秋晴れに恵まれた昨日10月16日、
早稲田大学のキャンパスでは早稲田OBの校友会の集いである
ホームカミングデーが開かれた・・・らしい(笑)
・・・らしいというのは、僕はこういう集まりには、とんと疎く、
卒業以来一度も参加したことがないからで、
そればかりか、校友会からそういう集いがあるよという通知すらもらったこともない(笑)
そもそもお前はホントに卒業したの(?)という世界だ(笑)
でも、そうであっても自業自得、しょうがない部分もある。
あんまり愛校心とか強くないし・・・通知が来ないのはその意趣返しかな?!(笑)
ところが、今年は卒業35年にあたる特別の年らしく、
ホントだったらホームカミングデーの実行委員か何かを務めなくてはいけないらしく、
そんな流れの中で、偶然、30年くらい年賀状のやりとりだけしかして来なかった同級生から、
他の奴にも声をかけるから、ホームカミングデーの時に会わないかと連絡が来た。
別に断る理由もない。
そこで、のこのこJRの高田馬場駅まで出かけた。
高田馬場駅に降りたのは、マジな話、実に35年ぶりだ。
なんだか小野田さんの帰国みたいなもんか?!
約束の時間に5分ほど遅れて馬場の改札口を出ると、
そこにFクンとHクン、それに旧姓Mさんの3人が、多少の経年変化を遂げながらも、
昔の面影を十分に残したまま、僕を待っていてくれた。
「やぁ!しばらく!」
しばらくなんてもんじゃない。35年ぶりじゃん(笑)
開口一番、Fクンがきつい口臭と加齢臭をまきちらしながら、
「ごめんよ。オレの人脈だとこれしか集まらなくて・・・」と謝ってきた。
Fクンは東京都の中学校の教師をしている。
まもなく定年の年を迎えようとしているが、
「オレは“政治”は苦手でさ」と、校長や教頭などといった出世の道には背を向けて、
生涯平教員を決め込み、自分の研究を本にして出版したりしている学究肌の人間だ。
まぁ、そういうところはなかなか面白い奴ではある。
ちなみに、このFクン、名門A中高時代はあの亡くなった中川昭一代議士と同級だったというが、
同じクラスにいても1回くらいしかしゃべったことがなかったという。
このへんにも“政治”には無縁のマジメな人間ぶりが垣間見える(笑)
一方、Hクンも千葉市の教員である。
彼は学生時代からひげを生やしていたが、いまはそのひげが白くなっていた(笑)
そして、Mさんも卒業後大手の企業に就職して、順当に結婚し、専業主婦をしているという。
楚々としていて品のよい奥さまという感じだ。
こう見ると、みんなナンパな僕なんぞと違って、マジメさ、フツーさが際立っている!
というか、こういうフツー(以上)の人たちと会うと、
僕の“特異性”は本当に目立ってしまう。
みんなから見ると、僕はソートーに変わった奴だと思ったことだろう。
そんな中、3人が3人、口を揃えて、「あとクラスにどんな奴がいたっけ?」と言うので、
僕が覚えている限りの同級生の名前をパァ~と30人くらい挙げたら、
「えっ?そんな人いたの?」と、3人ともびっくりしていた。
「なんという記憶力~~!」と感心された。
そうかと思うと、僕のナイナイづくしにもびっくりしていた。
たとえば・・・
・僕は入学式に出なかった!
・僕は卒業式に出なかった!
・僕は早稲田にいた時、一度も学食に行ったことがなかった!
・それがどこにあるのかも知らなかった!
・生協食堂というのにも行ったことがなかった!
・同じく大学の図書館に行ったことがなかった!
・卒業以来、一度も早稲田に行ったことがない!
・卒業以来、ホームカミングデーとやらにも一度も行ったことがない!
・3,4年の時に授業に出た記憶がほとんどない!
・・・などなど。
それなのに、僕の手元にはなぜか卒業証書がある(笑)
母が亡くなった時、遺品の整理をしていて発見したのだ!
やっぱり、僕は“へんな奴”だよね。
そんなわけで、昨日は同級生たちと久々想い出を肴に美味しい酒を飲んだ。
居酒屋さんの横のブロックでは、
僕らよりひと回り上の先輩の人たちが20人ほどで飲んでいたし、
逆隣りでは学生たちの集団がコンパをやっていた。
そこには世代を越えて早稲田に集う人たちの姿があった・・・
ちょっぴり懐かしかった。
ちなみに、昨日は、慶應の日吉キャンパスでも、
オール慶應の同窓会である連合三田会大会が開かれた。
僕は今年の連合三田会大会の大会券を購入してあったけれど、
後輩のE夫婦に記念品の引き換えを頼んで高田馬場のほうに足を向けた。
う~ん、やっぱり僕は“へんな奴”だ。
☆インターネットより鑑定予約できます!↓↓↓
渋谷の父 ハリー田西 “渋谷占い”
早稲田大学のキャンパスでは早稲田OBの校友会の集いである
ホームカミングデーが開かれた・・・らしい(笑)
・・・らしいというのは、僕はこういう集まりには、とんと疎く、
卒業以来一度も参加したことがないからで、
そればかりか、校友会からそういう集いがあるよという通知すらもらったこともない(笑)
そもそもお前はホントに卒業したの(?)という世界だ(笑)
でも、そうであっても自業自得、しょうがない部分もある。
あんまり愛校心とか強くないし・・・通知が来ないのはその意趣返しかな?!(笑)
ところが、今年は卒業35年にあたる特別の年らしく、
ホントだったらホームカミングデーの実行委員か何かを務めなくてはいけないらしく、
そんな流れの中で、偶然、30年くらい年賀状のやりとりだけしかして来なかった同級生から、
他の奴にも声をかけるから、ホームカミングデーの時に会わないかと連絡が来た。
別に断る理由もない。
そこで、のこのこJRの高田馬場駅まで出かけた。
高田馬場駅に降りたのは、マジな話、実に35年ぶりだ。
なんだか小野田さんの帰国みたいなもんか?!
約束の時間に5分ほど遅れて馬場の改札口を出ると、
そこにFクンとHクン、それに旧姓Mさんの3人が、多少の経年変化を遂げながらも、
昔の面影を十分に残したまま、僕を待っていてくれた。
「やぁ!しばらく!」
しばらくなんてもんじゃない。35年ぶりじゃん(笑)
開口一番、Fクンがきつい口臭と加齢臭をまきちらしながら、
「ごめんよ。オレの人脈だとこれしか集まらなくて・・・」と謝ってきた。
Fクンは東京都の中学校の教師をしている。
まもなく定年の年を迎えようとしているが、
「オレは“政治”は苦手でさ」と、校長や教頭などといった出世の道には背を向けて、
生涯平教員を決め込み、自分の研究を本にして出版したりしている学究肌の人間だ。
まぁ、そういうところはなかなか面白い奴ではある。
ちなみに、このFクン、名門A中高時代はあの亡くなった中川昭一代議士と同級だったというが、
同じクラスにいても1回くらいしかしゃべったことがなかったという。
このへんにも“政治”には無縁のマジメな人間ぶりが垣間見える(笑)
一方、Hクンも千葉市の教員である。
彼は学生時代からひげを生やしていたが、いまはそのひげが白くなっていた(笑)
そして、Mさんも卒業後大手の企業に就職して、順当に結婚し、専業主婦をしているという。
楚々としていて品のよい奥さまという感じだ。
こう見ると、みんなナンパな僕なんぞと違って、マジメさ、フツーさが際立っている!
というか、こういうフツー(以上)の人たちと会うと、
僕の“特異性”は本当に目立ってしまう。
みんなから見ると、僕はソートーに変わった奴だと思ったことだろう。
そんな中、3人が3人、口を揃えて、「あとクラスにどんな奴がいたっけ?」と言うので、
僕が覚えている限りの同級生の名前をパァ~と30人くらい挙げたら、
「えっ?そんな人いたの?」と、3人ともびっくりしていた。
「なんという記憶力~~!」と感心された。
そうかと思うと、僕のナイナイづくしにもびっくりしていた。
たとえば・・・
・僕は入学式に出なかった!
・僕は卒業式に出なかった!
・僕は早稲田にいた時、一度も学食に行ったことがなかった!
・それがどこにあるのかも知らなかった!
・生協食堂というのにも行ったことがなかった!
・同じく大学の図書館に行ったことがなかった!
・卒業以来、一度も早稲田に行ったことがない!
・卒業以来、ホームカミングデーとやらにも一度も行ったことがない!
・3,4年の時に授業に出た記憶がほとんどない!
・・・などなど。
それなのに、僕の手元にはなぜか卒業証書がある(笑)
母が亡くなった時、遺品の整理をしていて発見したのだ!
やっぱり、僕は“へんな奴”だよね。
そんなわけで、昨日は同級生たちと久々想い出を肴に美味しい酒を飲んだ。
居酒屋さんの横のブロックでは、
僕らよりひと回り上の先輩の人たちが20人ほどで飲んでいたし、
逆隣りでは学生たちの集団がコンパをやっていた。
そこには世代を越えて早稲田に集う人たちの姿があった・・・
ちょっぴり懐かしかった。
ちなみに、昨日は、慶應の日吉キャンパスでも、
オール慶應の同窓会である連合三田会大会が開かれた。
僕は今年の連合三田会大会の大会券を購入してあったけれど、
後輩のE夫婦に記念品の引き換えを頼んで高田馬場のほうに足を向けた。
う~ん、やっぱり僕は“へんな奴”だ。
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