武田光弘画楽多製作日記

暇をもてあそび造形してます。作品として形としてまとめたものなどを見ていただきたい
と思っています。

今年の雪模様

2012年11月30日 | Weblog
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この写真はかなり前に造った木皿だ。まだ版画はやってない。ラワン材を彫って目止めをして絵を描いている。今だったらこんな面倒なことはやらないだろう・・・・
子どもの頃の冬の思い出だ。
たしか昔はもう雪は積もっていた。なんだか地球に異変がおき今までのサイクルは通用しないようだ。ふるさとのベテランに聞いても、今年は雪が多いか少ないか・・・・予測がつかないと言う。・・・逆に言うとかっては予測できたということだ。
最近の北海道の天気の荒れようを聞くと、ここらも安閑とはしてられない。

うきだす師走

2012年11月29日 | Weblog
本日、小学校の放課後教室にでかけ算数を見る。
面積を出す問題が多かった。・・・・・・・
なかに社会科の江戸幕府の施策の問題をやってる6年生がいた。大名制度とか廃藩置県の問題をやってた。まったくお手げだった。・・・・・・
きっと授業ではやったのだろうが、興味がないので頭にも残らないだろう。譜代大名と外様大名とか・・・・・彼にとって現実とはかなり離れてる。
そういえば昔そうだったな・・・・・と思ってしまう。
なんでこんな科学記号憶えなければいけないのだ。

十二枚の「絵暦」を作った。
これからどう飾るか・・・ひと思案だ。こっちはかなり興味が高いので分野なので、いくらやってもいやにならない。

古いものすてるな!

2012年11月28日 | Weblog


話は昨日の続きだ。小学館のマークは少年と少女が机にすわっている図が書いてある。
今も多分そうだろう。このマークの入ったメダルをもらったのは、この雑誌の投稿だった。いろいろ投稿していたのでなんだか忘れたけど「似顔絵」だったかな。
これはかなり大事にしてたが・・・・・・結局どっかへいってしまった。
鉄腕アトムの首ふり人形をもらったこともある。ペコちゃん人形と同じ仕組みだった。
・・・・いまあれば鑑定団で・・・・・かなりの・・・・・ウーーーン惜しい。

私を育ててくれた本

2012年11月27日 | Weblog

この本が出てくるとは思わなかった。小三と言えば10歳頃だろうか。
まだ自動車の来ない山奥に住んでいた私に文化の匂いを運んでくれたのは小学館と言う会社の出している学習雑誌だった。
祖父が毎号取り寄せてくれた。郵便屋さんが峠を越え運んでくれた。この本をパラパラすると折り紙が出てきた。それがこの写真である。
・・・・・・・今から何年前かな・・・・・・ズーーーとこの本の間で眠っていたのだ。
時代ははやい。これから数年して村に道ができ、一気に文化が入ってきた。
「冒険王」とか「少年王」とか、マンガ中心の雑誌が入ってきて・・・・・そちらの方に興味が移っていったのだ。
このころが「手塚治虫さん」がデビュウした頃だ。

まちがいなくなつかしい。

赤穂城ひきわたし

2012年11月26日 | Weblog
雨の中、故郷へ帰り生家を買主に引き渡してきた。
あの大石内蔵助が赤穂城を去る時に振り返る図を思い出した。
時代の流れでしょうがない。・・・・と納得して。

ちょい、ことばで遊ぶ・・・・・それもおもしろいかと図書館で本を借りてきた。そういう中に「判じもの」という分野があった。写真はその二つである。「鳥」の名前を表している。お城に目があるから・・・・・次は歯と戸板であるから・・・である。「めじろ」と「はと」である。
これは一部で数個が一枚に錦絵になってる。
「江戸名所判じ物」とか「むし判じもの」とかいろいろある。
戦いがおわり、生き方に余裕がでてくると、こういう文化が発達するのだ。


水木しげるの神様

2012年11月25日 | Weblog

あの高名な漫画家水木しげるは妖怪の第一人者だ。自分の神様観はこどもの時できたと語ってる。
神社には願い事をかなえるヒゲをはやした男の神様で、お稲荷さんはきつねとおぼしき神様が降り、道端にダンゴなどおいてあるのは「きつねおとし」のまじないで、川には河童がいた。・・・・・・世の中に不思議な多すぎてとても楽しい・・・・・と。
ついていけない部分があるが、まいいでしょう。
とにかく十月は神様は出雲に出張中。俳句ではこの時期の季語に「神の留守」というのがある・・・・・これを使って俳句会に出したら・・・・この季語を知らない人が多かった・・・・・・レベルが低いのだ。

草間弥生・・・・・・・神

2012年11月24日 | Weblog
松本でおこなわれた草間弥生展が終了したようだ。
わが草間弥生は前衛のトップランナーだ。・・・・しかしながら前衛と遠い生活をしている人民は見たいとも思わないようだ。かの私もそうだ。
神についてこういってる。世界には幾万の宗教がはびこもる。それを一々選択して分類し帰依したりしてると一生終わってしまう。芸術家の私は新しい自分の創造の世界を日々続けているのが仏の力とかキリストの力を借りて作っていくことなど考えもおよばない・・・・・と。
世の宗教者の大半は利益と権勢欲のため俗界をうろうろしている。彼ら自ら救えたかといえば救われていない。お布施のことで悩んでる・・・・と言ってる。
痛快である。作品の好き嫌いはあるが、この言葉には賛同してる。

近世の小説のはじまり

2012年11月20日 | Weblog



そういえばこの間の文芸誌の会で次号から「十返舎一九」の特集を組むとかの話があった。・・・・これには参入できない感じ。
なぜだと・・・・言えば、この安曇野市に十返舎一九が来訪したから200年の記念の年だそうだ。善光寺なども来てるので途中寄ったかもしれない。

あの有名な「東海道膝栗毛」は二十一年も書いた当時のベストセラー。
安曇野市穂高の満願寺という寺に逗留し、書き残した文とここらのスケッチが残しているそうだが。世には出てないようだ。
膝栗毛ってのは自分の膝を馬の栗毛に見立てた・・・・・簡単に言うと「徒歩旅行」ということだ。
東海道膝栗毛は売れ出すと・・・・やがて旅ブームがやってきたそうだ。

現在もテレビをみれば旅ばかり・・・・これは企画力がないせいか、別に企画しても各地にすむ人間ドラマにはかなわないということか。

帰ってきた神さま

2012年11月19日 | Weblog

人間にとって「紙」はなんなのか?
「紙」を祀るにお金がかかるも納得できない。それを戒名なる分別でも納得できない。
おっと、こっちとあっちの紙や神を混同してはならない。
人間の歴史の中では、宗教はぬきにできない。政治にからんでくると複雑だ。
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チャグチャグ馬っこ

2012年11月18日 | Weblog
どうもしっくりいかないので「チャグチャグ馬っこ」を三度やりなおしてみた。
暗いブルーより黄緑にしてみた。これでよかろ。

本日、日曜日「文芸誌」の合評会に出た。出るにあたっては全部数回読み、それなりの感想をもって出た。しゃべらないとどーーせ指名が来るだろうかと最初のしゃべって後はだんまりでいったら、自分の作品の時しゃべらなくてはならなくなった。
わが童話も俎上にのり・・・・・ま、合格というところだった。「次回作・・・」とか言ってたので次が勝負でしょう。
・・・・・・・といってもネタがないな。ほんものの作家はこういうのに苦しむのでしょうか。