少年カメラ・クラブ

子供心を失わない大人であり続けたいと思います。

頭の中のソフトウエア

2015-11-02 23:05:31 | その他

仕事柄いろんなところでプレゼンテーションをする。自分で言うのもなんだけど、プレゼンテーションは得意である。概略の内容やスライドさえあれば、特に原稿など用意しなくても予定の時間にピタッとはめて話をするのにそれほど苦労することはない。何人の人が聞いているかも、あまり関係がない。いつからそういうスキルが身についたかよくわからないが、ツボにはまって話をしているときには、あまり自分では考えていない。上手く説明できないけど、勝手に話が口をついて出てくる感じだ。

他方、お金の計算は苦手である。電車賃の精算をしていても、数が増えてくるとなぜか答えが合わない。エクセルが計算しているだけなのに、計算するたびに答えが異なるのだ。よく見ると一か所だけ記入している欄がずれていたりするのだけど、そんな簡単な計算をしているだけで、変な汗がでてくる。まさかと思うかもしれないが本当の話である。全く情けない限りで、こんなことでビジネスマンが務まるのかと自分でも思うのだが仕方がない。それだけならいいのだが、他にも上手く出来ないことはたくさんあって、例えばひどい方向音痴。地下鉄に乗るたびに駅で迷子になる。とにかく方角に関してカンが働かないのだ。

脳科学の本によれば、頭の中にはたくさんのソフトウエアが主に右脳に埋め込まれているのだそうだ。そうしたソフトウエアを意識的にコントロールすることはできない。たぶん私の頭の中にはプレゼンをするソフトウエアはそれなりに完成されているが、電車賃を精算するソフトウエアはまだ完成されていない。仕方がないから左脳がよたよたと計算の仕事をしているんだろう。

意識しないで何かをしていることを考えるとき、実にたくさんのソフトウエアがあることに気が付く。キーボードを打つ時だって、いちいちキーを意識することはないし、ご飯を食べる時だって、箸の動きを意識してご飯を食べているわけではないだろう。そういうのは皆自動化されたソフトウエアなのである。というより、毎日の生活のほとんどの作業は、それら自動プログラムによって処理されているといってもいいらしい。そして、ほんのちょっとだけ、ソフトウエアで解決できない事柄の辻褄あわせが意識として作りあげられるのだという。意識とはリアリティとは関係がない言わばフィクションなのである。自分の意識が実は作られたものであると思うと、世の中の見え方が変わってくる。さっき部下に怒ったのは、自分の自由意志なんかじゃないかもしれない。それは、脳の中のソフトウエア群とリアリティの狭間で、ひねり出された苦し紛れのストーリーだとしたら、もう少し冷静に状況を判断できるようなるかもしれない。でも、そう考えている自分っていったい誰なんだろう。いよいよわからなくなってきた。

 ディヴィッド・イーグルマン著 / 大田直子訳:意識は傍観者である 早川書房 2012