少年カメラ・クラブ

子供心を失わない大人であり続けたいと思います。

ギリギリで考える

2016-12-08 20:09:14 | その他

 

何かのプロジェクトに取り組むことを考えてみる。ゴールに向かってのシナリオを策定し、必要な人員や費用を見積もる。後から困らないように、いろいろな手を打ってシナリオ通りにプロジェクトが進むように配慮する。現在の立ち位置からゴールに向かって一本の道筋があるイメージだ。きちんとゴールを見据えて進むことはとても重要であり、着陸地点がぶれたプロジェクトがうまくいくとは到底思えない。

しかし、今までの経験に照らしてみると、ほぼ百パーセント計画通りにプロジェクトが進むことはないのも事実だろう。いわゆる想定外のことが起こって、余計に時間がかかったり、予算が超過したりする。「まあ、仕事なんてそんなものですよ」ということなのだが、なぜそういうことになるかというと、良くわからない。

ずっと昔のコラムで「仕事は締切りギリギリでやるのが良い」みたいな話を書いた記憶がある。もう何年も前のことだ。その時の細かい話はもう忘れたのだが、要するに余裕を持って仕事をすると、そこに「甘え」のような気持ちが入り込んでしまい、結局仕事の仕上がりも甘えた内容になるという話だったような気がする。それから何年もの時が流れても、日々の仕事は皆、締切りギリギリばかりで、ある意味コラムに書いた通りの生活を送っているのだが、果たして仕事の成果に甘さはないかと問われると、ちょっと自信がない。

何か、このへんにヒントがあるような気がするのである。つまり、余裕を持った予定通りの仕事には、ある種の「甘さ」が内在しているという視点である。時間や予算がぎりぎりになったり、作った装置が予定通りに動かなかったりしたとき、人は一生懸命に考える。というか、そういう状況が生まれない限り、我々は考えることができないといってもいいかもしれない。生物の進化を考えたって、猛烈にエネルギーを消費する脳みそをフル回転することは、人間にとってリスクの高いことに違いがない。やらなくても済むことは、やらない方がいいに決まっている。

仕事にトラブルはつきものである。できればそういうことなしにスーっと話を進めたいと思うが、でも、たぶん、それではゴールにたどり着くことはできないんだろうとも思う。言い方を変えると、計画やシナリオという「虚構」が、締め切りやトラブルによって「リアル」なものに変換されていくプロセスが、そこにはあるのだ。金が足りない、人が足りない等々、いろんな足りないにまみれてもがきながら答えを探すプロセスが、どうしても必要なのである。そんなことに気が付くと、プロジェクトをうまく進めるコツみたいなものも見えてきた気もする。要は、問題があれば仕方がないので脳みそは動き出すのだ。

そう言えば最近はやりのAI(人工知能)技術。人を超えるのも時間の問題というような話も聞く。でも、多分AIは締切りが近いからやばいとか、うまくいかないから困ったとか、そういう感覚はないのだろうと思う。とすると、人間が行うようなプロジェクトの遂行プロセスは、まだまだ困難なんじゃないかと思うのだが、どうだろうか。