10月15日発行の「さくら会議会だより」配布準備の為、市役所へ。
父の葬儀でお世話になった方々に感謝の気持ちを伝える事もできた。
会葬下さった方々、心を寄せて下さった方々、本当にありがとうございました。
親はいつまでも生きていてくれると甘い期待を持ち続けていましたが、
永遠に旅立ってしまった。
一年前、末期の肺がんが見つかり、かかりつけの病院、以前に手術した大きな病院、
セカンドオピニオンを受けた病院と経巡ったが、
結論は高齢のため、治療は出来ない・・だった。
抗がん剤治療はすすめられない、つまり病院の経営上メリットのない患者と
仕分けられ、精神的ショックへの配慮もなく、
「自分の所で出来ることは、もう何もありません!」と、ばっさり一言で
終わりだった。
さあそこからは、まわりの家族、特に母が大変だった。
おまけに私の選挙、そして大震災もあり、
父の心中は穏やかに、とはほど遠いものだった。
なんとか私が当選した頃には、母は10キロ以上やせ細り、
骨密度は立っていられるギリギリの限界値まで少なくなっていた。
兄、姉も足繁く、実家に通ってくれたが、出来る事の限界がある。
私もこの4か月間毎日父の元へ通ったが、結論的に言えば
何も役に立たなかった気がする。
結局、親孝行は出来なかった。
超高齢化が進む中、父と同じ状況の人はどんどん増えていくのは歴然としている。
現在51歳の国民の年金受給は68歳から~の案が出ていることを踏まえると
医療費負担、年金制度等、国が先頭を切って改革することは目白押し。
地方自治体は身近なことから、
政策にも掲げた一つだが、防犯、防災、減災、独居高齢者見守り、
子育てすべてにつながるのは近居・同居への助成。
これは、他自治体の状況がどうのではなく、
私の心からの願いであり、望みでした。
同居していた、義父・義母へは、出来うる限りのことはしてから
天国に見送る事が出来た気がする。
今日は井野中30周年記念式典に出席。
そして、彦根へ。