芸能生活56年という大ベテランの歌手・島倉千代子さんの新曲発表会に行って来ました。
島倉千代子さんは1938年生まれ、まもなく74歳になります。
その人生はまさに山あり谷あり・・・
日本コロムビアの先輩であり憧れの存在でもあった美空ひばりさんをおさえて、
紅白歌合戦のトリを務めるほどの人気、隆盛を極めたこともあれば、
事故、離婚、病気、騙されてたびたび借金地獄に陥るという
文字通り波乱万丈のジェットコースターのような人生を歩いて来ました。
中でも、いまだにその真相が五里霧中のうちにあるのが
六星占星術の細木数子氏との関わりと確執です。
関係の書籍を含め巷間伝えられているところでは、島倉さんが借金地獄の中で失踪し、
街を彷徨っているを“偶然”クルマで通りかかった細木氏に“拾われ”、“保護”され、
借金の肩代わりをしてもらったものの、
実はその借金の肩代わりをタテに、島倉さんに無理な営業を強いるなど、
逆に島倉さんから数億円もの金をしぼりとったというものです。
このへんの経緯、真相、真実については本当にわかりません。
ある程度は本当でしょうが、全部が事実かというと、疑問の余地もあります。
ただ、世の中のほとんどの人が知らない“事実”があります。
それは島倉千代子さんの生年月日についてです。
島倉さんの生年月日については、
ほとんど、いや戸籍まで含め全部の記録が1938年3月30日生まれとなっています。
しかし、実はこれは真実ではありません。
本人曰く、「実は、私は4月の6日か7日か8日か、その頃に生まれたらしいんだけど、
母が前の学年に入れてしまったほうがいいだろうって、3月30日にして届けてしまったの」
つまり、4月のどこかで生まれた島倉さんは、お母さんの裁量で、
戸籍上は、1938年の早生まれ(3月30日)として届け出が出されたのです。
僕は、本人からこの事実を直接聞いた時に、
それまでデビューが早いという先輩後輩の関係はあっても、
島倉さんがなぜ同学年の美空ひばりさんを“神様”のように尊敬し、
“ひばり先輩”と挙げ奉るのかわかった気がしました。
島倉さんにとってひばりさんは、歌謡界の、レコード会社の先輩であると同時に、
生誕の学年の点でも先輩であり、
それがあれほどまでに異常なくらいの尊敬につながっていたのだと思います。
と同時に思ったのは・・・
これまで、細木氏をはじめ、多くの占い師が
島倉さんの1938年3月30日という生年月日をもとに、
島倉さんの運勢を見て来ましたが、あれはいったいなんだったのか(笑)
果たして、島倉さんに対する今までの占いは、当たっていたのかという
疑問に近い思いです(笑)
でも、こういう考え方をあるんですよ。
ほら、よく改名をして人生を変えようとしますね。
それと同じで、人間は本来変えることが出来ない“宿命”である生年月日も、
戸籍上、別に届けると、人生が変わるんだ、と。
面白いもんでしょう?
だから、島倉さんの人生も、1938年3月30日生まれと届け出た時点で、
その“宿命”なりに始まってしまったと・・・
しかしながら、僕なりに島倉さんのこれまでの人生を分析してみると、
子丑天中殺である1938年3月30日生まれよりは、
戌亥の年にケガやら借金やらの不幸に見舞われていることもあり、
やはり戌亥天中殺である同年の4月の上旬生まれであると推定されます。
いつか腰を据えて分析をし、島倉さんの本当の誕生日を探し出してみたいと思います。
さて、その島倉さんと僕は、今から20年前以上前、
1カ月公演を張れる看板歌手と座付き作家として邂逅し、
数年間、島倉さんの舞台やショーの構成・演出を担当させてもらいました。
ちょうど島倉さんが「人生いろいろ」という大ヒットを飛ばし、
さらには乳がんの手術を受けという、
これまたジェットコースターのような時期でした。
今回、島倉さんの新曲発表会は、島倉さんが生まれた地元・東京の北品川にある、
島倉さんが子供の頃から通っていた大富寿司というお店の宴会場で行われました。
数年前、僕は島倉さんにこの店に連れて来てもらったことがあります。
下町の気のおけない味よし雰囲気よしのお寿司屋さんです。
今回の新曲は、2月1日発売の「愛するあなたへの手紙」。
島倉さんと家族ぐるみのつきあいという
大衆演劇の座長でシンガー・ソングライターの都若丸氏の作品です。
この日は、宴会場の舞台で、
島倉さんと都若丸さんとの競演による新曲の披露がありました。
その後、舞台を降り、着替えてメイクを落とした
普段着の都若丸氏とちょっとお話をする機会がありましたが、
とても礼儀正しい、京本政樹ばりのイイ男でした。
春になったら74歳になる島倉千代子さん、
これからもますます頑張って歌い続けてほしいですね。
☆インターネットより鑑定予約できます!↓↓↓
渋谷の父 ハリー田西 “渋谷占い”
島倉千代子さんは1938年生まれ、まもなく74歳になります。
その人生はまさに山あり谷あり・・・
日本コロムビアの先輩であり憧れの存在でもあった美空ひばりさんをおさえて、
紅白歌合戦のトリを務めるほどの人気、隆盛を極めたこともあれば、
事故、離婚、病気、騙されてたびたび借金地獄に陥るという
文字通り波乱万丈のジェットコースターのような人生を歩いて来ました。
中でも、いまだにその真相が五里霧中のうちにあるのが
六星占星術の細木数子氏との関わりと確執です。
関係の書籍を含め巷間伝えられているところでは、島倉さんが借金地獄の中で失踪し、
街を彷徨っているを“偶然”クルマで通りかかった細木氏に“拾われ”、“保護”され、
借金の肩代わりをしてもらったものの、
実はその借金の肩代わりをタテに、島倉さんに無理な営業を強いるなど、
逆に島倉さんから数億円もの金をしぼりとったというものです。
このへんの経緯、真相、真実については本当にわかりません。
ある程度は本当でしょうが、全部が事実かというと、疑問の余地もあります。
ただ、世の中のほとんどの人が知らない“事実”があります。
それは島倉千代子さんの生年月日についてです。
島倉さんの生年月日については、
ほとんど、いや戸籍まで含め全部の記録が1938年3月30日生まれとなっています。
しかし、実はこれは真実ではありません。
本人曰く、「実は、私は4月の6日か7日か8日か、その頃に生まれたらしいんだけど、
母が前の学年に入れてしまったほうがいいだろうって、3月30日にして届けてしまったの」
つまり、4月のどこかで生まれた島倉さんは、お母さんの裁量で、
戸籍上は、1938年の早生まれ(3月30日)として届け出が出されたのです。
僕は、本人からこの事実を直接聞いた時に、
それまでデビューが早いという先輩後輩の関係はあっても、
島倉さんがなぜ同学年の美空ひばりさんを“神様”のように尊敬し、
“ひばり先輩”と挙げ奉るのかわかった気がしました。
島倉さんにとってひばりさんは、歌謡界の、レコード会社の先輩であると同時に、
生誕の学年の点でも先輩であり、
それがあれほどまでに異常なくらいの尊敬につながっていたのだと思います。
と同時に思ったのは・・・
これまで、細木氏をはじめ、多くの占い師が
島倉さんの1938年3月30日という生年月日をもとに、
島倉さんの運勢を見て来ましたが、あれはいったいなんだったのか(笑)
果たして、島倉さんに対する今までの占いは、当たっていたのかという
疑問に近い思いです(笑)
でも、こういう考え方をあるんですよ。
ほら、よく改名をして人生を変えようとしますね。
それと同じで、人間は本来変えることが出来ない“宿命”である生年月日も、
戸籍上、別に届けると、人生が変わるんだ、と。
面白いもんでしょう?
だから、島倉さんの人生も、1938年3月30日生まれと届け出た時点で、
その“宿命”なりに始まってしまったと・・・
しかしながら、僕なりに島倉さんのこれまでの人生を分析してみると、
子丑天中殺である1938年3月30日生まれよりは、
戌亥の年にケガやら借金やらの不幸に見舞われていることもあり、
やはり戌亥天中殺である同年の4月の上旬生まれであると推定されます。
いつか腰を据えて分析をし、島倉さんの本当の誕生日を探し出してみたいと思います。
さて、その島倉さんと僕は、今から20年前以上前、
1カ月公演を張れる看板歌手と座付き作家として邂逅し、
数年間、島倉さんの舞台やショーの構成・演出を担当させてもらいました。
ちょうど島倉さんが「人生いろいろ」という大ヒットを飛ばし、
さらには乳がんの手術を受けという、
これまたジェットコースターのような時期でした。
今回、島倉さんの新曲発表会は、島倉さんが生まれた地元・東京の北品川にある、
島倉さんが子供の頃から通っていた大富寿司というお店の宴会場で行われました。
数年前、僕は島倉さんにこの店に連れて来てもらったことがあります。
下町の気のおけない味よし雰囲気よしのお寿司屋さんです。
今回の新曲は、2月1日発売の「愛するあなたへの手紙」。
島倉さんと家族ぐるみのつきあいという
大衆演劇の座長でシンガー・ソングライターの都若丸氏の作品です。
この日は、宴会場の舞台で、
島倉さんと都若丸さんとの競演による新曲の披露がありました。
その後、舞台を降り、着替えてメイクを落とした
普段着の都若丸氏とちょっとお話をする機会がありましたが、
とても礼儀正しい、京本政樹ばりのイイ男でした。
春になったら74歳になる島倉千代子さん、
これからもますます頑張って歌い続けてほしいですね。
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