「おい、聞いたかァ?」
幅幸一は、もともと丸い目を、さらに大きくまん丸に見開いた。
「何をや?」
井関俊彦は気の入らぬ声で返した。幅の相手をしている暇はない。いくらご隠居の身でもやることはいくらでもある。
「陣幕、製造やめるらしいで。あんた、知ってたけ?」
「ほんまか?」
俊彦は自分の耳を疑った。
「工場閉鎖やて。新聞に大きく出とったわ」
幅はいつも大げさで閉口させられるが、新聞記事になっているなら、少なくとも嘘ではない。俊彦は席を立つと、入り口のレジ横にある新聞ラックへ向かった。
全国紙ではなく地元の地方紙を取り上げると目当てのページを開いた。地域版である。
『弁当仕出しの陣幕、十二月に製造工場閉鎖。従業員の三分の二は希望退職を募る……』
幅の言う通りだった。
陣幕は行き詰まったのだ。販売部門一本に集約して生き残りをらしい。しかし、もう何をしてもおっつかぬ状況に追い込まれていると、少し前から噂をが立っている。販売部門も結局終末を迎えるのもそう遠くない。
俊彦は五年前に陣幕を退職している。定年退職だった。嘱託を持ちかけられたが断った。十年以上も深夜勤務を勤めて来て、いい加減飽きていた。だからやめて正解だった。
幅は当時の仕事仲間である。ただ彼はパートで、他に本職があった。片田舎にひっそりとある、古ぼけた神社の神主なのだ。その収入だけでやっていけない時代だった。
幅は俊彦より数か月早く辞めている。仕事で大きなミスを犯したのだ。惣菜の主力製品である鯖の煮つけを、生煮え状態で出荷してしまった。数百切れを無駄にしただけでなく陣幕を贔屓にする顧客の信用を失った。責任を取らされて当然だった。
幅は結構気のいい男だ。俊彦が唯一気が許せる相手でもあった。もしかしたら幅がいなくなった影響があって、ことさら嘱託を固辞したのかも知れない。
駐車場に車を乗り入れた。一台も止まっていなくて、単なる空き地と化している。陣幕の終焉をまざまざと実感させられる。
俊彦は携帯で時間を確かめた。もう約束の時間を五分ばかり過ぎている。昔の職場を覗いてみようと誘ったのは向こうだったのに……遅刻されては苛立つ。
(幅のやつ……!)
俊彦は苦笑した。幅が時間にだらしないのは承知しているのだ。仕事にしょっちゅう遅刻して穴をあけていたのを思い出す。辞めさせられたのは、あのミスのせいだけではなかったのだろう。
幅幸一は、もともと丸い目を、さらに大きくまん丸に見開いた。
「何をや?」
井関俊彦は気の入らぬ声で返した。幅の相手をしている暇はない。いくらご隠居の身でもやることはいくらでもある。
「陣幕、製造やめるらしいで。あんた、知ってたけ?」
「ほんまか?」
俊彦は自分の耳を疑った。
「工場閉鎖やて。新聞に大きく出とったわ」
幅はいつも大げさで閉口させられるが、新聞記事になっているなら、少なくとも嘘ではない。俊彦は席を立つと、入り口のレジ横にある新聞ラックへ向かった。
全国紙ではなく地元の地方紙を取り上げると目当てのページを開いた。地域版である。
『弁当仕出しの陣幕、十二月に製造工場閉鎖。従業員の三分の二は希望退職を募る……』
幅の言う通りだった。
陣幕は行き詰まったのだ。販売部門一本に集約して生き残りをらしい。しかし、もう何をしてもおっつかぬ状況に追い込まれていると、少し前から噂をが立っている。販売部門も結局終末を迎えるのもそう遠くない。
俊彦は五年前に陣幕を退職している。定年退職だった。嘱託を持ちかけられたが断った。十年以上も深夜勤務を勤めて来て、いい加減飽きていた。だからやめて正解だった。
幅は当時の仕事仲間である。ただ彼はパートで、他に本職があった。片田舎にひっそりとある、古ぼけた神社の神主なのだ。その収入だけでやっていけない時代だった。
幅は俊彦より数か月早く辞めている。仕事で大きなミスを犯したのだ。惣菜の主力製品である鯖の煮つけを、生煮え状態で出荷してしまった。数百切れを無駄にしただけでなく陣幕を贔屓にする顧客の信用を失った。責任を取らされて当然だった。
幅は結構気のいい男だ。俊彦が唯一気が許せる相手でもあった。もしかしたら幅がいなくなった影響があって、ことさら嘱託を固辞したのかも知れない。
駐車場に車を乗り入れた。一台も止まっていなくて、単なる空き地と化している。陣幕の終焉をまざまざと実感させられる。
俊彦は携帯で時間を確かめた。もう約束の時間を五分ばかり過ぎている。昔の職場を覗いてみようと誘ったのは向こうだったのに……遅刻されては苛立つ。
(幅のやつ……!)
俊彦は苦笑した。幅が時間にだらしないのは承知しているのだ。仕事にしょっちゅう遅刻して穴をあけていたのを思い出す。辞めさせられたのは、あのミスのせいだけではなかったのだろう。