、全部帰ってきたわけでもない。選ばれた人が尻込みしたのもわかる。帰れる見込みがない旅であるから。
原因は海の航海術が未熟で季節風など理解されてなかったし、船の構造も長旅には無理があったらしい。たとえば船の底が板状・・つまり箱みたいな構造。
積荷が多かったとか言う説もある。

両国にはこの歴史から、戦争をはさんでの暗い歴史もある。国の体制も異なる。やっかいな問題をもちながら仲良くやっていくしかない・・・のかな。

秋の女ごころ

2010年09月28日 | Weblog

鎧のことを知りたくて源平の歴史本をみる。
源氏と平家の存亡史だ。平清盛が台頭してくるころは、権力の中心は皇室であった。武士が「実際は俺達が動かないと天皇も動けないのだ」と力を発揮してくる時代になるのだ。
平清盛像は一般的にワルの方である。「平家にあらずば人にあらず」とかのイメージがある。義経のようなヒーローを日本人は好きかもしれない。

平清盛の残っている直筆をみて品格にあふれ・・・・・このような文字を書く人は温和で、粗暴な性格でないと書いてあった。ま、歴史上の人物評価は色々あるかも知れない。
書かれた物がどちら側かでちがってくるのだろう。


「秋」といえば「飽き」に通じるので、古くから男女の情がさめることに「秋」をダブらせて和歌にしたりしている。平清盛が寵愛していた彼女がいたが、他の女性に目移りし元彼女を追い出してしまう。追い出された彼女は「・・・・・いずれか秋にあはではつべき」と詠っている。いずれは貴女も同なじ運命になるのよ・・・とか詠っている。

真田幸村

2010年09月27日 | Weblog

ここのところ歴女なる人類が出てきて戦国武将などにキャアキャアしてるらしい。
その中で真田幸村は上位にいるらしい。
小さい城主なれど戦略にたけ,小よく大を倒すで戦歴も優秀であることが魅力的かもしれない。真田十勇士など登場するなど昔からの戦国ヒーローなのだ。しかし生きることは大変だ。戦国の時代であるので小さい国はどちらにつくかが問題だ。真田家も時代にあわせ、あちこち強い方に移りかわり生き残ってきた。
若い頃真田一族のさしえを頼まれ、のぼりに「六文銭」を縦にならべた。これにはクレームがきた。時代考証もしてないので謝るしかしかたなかった。現在インターネットで情報が入る。その画像を見ると、兜に六文銭を縦に並べたのもあった。縦でもいいのか・・・と思ったがこれが正しいかどうか不明。

茅野市へ・・・・

2010年09月26日 | Weblog

諏訪湖をこえて茅野市でやってる展覧会の様子を見に行ってきた。
予想に反して入場者も多かった。会場も予想に反して素晴らしかった。要するにいい入れ物に入ればへぼい作品もよく見えるということも実感した。内部と外部をパチリ。

野球の方はイチロウの活躍が目立っていた。相撲は白鵬だ・・・・なんとなく日本人でないなという感じがある。けど、アメリカではイチロウは外国人だけど。それを受ける土壌が違うのかな・・・・とか。

彼岸花は死人花・・・

2010年09月25日 | Weblog

彼岸花の季節になった。
墓場などに咲くので「地獄花」「手腐れ花」とか言う。どちらにしても嫌われ花として命名されている。
よく群生などしている場所をテレビで紹介しているが、これが赤の絨毯みたいで豪華だ。人によって感じ方がちがうだろうが、このあやしいような美しさにひかれる人もいる。
球根には毒を持つそうだ。
植物には毒を持つものもあるが、戦争時の食糧難の頃はこの毒を煮たり焼いたりして取り除き食べたのだ。

鹿の声

2010年09月24日 | Weblog
遷都1300年ということで奈良はにぎわってるらしい。その記念というラブストーリイドラマをテレビでやっていた。
その中で万葉の和歌が出てきた。どういう和歌か忘れたが・・・・「・・山の奥にも鹿ぞ鳴くなる」だったか。鹿の鳴き声が詠われていた。恋の唄として・・・・
ふと思い出したが和歌には紅葉とか菊など多くの植物は詠われている。鳥なども多い。
けど獣になると一切出てこない。・・獣の毛むくじゃらが昔の人には歌には登場しなかったらしい。鹿も鹿の鳴き声だけが好まれたらしいという話である。

最後の写真はボートを題材にした紙のおもちゃである。

人生の光と影

2010年09月23日 | Weblog
太宰治・走れメロスだ。
光の当て具合で雰囲気が変わる。
今や教科書では定番。よく読まれる「走れメロス」だが、発表時には賞賛あり、かたや論評にあたいせずと無視もあったとか・・・・ま、そういうことはよくあることで人間の評価とはそういうものかも。
夜、テレビで画家ゴッホのことをやっていた。生前一枚しか売れなかったゴッホの絵を何十年後の評価をまち保存していた弟の奥さんもすごいことだ。あれだけ残っていることもすごいことだ。

同期に入団し力はありながら、ポジション争いで遅れをとり消えていった大学ではスターだった選手もいた。

病気との闘い

2010年09月22日 | Weblog

安曇野は完全に秋色だ。
次の次の朝ドラが安曇野が舞台だそうだ。気の早い人は次・・・来週と思ってる人もいた。

先日の「龍馬伝」で高杉晋作が喀血していた。病名はよくわからないが多分「結核」かもしれない。昔、昭和25年まで、日本では死亡原因の第一位だった。日本は「結核亡国」とも言われた。亡国の危機を予感された。?
新選組の沖田総司も結核だった。よく喀血する場面が出てくる。青白い美青年の剣豪は絵になるのだけど・・・・青白いのは病気のせいなのだ・・・・
正岡子規もそうだったのだ・・・・
これを劇的に変えたのは結核菌をおさえるストレプトマイシンの発見だったのだ。その功績あった方はワックスマンといい、後年ノーベル医学賞受けている。病気の話ははやめにきりあげよう。


敬老の日

2010年09月21日 | Weblog

祭りの写真をいただいた。
敬老の日・・・・・65歳以上が国民の四分の一をしめるのだと。なんだか悪いことしているみたいな気持ちになる。
中国がああだこうだとマスコミをにぎやかにしている。領土の関することは理屈がとおらない。裏にいろいろからんでくるとなかなかおさまらない。
森林の境界線も昔はこういう約束だったとか言ってくる