相変わらず世の中は不景気が続いている。地球温暖化の話も国際的な枠組みは一向に決まらず、一体どうなるんだろうと思うばかりだ。なんか、毎年こういうことを年初に書いているような気がする。明るいことを書いたのは一体いつのことだったのだろうか。
さて、こういう話になると必ず悪いモノ探しが始まる。民主党の政策が悪いとか、中国の経済成長が悪いとか、いつになっても贅沢をやめないアメリカが悪いとか。まあ、悪いやつを探すのに苦労はしない。あっちもこっちも悪いやつばかりだ。
こういう話は、不況や地球温暖化に限った話ではない。会社の中でも同じである。
「あいつがしくじったからこのプロジェクトはうまくいかなくなった。」
とか、
「あの時、あいつがああいう発言をしなかったら仕事はうまくいったのに。」
などという会話をあちこちで聞く。話を聞けば確かにそのとおりと思うことも多い。でも他人がそういう風に他を悪く言ったのを見ると私はいつも思う。果たしてそれって本当にそれが理由だったのかと。周りの人やモノを悪いことにして、目標が達成できなかったことにするのはたやすい。自分が悪いのではなく、他が悪いのだから反省する必要はない。そりゃそうだ。
でもね、よく考えてみると、物事を成し遂げようとしたときに周りにある失敗の原因を認めることによって、それは失敗に終わっていることに気がつきはしまいか。逆に言えば周りにある失敗を認めなければ、人はいくらでも成功に近づくことができるのではないだろうか。
今年の抱負。今年は「許す」ことに徹したいと思う。周りにあるすべてのことを許す。それは、簡単そうに見えるけれど、たぶんそれほど簡単ではない。どう見ても相手が悪いという状況にも出くわすだろう。それでも相手を許す。そうすることによって未来がちょっとずつ見えてくるような気がする。
************
と、書いたところで年を越してしまった。正月お屠蘇を飲みながら、もうちょっと「許す」ことを考えてみた。そこで考えたことをもうちょっと継ぎ足しておこうと思う。
それは「許す」ことを突き詰めようとすると、実はすぐにその思いが矛盾をはらんでいるということに気がついたのだ。つまり、他者の行為が「許す」ことの反対であるときに、どうすればいいかわからなくなってしまうのだ。例えば、もっともスケールの大きい「許さない行為」は戦争かもしれない。世界中でいつまでたってもなくならない戦争をどう考えるか。その行為自体は「許す」というポリシーとは相容れないが、私は戦争さえも許さなくてはならない。あー、あんだかわけがわからなくなってきた。でも、そういえばノーベル平和賞を受賞したオバマ大統領も、正当な戦争もあるといってたっけ。
さて、こういう話になると必ず悪いモノ探しが始まる。民主党の政策が悪いとか、中国の経済成長が悪いとか、いつになっても贅沢をやめないアメリカが悪いとか。まあ、悪いやつを探すのに苦労はしない。あっちもこっちも悪いやつばかりだ。
こういう話は、不況や地球温暖化に限った話ではない。会社の中でも同じである。
「あいつがしくじったからこのプロジェクトはうまくいかなくなった。」
とか、
「あの時、あいつがああいう発言をしなかったら仕事はうまくいったのに。」
などという会話をあちこちで聞く。話を聞けば確かにそのとおりと思うことも多い。でも他人がそういう風に他を悪く言ったのを見ると私はいつも思う。果たしてそれって本当にそれが理由だったのかと。周りの人やモノを悪いことにして、目標が達成できなかったことにするのはたやすい。自分が悪いのではなく、他が悪いのだから反省する必要はない。そりゃそうだ。
でもね、よく考えてみると、物事を成し遂げようとしたときに周りにある失敗の原因を認めることによって、それは失敗に終わっていることに気がつきはしまいか。逆に言えば周りにある失敗を認めなければ、人はいくらでも成功に近づくことができるのではないだろうか。
今年の抱負。今年は「許す」ことに徹したいと思う。周りにあるすべてのことを許す。それは、簡単そうに見えるけれど、たぶんそれほど簡単ではない。どう見ても相手が悪いという状況にも出くわすだろう。それでも相手を許す。そうすることによって未来がちょっとずつ見えてくるような気がする。
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と、書いたところで年を越してしまった。正月お屠蘇を飲みながら、もうちょっと「許す」ことを考えてみた。そこで考えたことをもうちょっと継ぎ足しておこうと思う。
それは「許す」ことを突き詰めようとすると、実はすぐにその思いが矛盾をはらんでいるということに気がついたのだ。つまり、他者の行為が「許す」ことの反対であるときに、どうすればいいかわからなくなってしまうのだ。例えば、もっともスケールの大きい「許さない行為」は戦争かもしれない。世界中でいつまでたってもなくならない戦争をどう考えるか。その行為自体は「許す」というポリシーとは相容れないが、私は戦争さえも許さなくてはならない。あー、あんだかわけがわからなくなってきた。でも、そういえばノーベル平和賞を受賞したオバマ大統領も、正当な戦争もあるといってたっけ。