面倒くさい仕事をすると右脳が活性化するのではないかという大胆な仮説を提言した途端、
「とにかく面倒くさい仕事をするだけでいいのか?」
というごもっともな質問をいただいた。そこで、今回読んだスケッチの本に書いてあった、また別の事のことを紹介したいと思う。いくつかのスケッチのコツのひとつに
エッジ(共有された輪郭線)の知覚
というのがある。キーモン・ニコライデスの「デッサンの道しるべ」という本の中には「自分の描いているフォルムのエッジに触るように想像すること」というくだりがあるという。何が言いたいかというと、要するに前景と背景はそれぞれ単独には存在しないということだろう。
つまりスケッチのメタファーから考えるに、面倒くさい仕事と面倒くさくない仕事も、それ単独では存在しえないのではないかと思うのだ。面倒くさい仕事をしながらも面倒くさくないクリエイティブな仕事の事を考え、また逆にクリエイティブな仕事をしながら面倒臭い仕事の事を考えるのである。まさに自分の描いているフォルムのエッジに触れるように仕事をするのだ。そこからは何か新しい意味が生まれてくるような気がしてならない。
余計分からなくなっちゃったかな?
「とにかく面倒くさい仕事をするだけでいいのか?」
というごもっともな質問をいただいた。そこで、今回読んだスケッチの本に書いてあった、また別の事のことを紹介したいと思う。いくつかのスケッチのコツのひとつに
エッジ(共有された輪郭線)の知覚
というのがある。キーモン・ニコライデスの「デッサンの道しるべ」という本の中には「自分の描いているフォルムのエッジに触るように想像すること」というくだりがあるという。何が言いたいかというと、要するに前景と背景はそれぞれ単独には存在しないということだろう。
つまりスケッチのメタファーから考えるに、面倒くさい仕事と面倒くさくない仕事も、それ単独では存在しえないのではないかと思うのだ。面倒くさい仕事をしながらも面倒くさくないクリエイティブな仕事の事を考え、また逆にクリエイティブな仕事をしながら面倒臭い仕事の事を考えるのである。まさに自分の描いているフォルムのエッジに触れるように仕事をするのだ。そこからは何か新しい意味が生まれてくるような気がしてならない。
余計分からなくなっちゃったかな?