堀田正亮公は1746年延享3年に山形から佐倉に 1 1万石で入封したとき、山形の領地4万石16か村を佐倉藩の飛び地として
幕府から与えられ、山形に佐倉藩の柏倉陣屋がもうけられました。最盛期の陣屋 は、南北百余間、東西六十余間の広さで、
四方 は石垣で囲まれ4 6か村を支配し豊かな実りに恵まれていたとのこと。
明治になり蔵王山麓の9か村が合併して堀田村となったなど、この近くには、蔵王堀田、佐倉宿などの
佐倉藩ゆかりの地名がいまも残っています。
堀田正亮以後幕末まで堀田氏は代々佐倉城主を務め教育に力を入れた堀田のお殿様は、山形柏倉にも成徳書院柏倉分校(北庠)を
つくり藩士の子弟のみならず領民も学ばせたので、斎藤茂吉もそうですが、医師はじめ優秀な人材を多く輩出しています。
佐倉市民としてこの佐倉藩の歴史から学ぶものは多く、柏倉の方々も烈々歓迎して下さった事に感動しました。
国の50年後100年後をつくるのはやはり教育です。
誰もが等しく教育を受ける事が出来るようにこれからも取り組んでいきたいです。
道中では、国選定重要伝統的建造物群保存地区に指定されている福島県大内宿に立ち寄りました。
大内宿は、この大切な村・宿場の景観を未来の子供たちに引き継いで行くために、住民憲章を作り
「売らない・貸さない・壊さない」の3原則を守り景観の保存にと伝統的な屋根葺きの技術習得、継承に全員で取り組んでいます。
年間100万人の観光客はこの街並みと「高遠そば」を目指し集まって来る、その理由が十分理解できます。
保存に対しては、当初反対者も居たそうですから地道な説得が今の姿へと導いたことになります。
本日は、会派代表者会議、議会運営委員会、6月議会へ向けての打ち合わせをしました。