こころの文庫(つねじいさんのエッ!日記)

家族を愛してやまぬ平凡な「おじいちゃん」が味わう日々の幸せライフを綴ってみました。

白衣が紡ぐ思い出

2023年06月10日 00時39分30秒 | 日記
妻が片付けている箪笥の奥から出てきたのは、
相当くたびれたコック服、
他に柔道着(高校時代の一瞬期に柔道部に入部したことがある)
スーパーのエプロンなど職場などの制服が多い。
中でもコック服は思い出がたっぷり沁み込んだものである。
姫路商工会議所内のレストラン「清交倶楽部」に就職したのは、
まだ20代半ばだった。
10年働いて多くの思い出が生まれている。
色々ある中で、
ウィーン少年合唱団の食事を請け負った「清交倶楽部」が、
食事を担当、
そのスタッフとして何日か合宿所だった会館で食事のお世話をしたのである。
その時に少年団員二人との記念撮影をするという貴重な体験があった。
白いコック服を見ていると、
きのうのように思い出すのだった。
その白衣について、
何十年か前に書いた原稿をアップすることにします。

『白衣の正体』
白衣が欠かせない人生だった。
 最初こそコワイ象徴の白衣。理科の先生がいつも薄汚れた白衣姿、ひげ面の怖い先生というか、厳しい先生だった。ちょっとしたミスでも危険を伴う理科の実験などを教える立場では厳しくなるのも当然だと、今なら理解できるが、当時中学生の私は授業中もビクビクしっぱなしだった。
「宿題を忘れるとは、勉強する気はないのか」
 おでこにデコピンを食らったが、それ以降は宿題を忘れることはなかった。先生の教育が功を奏したことになる。ただ痛い記憶と白衣が重なって、一種のトラウマになった。
 白衣がコワイものでなくなったのは、料理の世界に進んでからである。調理師学校入学で白衣を購入させられた。白いコック帽がかっこよくて、いっぱしの料理人になった気がした。コワイイメージが払しょくされて、いかに着こなすかに変わった。
 白いコック服は調理実習があるとすぐ汚れた。いちいち洗うのが面倒くさくて、汚れたままで授業を受けたとき、眉を顰めた先生は白衣の偉大さを滾々と説いた。
「白衣は君たちの誇りだと思いなさい。人の命と健康を預かる責任と義務がある調理師は、医者と同じ白衣を着るということを自覚してほしい。誇りを持てれば、白衣を汚れたままにしておけないだろう。清潔な白衣を身に着けた最高の調理師になってほしい」
 確かにそうだった。手抜きやちょっとした油断で食中毒を起こせば、人の命に関わらざるを得なくなる。調理の仕事を軽視していた自分が恥ずかしくなった。いつも清潔な白衣を身に着けることで、調理師として胸を張れるのだ。目のうろこが取れた。少しでも汚れた白衣は洗濯機に放り込んだ。それは世間に認められる調理師になる第一歩だった。
 調理師学校を卒業すると、レストランへ就職。白衣が自分のものになった。仕事をこなすようになると白衣にプライドが生まれた。(俺は天下の調理師だ!)そう言い聞かせた。  
独立して飲食店のオーナーになった時も、真っ白なコック服にこだわった。そのこだわりが料理への愛情を育んでくれた。
 家庭の事情で店を閉めて、弁当仕出し会社へ転職、夜勤主体で働き始めた。制服は勿論白衣と白い帽子だった。会社から支給されるのは最初だけで、あとは自己管理を余儀なくされた。汚れたら洗うを繰り返し、駄目になれば購入する。業務前の服装検査や衛生検査でチエックを受けるから、気は抜けない。
 深夜に働く仲間は、日系ブラジル人や中国研修生が半数近く占めた。地球の裏側から出稼ぎにきた日系ブラジル人たちは、驚くべき残業をこなす。少しでも収入を増やすためだった。祖国に残した家族へ送金する彼らは、余分な消費は抑えて、仕事に貪欲だった。
 毎日洗う白衣は汚れがなくてもよれよれになる。節約のため見た目がよほど酷くなるまで着続けるためだ。いつしか少々のヨレヨレ具合では気にならなくなった。
「Sさん、これプレゼント」
 なんと一緒に作業する日系ブラジル人のNが新品の白衣を差し出した。
仕事を通じて仲良くなった相手だが、母国に家族を残しての出稼ぎが十年以上になるという。三年に一度ぐらいビザの更新に帰国するらしいが、母国でアパートを三つ購入していた。あと二年で帰国、家賃収入で暮らす計画だと得意げに話すNだった。
「駄目ね、Sさん、白衣、大変ね」
 ヨレヨレ具合を心配したNの言葉。十年選手であるNの眼には、私の白衣は目に余るものだったらしい。
「大丈夫。白衣はまた買うから」
「いいのいいの。白衣高い。Sさん子供たくさんね、すごく一生懸命、仕事してる。だからプレゼントする」
 四人子供がいると話したことがある。Nは子だくさんの貧乏な日本人と理解したに違いない。白衣をプレゼントされるとは思いもよらなかったが、好意を無碍にできず、ありがたく受け取った。
「あなたアミーゴ、一緒に頑張る、仕事。白衣いっぱいいるよ」
 たどたどしい日本語が彼の人間味を表していた。嫌味のない優しさがそこにあった。
 貰った白衣で仕事に入ると、Nは顔を綻ばせた。貧しい日本の友達を救った満足感が満面笑みとなっている。
 Nが帰国した日の前日、数枚の白衣が私の手の中にあった。手持ちのものをくれたのだ。それはNの友情の証しだった。返礼に日本の便利グッズを手渡すと、いきなり抱きしめられた。ハグというやつである。
 白衣がつないだNとの友情は、遠く離れてもしばらく続いた。生まれて初めてブラジルの地を踏みしめられたのは、白衣があったればこそと、昨日のように思い出している。
コメント
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