雨が降ったりやんだり。
しかたがない。
自宅2階にあるミニ図書館の本の整理に。2000冊近くなる書籍。
本にまつわる記憶が蘇る。
何年か前の原稿をアップ。
『本なくしては成り立たないわが人生』
本と二人三脚で歩んできたといっても過言ではない人生。今も本は手放せない宝物である。その始まりを忘れることはない。物心ついた時、手近にあった雑誌に興味を持ったのが始まりだった。
「大人の本を読んで面白い?」「うん」l 母を呆れさせた私は、親が購読していた雑誌に夢中だった。当時の田舎で子供の本を買う家は皆無に近かった。もちろん、大人もわざわざ本を買ったりしないが、農家に配達される「家の光」という雑誌は特別だった。
就学前なのに、大人の雑誌に夢中になる子供。実は人見知りが激しく遊ぶ友達などいなかったせいかも知れない。漢字どころかひらがなもよく分かっていなかったのに、雑誌を開くと不思議にのめり込んだ。勘で読んでいたのだろうか。それでも「家の光」は着実に活字好きな子供を育んでくれた。
小学校に入っても、内向的な性格はさらに酷くなった。家族の前でも緊張して声が出せなくなるほどの重傷で、同級生や先生とふれあった思い出は全くない。休み時間などは机にうっ伏したまま過ごすことが多かった。
トイレに向かう廊下の途中で引き戸が開いたままになっている部屋があった。これまで通りかかった時に開いていることはなかった。プレートに『図書室』とあった。
「?」
視界に入ったのはズラリと並んだ本だった。思わず覗き込んだ。並んだ書架に詰まった本に驚いた。家の光じゃない背表紙の本ばかりだった。ふらふらと図書室へ吸い込まれた。入ったすぐの書架にあった本は『十五少年漂流記』。思わず手を伸ばしていた。少年と漂流の文字にすごく興味を惹かれたのである。
何人かの子供たちが本を読む机の端に座り本を開いた。すぐにお話のとりこになった。
以来図書室は私の居場所になる。「Sはどこにいるんや?」と旧友が先生に聞かれると反射的に「図書室」と答えるほど本の虫になった。本は私を無視したり、邪魔者扱いしなかった。それどころか新しい夢のような世界へ次々と誘ってくれた。
中学高校と進んでも心地よい居場所は図書室だった。そのせいで日本文学と世界文学の代表的なものは読破しきったと思う。その影響か、あまりよくない成績の中で国語はずば抜けた。相乗効果で本を一層好きになった。
社会に出て就職したのは書店。少しでも本に囲まれた職場をと望んだからだった。ただし給料の半分近くを書籍購入に充てる始末で、本当に仕事かどうだったのか、今でもわからない。五年務めた後、別の仕事に代わって、なんとかまともに収入を得るようになった。といっても本の購入はやめられなかった。
定年退職して生まれた自由な時間。ふと気付いたのは物置で無造作に積まれた本の山。引っ張り出したのは三島由紀夫の「天人五衰」だった。「豊饒の海」四部作の最後の巻で、作者の絶筆となった作品、自決事件の日、書店は本の発注にてんてこ舞いしたのを覚えている。売れるとわかる本を確保するのは大変な仕事だった。なんとか平積みできる冊数が納品されると、迷わず買い求めた一冊である。思い入れのあり過ぎる本に、時間を忘れて読みふけった。そして気づいた、こんなすごい本を所蔵している自分に。名だたる大作家の本が乱雑に山積みされている。もう一度読み直してみよう!そしてみんなにも読んで貰うんだ。昭和の名著をと前に逸る思いに囚われた。
加西市が進めていたまちライブラリー事業に参加を決め、山に囲まれたど田舎の自宅に、書店勤めの折に買い溜めた本千五百冊余りを所蔵の施設ミニ図書館を開設した。子供が巣立った子供部屋に手作りの書架を持ち込み、丁寧に本を並べた。昭和の輝きを放つ本が生き返った部屋は壮観そのもの。
週に数人訪れればいい、ど田舎のまちライブラリーは四年目に突入した。読み直した本の魅力はなに一つとして褪せていなかった。感動も十分に与えてくれた。
本の魅力を再認識、母校である小学校の図書室へ寄贈を始めた。絵本や紙芝居を地域の子供たちに楽しんでもらうイベントも企画している。本で私は生き返ったのだ。
最近、本と私の密接な絆に思いを馳せることが多くなった。人生の締めくくりが近づいた証拠なのかも知れないが、素直に感慨を深めている。
独りぼっちの子供を救ってくれた本。青年期から壮年期に至るまで繰り返した挫折と絶望を救ってくれた本。妻との出会いも、そして四人の子供を育て上げ巣立たせるのにも力を貸してくれた本。老いをかみしめる今、寂しさ虚しさを癒してくれる本。いくら思い返してみても、私は本と人三脚で人生を突っ走ってきたのである。
五木寛之の青春の門を読みだした。再び本と丁々発止の関係が生まれる。
また雨が降り出した。
本を読み続けたくても、
もう無理な私の目。
きのう眼鏡屋に行って調べて貰ったら、
左の視力は失明しているのも同然らしい。
(そうだろうな)
もう達観している。
あとすこし、
右の目に頑張って貰おうっと。(ウン)
しかたがない。
自宅2階にあるミニ図書館の本の整理に。2000冊近くなる書籍。
本にまつわる記憶が蘇る。
何年か前の原稿をアップ。
『本なくしては成り立たないわが人生』
本と二人三脚で歩んできたといっても過言ではない人生。今も本は手放せない宝物である。その始まりを忘れることはない。物心ついた時、手近にあった雑誌に興味を持ったのが始まりだった。
「大人の本を読んで面白い?」「うん」l 母を呆れさせた私は、親が購読していた雑誌に夢中だった。当時の田舎で子供の本を買う家は皆無に近かった。もちろん、大人もわざわざ本を買ったりしないが、農家に配達される「家の光」という雑誌は特別だった。
就学前なのに、大人の雑誌に夢中になる子供。実は人見知りが激しく遊ぶ友達などいなかったせいかも知れない。漢字どころかひらがなもよく分かっていなかったのに、雑誌を開くと不思議にのめり込んだ。勘で読んでいたのだろうか。それでも「家の光」は着実に活字好きな子供を育んでくれた。
小学校に入っても、内向的な性格はさらに酷くなった。家族の前でも緊張して声が出せなくなるほどの重傷で、同級生や先生とふれあった思い出は全くない。休み時間などは机にうっ伏したまま過ごすことが多かった。
トイレに向かう廊下の途中で引き戸が開いたままになっている部屋があった。これまで通りかかった時に開いていることはなかった。プレートに『図書室』とあった。
「?」
視界に入ったのはズラリと並んだ本だった。思わず覗き込んだ。並んだ書架に詰まった本に驚いた。家の光じゃない背表紙の本ばかりだった。ふらふらと図書室へ吸い込まれた。入ったすぐの書架にあった本は『十五少年漂流記』。思わず手を伸ばしていた。少年と漂流の文字にすごく興味を惹かれたのである。
何人かの子供たちが本を読む机の端に座り本を開いた。すぐにお話のとりこになった。
以来図書室は私の居場所になる。「Sはどこにいるんや?」と旧友が先生に聞かれると反射的に「図書室」と答えるほど本の虫になった。本は私を無視したり、邪魔者扱いしなかった。それどころか新しい夢のような世界へ次々と誘ってくれた。
中学高校と進んでも心地よい居場所は図書室だった。そのせいで日本文学と世界文学の代表的なものは読破しきったと思う。その影響か、あまりよくない成績の中で国語はずば抜けた。相乗効果で本を一層好きになった。
社会に出て就職したのは書店。少しでも本に囲まれた職場をと望んだからだった。ただし給料の半分近くを書籍購入に充てる始末で、本当に仕事かどうだったのか、今でもわからない。五年務めた後、別の仕事に代わって、なんとかまともに収入を得るようになった。といっても本の購入はやめられなかった。
定年退職して生まれた自由な時間。ふと気付いたのは物置で無造作に積まれた本の山。引っ張り出したのは三島由紀夫の「天人五衰」だった。「豊饒の海」四部作の最後の巻で、作者の絶筆となった作品、自決事件の日、書店は本の発注にてんてこ舞いしたのを覚えている。売れるとわかる本を確保するのは大変な仕事だった。なんとか平積みできる冊数が納品されると、迷わず買い求めた一冊である。思い入れのあり過ぎる本に、時間を忘れて読みふけった。そして気づいた、こんなすごい本を所蔵している自分に。名だたる大作家の本が乱雑に山積みされている。もう一度読み直してみよう!そしてみんなにも読んで貰うんだ。昭和の名著をと前に逸る思いに囚われた。
加西市が進めていたまちライブラリー事業に参加を決め、山に囲まれたど田舎の自宅に、書店勤めの折に買い溜めた本千五百冊余りを所蔵の施設ミニ図書館を開設した。子供が巣立った子供部屋に手作りの書架を持ち込み、丁寧に本を並べた。昭和の輝きを放つ本が生き返った部屋は壮観そのもの。
週に数人訪れればいい、ど田舎のまちライブラリーは四年目に突入した。読み直した本の魅力はなに一つとして褪せていなかった。感動も十分に与えてくれた。
本の魅力を再認識、母校である小学校の図書室へ寄贈を始めた。絵本や紙芝居を地域の子供たちに楽しんでもらうイベントも企画している。本で私は生き返ったのだ。
最近、本と私の密接な絆に思いを馳せることが多くなった。人生の締めくくりが近づいた証拠なのかも知れないが、素直に感慨を深めている。
独りぼっちの子供を救ってくれた本。青年期から壮年期に至るまで繰り返した挫折と絶望を救ってくれた本。妻との出会いも、そして四人の子供を育て上げ巣立たせるのにも力を貸してくれた本。老いをかみしめる今、寂しさ虚しさを癒してくれる本。いくら思い返してみても、私は本と人三脚で人生を突っ走ってきたのである。
五木寛之の青春の門を読みだした。再び本と丁々発止の関係が生まれる。
また雨が降り出した。
本を読み続けたくても、
もう無理な私の目。
きのう眼鏡屋に行って調べて貰ったら、
左の視力は失明しているのも同然らしい。
(そうだろうな)
もう達観している。
あとすこし、
右の目に頑張って貰おうっと。(ウン)